2004.11.22

老人ボケの直し方(5)

悪魔系老人ボケ回復術で、食欲生命体ババリンとなってよみがえった祖母は・・・

一週間後の土曜日。

ほぼすべての準備がそろい、僕は新たに自分の借りたマンションへと引っ越しをしていた。

しかし若干足りないモノがあったので、実家近くのスーパーを回り、いったん実家に戻った。

実家には誰もいず、僕はカギをかけると、居間のとなりにある妹の部屋のベットで昼寝をすることにした。

するとしばらくして、玄関のドアが開き、誰かが入ってくる気配がした。すぐに襖が開く音がしたので、祖母が帰ってきたのがわかる。

靴を見れば、だれかいるのはわかるが、そこまでは気がまわらないのだろう。

僕がいるのには気づいていないようだ。

そのまま昼寝をしてると、一時間くらいして、チャイムがなった。

襖があいて祖母が出る気配がした。

やってきたのは叔父の一人だった。

一番良識のあるタイプの叔父で、流石に祖母をオヤジに預けてあるのが悪いと思っているらしく、様子を見に来たらしかった。

僕は面倒だし、「犬の母親」とまで言われた祖母がどんな反応をするのか確認したかったので、そのまま、妹のベットで息を潜めていた。

すると・・・・・

祖母は、すっごい勢いで、叔父にむかってしゃべり出したのである。

ついこの間まで、一言もしゃべらず、テレビと食事とトイレ以外は何もしなかった祖母が、叔父相手に昔のようにべらべらとしゃべりまくっている。

叔父も凄まじく驚いていた。

「お、おふくろ・・・・どうしたんだ?こないだ来たときは、何にもしゃべれなかったのに、すごいじゃないか・・・・」

やばい。

これは、やばすぎる(>_<)

せいぜい、ゾンビ+知能くらいに復活すればいいと思っていたのに、これでは正常人とまったく変わりない。

祖母の体の中で、メラメラと燃えていた憎しみの炎は、そのまま癒しの炎となって、彼女を完全復活させてしまったらしい。

えらいぞ!!俺!!

でいいのか???????


(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)


復活した祖母は以前のやかましさをとりもどした。

「あのばばあ、うるさくてしょうがない」

父親までがそう言い出した。

母親と妹に関しては、すでに祖母との激突が生じていた。

そんなある日、僕が実家でお中元でもらったそうめんをもらいにいくと、祖母以外は誰もいなかった。

しかも居間でテレビを見ている。

誰もいないときは、居間のおっきなテレビを見るようになったらしい。

すでに7時で、祖母は夕食もすませている。

僕は、途中で買ってきた、ケンタッキーフライドチキン6ピースを食べ出した。

部屋中に立ちこめるケンタッキーの匂い。

最近三年くらい食べていないケンタッキーフライドチキンだが、当時は月に一度はたべずにはいられなかった。

なんといってもケンタッキーフライドチキンは骨付である。

男たるモノ、野生を失わない為には、月に一度の骨付き肉摂取はかかせないのだ。

僕が背骨の所を丹念にかじっていると、視線を感じた。

その方向に目を向けると、一瞬祖母と目が合った。

僕は肋骨のあたりは好きなのだが、おしりの所とモモのところはそれほど好きではない。

そして5ピースまではなんとか食べられるが、6ピースは多い。

祖母にあげようかと思ったが、70歳過ぎた老婆が、夕食のあとこんなに脂っこいフライドチキンを食べるだろうか?

「おばあちゃん、食べる?」

僕は一応きいてみた。

目があったとたん、視線をそらし、黙ってテレビを見ていた祖母が言った。

「ん?そうだね。もらおうかね」

喰うのかよっ!!(>_<)

僕は尻のところと、モモのところを上げた。

ホットビスケット付きのセットを買ったので、それでもお腹一杯って感じだったのだ。

僕があばらの骨をカジカジしながらそっと見ていると、祖母はすごい勢いで、ケンタッキーフライドチキンを食べ始めた。

ムシャムシャ。

ムシャムシャ。

べろんゴックン。

食べ終えた(-_-)

祖母が僕の残ったチキンを見ているのに気づき、僕はあわてて残りのチキンをくわえた。

僕が食べるのを、ねっとりとした視線で見つめる祖母。

その視線は、まさに餓鬼道におちた餓鬼のごとき視線である。

これは・・・

これは・・・

これはすでに祖母ではないっ!!

そう、あえていうならばっ!!

これは・・・

食欲生命体ババリン!!(>_<)

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

食欲生命体ババリンと化した祖母の食欲は凄まじかった。

母がいうことには、ゴミ捨ての際、しばしば大量の鳥の骨が見つかるということだった。

僕は、ケンタッキーフライドチキンの話をしてあげた。

「イヤだわ。じゃあ、昼に自分でこっそりケンタッキーフライドチキンに買いにいってるのかしら・・・・一個とか二個の骨の量じゃないわよ・・」

70歳過ぎて、ケンタッキーフライドチキンにはまる老婆。

恐るべし食欲生命体ババリン!!

それから1ヶ月くらいして母が言った。

「最近おばあちゃんが、朝ご飯を自分でつくるって言い出したのだけど、何食べているのかと思ったら、毎日トースト二枚にたっぷりマーガリンつけたのと、でっかいソーセージを朝から五本も食べてるのよ!!」

朝から肉食。

しかも、30年前のグラハム・カーの「世界の料理ショー」のごとき大量の油脂類付!!

おそるべし70代!!

しかも老人ボケした、死にそうな老人から、食欲生命体ババリンになった祖母にはさらに恐ろしい変化がおこったのである。

35キロしかなかった体重がみるみるうちにふえつづけ、2年後には50キロ3年後には60キロ寸前まで回復(?)したのだ!!

まさに昭和の所得倍増計画ならぬ、平成の体重倍増計画!!

恐るべき、悪魔系老人ボケ復活術!!

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

だが、勢いを盛り返すに従い、家族からの祖母に対する苦情も増えて言った。

まさに逆渡鬼状態!!

「ババリンがさあ」

「ババリンの奴」

「ババリンたら」

呼び名も本人がいないところでは「ババリン」に統一されてしまった。

そんなある日、僕は、知り合いから大量の柿をもらった。

僕は柿はやわらかく、グジュグジュしたくらいなのが好きである。

もらった柿は恐ろしく甘かったが、堅めだった。

それでもおいしいので、3コ一度に食べたら、思いっきり下痢をした。

ん?

おいしい柿。

思いっきりな下痢。

おいしい柿。

思いっきりな下痢。

僕の中のランちゃん回路に灯がともった。

両親と妹はアメリカ旅行中で、あさって帰国の予定である。

フフフフ。

僕は翌日が休みなのをいいことに、朝からババリンだけがいる実家に8個の柿をもってでかけた。

「おばあちゃん、おばあちゃん。柿もらったから食べれば?一人じゃたべきれないからさ。」

「柿かい?」

「うん。ちょっと堅いのだけど、すごく甘いよ。俺なんか一度に三個も食べちゃった」

もちろん下痢したことは黙っていた。

「そうかい。悪いねえ」

ババリンは柿を受け取った。

「オヤジ達は帰ってくるの明日だっけ?」

僕はナニゲに聞いてみた

「うん?そうだったかねえ?」

ババリンの目が「ギラリ」と光った気がした。

僕は心のなかでニヤリとすると自分の家に帰った。

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

翌々日、顔を合わせた母はキレていた。

「アメリカど~よ?」

「アメリカなんてどうでもいいわよ!!」

そう言った母の腕に、かなり高価と思われる見慣れない時計がはまっているのを、僕は見逃さなかった。

母はつづけた。

「私たちが帰ってきて、ゴミすてようとして見たのはなんだったと思う?」

「またケンタッキーの骨?」

僕はとぼけて言った。

「違うわよ!!ベランダに出したゴミ袋からなんか妙な匂いがするんで、またなんかとんでもないモノ食べていたのかと思って、捨てるまえに見たら、おばあちゃんのXXXまみれのパンツがはいっていたのよっ(>_<)」

はははは・・・・・

「まったく、そんなもの、自分で捨ててきなさいよ!!って言いたいわよ。」

「で、またなんで?トシで、おしりの締まりが悪くなったのかな?」

「柿よ柿!!すっごい量の柿の皮が一緒にはいっていたわよ。いったいいくつ食べたかしらないけど、柿食べ過ぎて、お腹が冷えてトイレ行く前にもらしちゃったんでしょっ!!」

僕はいきなり催した便意に、あわててトイレにかけこもうとするも、間に合わずに漏らしてしまった祖母のあわてぶりを想像して笑いそうになったが、こらえた。

「柿?ああ、一昨日そっちにもっていったんだ。一人に2コくらいかなと思って8コもっていったけど・・・」

僕は素知らぬ顔をして母に言った。

「8個?」

僕はうなずいた。

「家には一個もなかったわよ。あの人、もしかして一晩で8個全部食べたのかしら・・」

僕でさえ3個食べてしまった柿だから、食欲にセーブのきかないババリンなら一度に8個はありえるかもしれない。

そして3個でも、あれだけの下痢なら8個ともなると、確かにトイレまで間に合わなかったかも。

それにしても70半ば過ぎた老婆が一晩で柿を8個。

恐るべし食欲生命体ババリン!!


(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

その祖母も3年前に息をひきとった。

朝、おきて、トイレにいこうとして、いきなりバタン!!とトイレの前で倒れたら死んでいたのである。

結婚して妹の二度目の出産の為、名古屋に一月ほど泊まりがけでいっていたとき、ババリンは毎日肉を食い、母が帰ってきた翌日、すでにドロドロ血になっていたババリンは、トイレを目前にして逝ってしまったのだった。

母親は「寝たきりなんかにならなくてよかった。きっとおじいちゃんが、これ以上迷惑をかけないように連れて行ってくれたんだね」と言った。

ババリン化してからは、テレビみながら昔のように大声で笑い、肉をムシャムシャと喰い、区の老人施設に週二度通い、一緒の人達の悪口を言って、本人的には楽しく過ごせたのだと(多分だけど)思う。

憎まれっ子世にはばかる。

81歳だった。

80過ぎてからも、毎朝食パン二枚にマーガリンをたっぷり塗って、ソーセージ5本食べていた食欲生命体ババリン。

業の深い人故、地獄の鬼の責め苦もきびしかろうと、僕は病院から戻ってきて、実家に安置された祖母の枕もとに、正宗の居合刀(もちろん模造)をおいてあげた。

鬼に襲われたら、この刀で鬼切って、くっちまいな。

居合刀で刃ははいってないけど、根性があればきれると思うよん(-_-)

祖母が元僕の部屋から出て行ったあと、この部屋に祖母がすむようになってから一度もこなかった人達がやってきて、そこらじゅうをひっくり返して、祖母の通帳を探していた。

僕はその姿を、冷たい目でみていた。

人間にとって必要なもの。

祖母は、最後にそれを僕に教えてくれたのだった。

The End

NEXT 「円海@日本鬼子裏天使」

Uploads on coming monday!!

see you (^_-)

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2004.11.15

老人ボケの直し方4

老人ボケに陥った祖母を復活させる悪魔系の秘法とは・・・・

僕のマンションはは、実家から1駅離れたところに確保できたのだが、中国からおくった荷物は、まだ当分つかないことがわかった。

仕方がないので、とりあえず休日にはカーテンやらキッチン、バスルーム関連の物などを買い、ベッドや洗濯機を、注文したりしていた。

祖母は5日ほど入院していただけで、帰ってきた。

僕は、まだ、母親の友人のアパートに住んでいたので、食事と洗濯とお風呂は実家の世話にならなければならない。

従い、会社から戻ってから、毎日数時間祖母を観察することができた。

祖母はほぼ一日中テレビをつけて自室にいる。

笑いやらなにやらが聞こえたりはしないので、(昔はよくテレビ見て笑っていた)実際に見ているのかどうかはわからない。

食事は一緒の時間にするが、床に直接はすわれないので、キッチンのテーブルに一人座って食べる。

だから皆と話すこともない。

わかった。

僕が思うに、祖母のボケは、脳に対する情報のインプットが極端に少ない為におこっている。

多分彼女の脳は、テレビをつけることと、お風呂にはいることと、食事をすることと、寝るとき起きたときに、服を着替えることにしか使用されていない。

母が祖母に関する愚痴を言ったときに、僕はそのことをいい、「あのさ、犬とか猫をかって、おばあちゃんに世話させたら?」といった。

愛情をもって世話をするモノを与えることで、脳の働きを活発化させようという作戦である。犬を飼えばお散歩にもいかなければならず、祖母の運動になるではないか。

「うちが、犬や、猫かえないの知ってるでしょ」

それはそうだった。

さて、どうするか・・・・

祖母はもともと、戦闘的な人間だったはずだが・・・・

人の心を動かすモノ。

それは愛。

そして・・・・・

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

翌日の夕食。おかずは豚肉の生姜焼きだった。

「あ、俺テーブルで食べよ!!」

僕は正座はできるが、アグラが苦手である。

従い、足を伸ばせないお膳での食事は苦手なのだ。

僕は祖母とともに、ダイニングテーブルについた。

居間のテーブルからは、こちらは見えない。

僕はすごい勢いで自分の分を片付け、ご飯を少しだけ残した。

そして、ゆっくり食べている祖母のお皿の、豚の生姜焼きを一切れゆっくりと取り上げると、ご飯と一緒にムシャムシャと食べた。

祖母はゆっくりと視線を僕に向けたが、その目にはなんの感情も感じられなかった。

僕はニヤリとすると残った味噌汁をごくごくと飲み、「ごちそうさま」といってダイニングテーブルを離れた。

そう、祖母はもともと勝ち気な性格である。

人の心を動かすモノ。

それが愛や、感動であればそれに越したことはない。

しかしそうでないならば・・・・・

怒りと憎しみ!!

これしかない


(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)


翌日。

再び僕が祖母のおかずを盗むと、はじめて祖母は小さな声で「あっ」といった。

僕はニヤリとして、元気よく「ごちそうさま」というと、お風呂にはいった。

その翌日。再び食事の時間。

祖母はこれまでとはまったく違った。

食事中、視線をまったく僕から放さない。

僕が食べ終わりそうになると、腕で自分の残りのおかずを隠そうとする。

僕は祖母のおかずを盗めないのを承知で箸をのばし、ブロックされると「チッ」っといって、テーブルを離れた。

さらにその翌日。

祖母はやはり僕に視線をすえたまま、夕食を食べる。

しかも僕にまけないような早さだ。

そのうえ、おかずを優先的に食べている。

僕が全部を食べ終わったとき、祖母の皿に残っていたのは、付け合わせのキャベツと味噌汁、ご飯が少々。

僕がテーブルを離れるとき、祖母がニヤリと笑った気がした。

会社で中国から送った荷物の通関がすんだという報告をうけて、僕は借りたマンションにすべておくってもらうよう頼んだ。

あさっての午前中には届くという。

出社した父が僕を呼び止めた。

『おい、おばあちゃんが、俺が出るとき玄関まで来て、「ちょっと聞きたいのだけど円はいつ頃引っ越すのかね?」と言ってたぞ。ばあさんがウチに来てから、俺に話しかけるのは初めてだな。』

なんと。祖母の精神活動は、孫に夕食のおかずを盗まれることで、急速に活発化しているらしい。

「荷物があさってマンションに来るから週末には引っ越しするよ」

夕方、僕が実家に戻ると、丁度祖母がトイレから出てきたところだった。

僕はすれ違いざま、祖母の喉に向かって、「ぶっちゃっ!!」と言いながら、往年の名レスラー、アブドーラ・ブッチャーの必殺技、地獄突きを見舞った。

もちろん実際は喉をなでたくらいのモノである。

だが、祖母の反応はすごかった。

僕をにらみつける視線には怒りというより、怨念の炎が燃えているようだった。

僕はニヤリと笑うとキッチンへ向かった。

その日の夕食はすごかった。

祖母は信じられない早さで食事をかき込んでいった。

もちろん僕を怨念の炎がもえさかる視線でにらみつけたままだ。

食事が終わるのは僕よりも早かった。

僕の後ろをとおって、流しに皿をおくと、僕の背中に肘をぶつけて自分の部屋に戻っていった。

母親が「あら、おばあちゃんはやいわねえ」と驚いたようにいった。

祖母の心は怨念の炎で燃えさかり、動くことのなかった脳はすごい勢いで回復していったのである。


(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

翌日母親が『おばあちゃん、夜ごそごそやってるから、部屋のぞいたら、引っ越ししてからの荷物開けてあれこれいじっているのよ。「何してるの?」って言ったら「あたしもここに来て大分立つから、荷物もかたづけなきゃね」とかいうの。いままで万年床でテレビ見るだけだったのにどういう風の吹き回しかしら。』

その日の夕方、僕と祖母はにらみ合いながら、すごい勢いで夕食をすました。

僕の方が少しだけ早かったが、休みなく箸を動かす祖母のおかずを盗む事はできなかった。

席を立つとき、僕は祖母にいった。

「明日荷物が来るけど、ベットや洗濯機は来週の中頃だから、それまでは来るからな」

なんという立派な孫なんだろう!!

痴呆になった祖母を復活させるために、見事なヒール(悪役)っぷり!!

翌日荷物が運び込まれると、僕は速攻で整理をはじめた。

洗濯はできないが、食事は外で買うか外食すればいいし、お風呂も入れる。

そうだ。あれを取りにいかなければ。

実家の僕の部屋の袋戸棚には、月刊化されてからのオカルト雑誌『ムー』が五年分とってある。

たしか創刊号は二万円で取引されていると、当時どっかで読んだ。

創刊号ではないが、五年分そろっているので、それなりにはなるだろう。

それにファーストガンダムがテレビでやってたころのアニメ雑誌「OUT」。

なんと「セイラ・マスのヌードピンナップ付」の号だ!!

一体いくらになるんだ・・・・

日曜日、妹が家にいたので、自分で荷物を取りに行き、妹に車で運んでもらうことにした。

「おばあちゃんゴメンよ」

僕はそういって、元僕の部屋。今、祖母の部屋を開けた。

そして、押入の上にある袋戸棚をあけると・・・・・

ない・・・・

一年づつ、紐でくくった「ムー」も、月刊「OUT」他、妖しげな雑誌類も、宇宙戦艦ヤマトや、エルガイム、イデオン、ガンダムのロマンアルバムも、全部なくなっている!!

かわりにあるのは、あきらかに祖母の荷物!!

布団の上に座ってテレビを見ている祖母に僕は聞いた。

「おばあちゃん、ここにあった本とかは?」

「捨てた」

まさか・・・・

確かに祖母は歳の割には長身で、台を使えば、袋戸棚の中をいじるのは可能だろうが・・・

「下のゴミ捨て場に?」

「そう」

僕はあわててゴミ捨て場に走った。

ゴミは土曜日にもっていかれたらしく、何もなかった。

くっ!!

まさか、あの老婆に袋戸棚のモノを捨てるだけの力があるとは・・・・

小分けにして運んだとしても、本だから、20キロや30キロはあるぞ・・・・

それにしても・・・・

コノウラミ・・・・

コノウラミハラサズオクベキカ!!


僕の心にも怨念の炎が燃えさかっていった。

To be continue.

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see you (^_-)

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2004.11.07

老人ボケの直し方(3)

そして口に出すのもはばかれるビラビラ事件がおこった


とりあえず妹のベットでごろんと横になり家人の帰りを待つことにした。

大体母の友人のウチといっても、近所にあるのはわかってるが実際どこにあるかとなると、ちっともわからないし、僕はパチンコなんかもやらないから、駅で買った三冊くらいの週刊誌をめくりながら、皆が帰ってくるのを待つしかないのである。

夜、夕食を食べてから、アパートに行くと、そこは6畳一間に板の間のキッチン。

荷物は洗面用具と普段着が、サムソナイトの一番でかいスーツケースに入ってるだけで、船便の家財道具がつくまでは他にないし、まあ、いっか。

大学の時の合気道の先生も「人間立って半畳、寝て一畳」って言ってたし。

実家から借りた布団を敷き、寝ることにした。

隣は30代の独身女性が住んでいるときいたけど、9時頃帰ってくるドアの音がしたきりで静かなものである。

もちろん僕の部屋も静かだ。

なんたってテレビもラジオもその他諸々何もない。あるのはサムソナイトのスーツケースと実家からかりた布団だけ。

これからは、出張のない限りずっと日本だ。

なんてしあわせ。

コンビニは開いていて、僕の好きなチーズ、牛乳、スナック、カップ麺。なんでもある。

なんでもあるだけではなくて、24時間いつでも好きなときに買えるのだ。

水道の水はいつもきれいで、砂が混じってることなんかあり得ないし、当然そのまま飲める。

日本で生まれて日本で育った若者よ。

これがどんなに素晴らしい事かわかるか?

わからないで卒業式に国旗掲揚するななどと言ってる奴は、一度インフラ0のアフリカあたりの国にでもいって、その日一日の水を確保するのに2時間もかけて水場にいく生活をしてから言うように。

国がなけりゃ、(或いは国がすすむべき方向性を間違えれば)インフラなんて存在しなくて、動物のように飲み食いするだけのために、人生の大半を費やさねばならないのだからね

その辺の事も考えてモノ言うように。

最初の二年間、私と一緒に合弁会社を立ち上げた合弁相手の社長が、コーヒーフィルターで濾さないでお茶やコーヒーを飲んでいたため、日本に帰って人間ドックはいったら内臓が砂だらけだったなんてこともない。

夜中の2時にいきなり電話でたたきおこされ「もしもし」というと、客にあぶれた売春婦のおねえさんが「ねえ、私今、ヒマなの。そちらのお部屋にいって一緒にビデオみてもいいかしら?」なんて言ってくることもない。

(ホテル住まいだったころはしょっちゅうあった。馬鹿野郎~俺は旅行中の台湾人とは違い、公安の依頼受けたホテルの連中が24時間体制で監視してるんだよお~。おまえなんか部屋入れたら30分もしないうちに公安のガサ入れくらうんだよお~)

安全な国日本。きれいな国日本。ああ、日本人に生まれてよかった(^-^)

そんなことを考えてたら3時過ぎまで眠れなかった。

でも朝は5時に起きたね。

嬉しくてではない。

この部屋は隣の部屋と面した一面のみが、すべて壁で、その向かいはキッチン。

で、他の二方が夏に風が抜けるように、窓がある壁なのだ。

日の出とともに、カーテンのない僕の部屋も屋外同様明るくなった。

とても寝てはいられない。


(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)


翌日、家族の祖母に対する不満をめいっぱい聞かされた。

「このままじゃ寝たきりになっちゃうので、散歩くらいはしなさいというのだけど、毎日布団に寝たきりでぼおっとテレビを見ている」と母。

でもあの妖怪みたいな年寄りが外歩いていたら、世間的に大迷惑かと。

『仕事が遅くなって10時過ぎに帰って来て11頃お風呂入るとチッ!!とか部屋で舌打ちして、次の日おかあさんに「XXはもっと早くお風呂に入れないかねえ。夜中にうるさくてしょうがない」などと文句を言うのよ(>_<)』と妹。

父は、月の半分くらいは出張だし、日本にいても、接待があったり、早く仕事が終わればパチンコにいってしまうので、とりあえず被害はないようだった。

しかし一番笑ったのは母の話。

「医者につれていってくれというので、連れて行ったら、なんて言ったと思う?ビラビラ(大陰唇のことらしい)がおっきくなりすぎて、歩くと擦れて痛いからなんとかしてくれっていうのよ(>_<)」

祖母は70歳を越えているはずである。

ビラビラがおっきくなりすぎてって事は、祖父が死んでから、独り身の寂しさで、毎晩オナニーにふけってしまい、でっかくなっちゃったんだろうか?(笑)

「で、調べてもらったの?」笑いをこらえながら僕は言った。

「お医者さんも、そういわれればしょうがないから、調べたわよ!!」

70歳をとっくに過ぎたばあさんが、産婦人科の診察台に股広げるところを僕は想像した。中学校のころ、男子の半分は、できるなら産婦人科医になりたいと思っていたはずで、僕もそのクチだけど、ならないで良かったよん。

「で、やっぱおっきかったんだ。やることないから毎日オナニーでもしてたんじゃない?」

『そんなわけないでしょ!!「お母様の大陰唇はごく普通で、歩くと擦れて痛いというのは・・・」って笑われたわよっ(>_<)』

ゲラゲラゲラ(^O^)


「きっとあの人は、もう食欲と性欲と睡眠欲以外のものが麻痺してるのよっ!!だから70過ぎてそんな恥ずかしい事を口走るんだわ!!恥ずかしいったらありゃしないっ!!」

って、その人は貴方の実母なんですけど(^_^;)

「別に望んで生まれた訳じゃないわよっ!!」

そんな10代や20代の娘が言うような事を50過ぎて言わなくても・・・・

『うるさいわね!!あんただって、70過ぎた実の母親が医者に「ビラビラがおっきくなっちゃって、こすれて痛くて歩けません」って言うのを聞いたら、私がどれだけ恥ずかしい思いしたかわかるわよ!!』

って、その時そういうエロなんだかグロなんだか良くわからないこと言う立場になるのはあんたでしょ?

「くっ・・・・」

まあ、家族の不満はかわいそうといえばかわいそうである。

僕は5年間の中国暮らしで、使い道のない金がけっこうあったので、祖母に5万円ほどお小遣いとしてあげた。

「おばあちゃん、これで服でもかいなよ。いい服かったら、お出かけするのも楽しくなると思うよ。」

なんといい孫だ。

まあ、巨大ビラビラという素晴らしく面白い話きかせてもらったからって気持が大半だったけど、僕を可愛がってくれた祖父も、きっと喜んでくれているに違いない。


(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

アパートは二ヶ月くらいはいてもいいということなので、僕は有給休暇をとってパラオでダイビングする手続きを旅行会社に頼み、とりあえず不動産屋にいくことにした。

日本で部屋を借りたことがないので、我が友チヒロに付き合ってもらった。

「えっと、マンション借りたいんですが」

不動産屋のオヤジがいぶかしげな顔で僕等を見た。

「二人?」

「いえ、一人です」

オヤジがばさっと資料を出してきた。全部ワンルームだ。

「あのお~2DKか、2LDKくらいを考えているんですが。」

「なんでっ?!なんで一人でそんな部屋が必要なの?!」

オヤジは何故かキレていた。

当然、(今よりは)若い僕もキレた。

「あのねえ、申し訳ないんですけど、私、大学出てから、ずっと海外住まいでようやく日本に帰って部屋探しに来たわけですよ。日本じゃ一人暮らしはワンルームなのが普通かもしれないけど、海外暮らしが長かった私としてはあの狭さは耐えられないんです。それなりの稼ぎがあるから、そのお給料で借りられる範囲の2DKか2LDKの部屋さがしてるんだけど、問題あります?」

中国に住んでいたということは言わないでおいた。

「いやあ、そうでしたか、最近若い人が大きな部屋かりて週末パーティを開いて、その金で家賃払うっていうようなことが増えていて、そうなると苦情なんかで大変なんで・・・」

「じゃあ、事情がわかった今は問題ないですか?」

「はい。探させていただきます。とりあえずこちらなんかは・・・」

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

結局あれこれ探すこと一週間で、翌月から住む部屋を借りることができた。

で、出社を来月からにしてもらい、船で送った荷物がつくまではヒマなので二週間をパラオでスキューバダイビングして過ごすことにした。

ホテルについているレストランがチャイニーズレストランなのには閉口したけど、頼めばダイビングショップの人が食事につれてってくれるし、キッチン付の部屋だったので、近所のスーパーで、アメリカ製の缶詰やらなにやらの食材を買って自分で料理することもできた。

ラブロマンスこそなかったが、4月に休みとれる人は日本ではまずいないので、お客さんも少なく、何日かは貸し切りのような状態で毎日3本潜ったので、ダイビングの腕もなんとかサマになるようになった。

僕は満足して真っ黒に日焼けして日本に帰ってきた。

荷物をアパートにおいて、実家に夕食を食べにいくと、祖母がいなくなっていた。

「ん?俺がパラオいってる間に死んだの?」

冗談半分で母に聞いた。

「昨日入院したのよ」と母。

そしてゴミ袋をベランダからもってくると僕の前にドンとおいた。

「何?」

「見てみなさいよ」と母。

みてみると、ゴミ袋の中には、鶏肉やら、豚肉とかかれたシールが貼られたスーパーのトレイ。それにお菓子の袋、団子やら、どら焼きやら、その他諸々の食べ物の包装紙があった。

「あの人はねえ~あんたからもらった5万円で、こんなにお菓子やら肉やら買って、しかも冷蔵庫に入れると私にばれるから、私たちが帰ってくるころにはコッソリ自分の部屋に隠したのよ。で、昼間自分で料理して食べてたの。道理で最近お弁当が残ってると思ってたら、こんなことを・・・」

「それはわかったけど、どうして入院してるわけ?」

「冷蔵庫に入ってればともかく、常温の自室においておいたから、なんかが腐ってたんでしょ。酷い下痢して、お腹が痛いって騒ぐので、入院させてもらったのよっ!!あんたが、お金なんか渡すからだからねっ!!」

「そんなこといっても・・・」

「だからあたしが言ったでしょ!!あの人には、もう、食欲と性欲と睡眠欲しかないんだって!!あの人は歩く人間の三大欲望なのよっ!!」


(-_-)(-_-)(-_-)


何度もいいますけど、それってあなたの実母なんですけどね。


To be continue.

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2004.11.03

老人ボケの直し方(2)

妖怪か?人間か?五年ぶりに日本に戻った僕を襲う恐怖・・・


祖母が実家の僕の部屋にひっこして1ヶ月。

父が中国にやってきた。

「おじいちゃんが死ぬ時、頼むっていったのはしってるけどさ~。なにも律儀に引き取らなくてもいいんじゃない?子供6人もいるんだからみんなでお金出して老人ホームとか入れちゃえば」

可愛がってもらった記憶のない孫は薄情である。

まして自分の部屋が犠牲になるとなればなおさら。

でもこれも因果応報。

孫を可愛がっていれば歳を経て孫から大事にされ、孫を可愛がらなければ、道ばたでみかけたホームレスの人よりはちょっとマシな扱いである。

『でもなあ、おまえ、入院してるおばあちゃんをどうするかであの家が会議したときのこと知らないだろ?おばあちゃんが「私の子供達は何にもしてくれない」ってほかの患者さんに言っていたという話をきいて「ケッ!!俺達を育てたのはオヤジとXXちゃん(子供のころの住み込みのお手伝いさんらしい)じゃねーかっ。お袋なんて犬っころと一緒で、俺らを産んだだけだろ」って兄弟そろって言ってるんだぞ?まあ、ああいう人だから子供にも孫にもすかれていないのは当然としてもだなあ・・・・俺は思わず、ウチで引き取るっていっちゃったよ』

「お袋なんて犬っころと一緒!!」

流石の僕もこれには言葉を失った。

まあ、母方のおじさん達は父方とは違って、まっとうな人たちだし、そういう人達が良く言わないのは当然といった性格の祖母だが、「犬っころと同じ」はちょっと酷すぎでは・・・・・

ある意味、まさにサンノブザビッチ!?

「まあ、そういう事なんで、おまえの部屋は譲ってやってくれ。といっても、もう使っちゃってるけどな」

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

そして1年。

ついに僕は5年間の中国での勤務を終え、日本に戻ることになった。

家財道具は20フィートコンテナで日本におくる手配をして、ファーストクラスで香港を経由して帰国した。

荷物が通関切って引き取れるようになるには1ヶ月以上かかるのでそれまでに住処を見つけなければならない。

当面は実家の近くの母の友人の家の二階二部屋がアパートになっていて、一部屋空いてるということで、1ヶ月だけ敷金とか礼金なしで住ませてもらうことになっていた。

香港で一泊して、午前中の日本行きに乗ったので、家には3時頃についた。

チャイムを鳴らすとドアが開き、やせ細った化け物のような老婆が顔を出した。

祖母らしい・・・・・

あるいは『恐怖新聞』に出てきた悪霊?(顔が似てた)

僕の記憶にあるのはでっぷりと太った体格のいいババアなのだが、凄まじくやせ細っている。

しかし、顔にはわずかに面影が・・・

うっ・・・よかった。ウチが狭い家で・・・

俺の部屋がなくて良かった。

こんな妖怪みたいな生き物が生息してる家には住めない。

っていうか、悪霊でなければ幽霊が出る家のほうが、数倍増しと思えるような妖怪ぶりである。

当然こんな時間には家には他に誰もいない訳で。

僕が部屋に入ろうとすると祖母が言った。

「どなた様ですか?」

「円だよ(^_^)」

「はあ?」

「円だよ(^_^;)」

「はあ?」

「円だよ(-_-)」

「はあ?」

ファーストクラスに乗ってきても、疲れるものは疲れる。しかも僕は5年もの月日を中国にささげ、ようやく今、日本に帰ってきたのである。

中国語なんかしゃべらなくても意志が通じる母国に帰ってきたのだ。

なのに・・・・・

自分のウチにはいるにも、日本語が通じてね~じゃないかっ!!

はっきり言ってキレた。

「おまえの孫の円だよ!!ψ`▽´ψ」

僕はスーツケースを玄関において、家に上がった

「孫?おまごさんですか?」

祖母はあわてた様子もなく、ぼお~っとした表情で僕を見ていた。


ばあちゃん、あんた思いっきりボケてるよっ!!

To be continue.

Uploads on coming monday!!

see you (^_-)

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2004.10.25

老人ボケのなおしかた(1)

B型悪魔系、祖母の老人ボケを治す(?)

僕の祖母は(母方)上州女である。

気が強い事で有名だが、祖父が薩摩なので、祖父が生きている間はそうでもなかったらしい。

子供の頃の祖母に関する記憶というと、でっかい声で犬ころを呼ぶように(あまり愛情を感じられない呼びつけ方でという意味だ)「円~」と呼びつけられた記憶しかない。

僕は初孫なので、祖父には大層可愛がられたそうだが、祖母に可愛がられたという記憶は、まったくといっていいほどない。

善人は早死にする。

これは世の習わしである。

その道理により、僕の祖父は僕が10代にはいったかはいらないかでなくなった。

祖母は、当時独身だった伯母と二人で住むことになった。

当然のごとく数年して喧嘩になり、伯母も結婚して一人で自分の妹の近所のアパートに住むことになった。

そして自分の妹とも喧嘩した。

本当に一人になった。

わがままな人間なので友達は一人もいない。

毎日テレビを見て過ごす日々がつづいた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中国に仕事で住み始めて四年。

母親から電話が来た。

「今度おばあちゃんを引き取るからね。あんたの部屋使うよ」

二ヶ月くらいまえに、一人では暮らせなくなり入院したという話は聞いていた。

母は長女だが、上に兄がいる。

下にも三人ほど弟がいて、妹も一人いる。

だが、祖父が死ぬとき、僕の父に「女房は頼む」といったという話はきいていた。

父の家は東京のK田というところである。

今はそんなこともないだろうが、父がガキのころは、とってもガラが悪いところだった。

まあ、ぶっちゃけ8933の街って感じである。

しかし、その8933達にも、アンタッチャブルに関するお達しが出ていた。

「甘納豆屋の一族には関わるな。奴らはKICHIGAIだから」

事の顛末はこうである。

甘納豆屋の息子である父と、その兄は、ある日街をぶらぶらしていた。

4人の下級8933に絡まれた。

父の兄は笑った。

空手の段持ちで、8933相手の喧嘩は楽しくてしょうがないのである。

空手を喧嘩に使ってはいけない。

師匠はそういった。

しかし、8933などの職業的暴力屋さんを相手に、使ってはいけないとはいわなかったのである。

父も笑った。

空手は無段だが、血の気が多い上に、当時で言えばKICHIGAI、今風にかっちょよく言えば、ベルセルク(狂戦士)だからである

4人の下級8933は、二倍の数なのに、あっという間に血だらけにされてしまった。

だけど、ここからがすごい。

なんたって、当時8933の人口密度が異常に高いK田。

あっという間に30人からの中級、下級8933に二人は囲まれた。

父の兄は、ちょっとヤバイなという顔をした。

空手は有段者でも、頭はまともである。

この状況で勝ちを拾うには、宮本武蔵でもない限り無理なのはわかってる。

それに宮本武蔵だって、刀をもった上での話である。

一度でも敵をかすめれば、相手の戦闘力がなくなる剣での戦いと、最低でも二、三発ぶち込まなければ相手の戦闘力がなくならない素手での格闘では、多人数を相手にする上で大きな差がある。

中級8933の方もニヤニヤと笑っている。

「てめえらなめたマネしやがって、覚悟しやがれ!!」

その時、兄を横にした父は8933に向かって叫んだ。

「馬鹿野郎!!てめえらこそ皆殺しだ!!」


(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

30対2で、真面目な顔をして「皆殺しだ!!」と叫ぶ脳みそ。

父の兄はその時、はじめて実の弟を怖いと思ったという。

「俺はただの喧嘩好きだけど、こいつはKICHIGAIだ」と。

「こんなKICHIGAIとこの8933の街でつるんでいたら命がいくつあってもたりない」と。


この戦い、始まる前に警察が来て解散となった。

中級8933の方から話をきいた親分さんは、大層おもしろがった。

「これから甘納豆屋のガキにはこっちから手をだしちゃなんねえ。KICHIGAIだからしょうがないだろ?」

任侠道がまだ生きていた時代の話である。

一方、我が母は同じK田で父の小学校の同級生だったが、町工場のお嬢様である。

しかも病弱。

その二人が結婚すると言い出したので、周囲は大騒ぎになった。

実は母は蕎麦屋と結婚することになっていたのだが、そこに我が父が「ちょっと待った!!」と一世一代のラブレターを書いたのである。

処女で、病弱で、本ばっかし読んでた母はそれにクラリと来てしまった。

優等生は不良に弱い・・・・

だが、父は不良なだけではない。

KICHIGAIなのである。

まあ、よく言えばベルセルクな訳だが。

もちろん母の兄弟は皆それを知っている。

「よりによってK田一のKICHIGAIが身内になるなんて・・・」

兄弟全員が、この結婚に反対した。

それでも母の気持ちはかわらない。

なんたって、K田一のKICHIGAIが思いのたけをつづった恋文が手元にある
(今でも母はどっかに隠している。小学生の時、私は見た)

母の周囲の友達も、もちろん皆反対。

「他なら誰でもいいから。奴だけはやめとけ


だってK田一のKICHIGAIだもん・・・・・

全員がこの結婚に反対するなか、祖父が決断することになった。

家族会議のなか、祖父は考えた。

「自分の息子達はどうも物足りない。肝心の長男に至っては「画家になりたい」などといいやがる。なんの為に上州の女を嫁にもらったと思ってるんだ。薩摩隼人の気風をすたらせない為だろうが。なのに「画家」。それにひきかえ、奴は面白い男じゃ。問題なのはKICHIGAIな事じゃが・・・・」

そして口を開いた。

「あいつの噂はワシもようしっとる。じゃがな、あいつが弱いモノ虐めしとるという噂を聞いたことあるもんはいるか?おらんじゃろ。あいつはKICHIGAIじゃが、弱いモノ虐めて喜ぶような男ではなか。XX(母の名)はくれてやる。あいつをつれてこい」

祖父は薩摩隼人。

家長の言うことは絶対である。

母方の家族は何も言わず引き下がった。

KICHIGAIの父は、思いもかけず結婚の許しをもらい、喜んだ。

喜んだどころか「俺はあの人を見て、本当にこの世に仏様はいるんだと思った」という。

K田一のKICHIGAIは生き仏を見て、(ちょっとだけ)まともな人間になった。

それから十年ちょいの月日がながれた。

肺ガンで、見る影もなくなった祖父が父に言った。

「すまんが、ワシが死んだあと、嫁の面倒をみてくれんかのお。おまえだけが頼りじゃ」
(おまえにゃ昔、貸しがあったよな。しっかり返すつもりはあるだろうな?)

父はうなずいた。

それから約20年。

退院した祖母が、僕と弟が出て行き、両親と妹が住む家にやってきたのである。


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