2004.09.27

素晴らしき中野区ーオレ達の祭り(下)ー

果たしてあれはアリだったのか?1970年代のある日、W通りを駆け抜けていった、多分に東京一お下劣な子供神輿の物語。

子供神輿。それは大人の神輿とは別に、子供だけが担ぐ神輿である。

お祭りの時は、子供神輿が先導し、そのあとに女子供がひっぱる山車がつづく。

山車は幼稚園から小学校低学年のオコチャマ達が引くもの。

子供神輿は身長によるのだが、小学校3~5年のお兄ちゃん達が担ぐもの。

子供神輿といえども、女性は担ぐことは許されなかった。

所々にある休憩所(酒屋さんとか、駄菓子屋さんが多かったような・・)では、色々なものが出る。

それも山車をひく子供達と、神輿を担ぐ子供達では、出るモノが違う。

たとえば、酒屋さんでは、山車のオコチャマ達に出るのは、かき氷のシロップを水でうすめたジュースだが、子供神輿のお兄ちゃん達に出るのは、一人一瓶のファンタグレープだったりした。

オコチャマ達は、瓶をラッパ飲みするお兄ちゃん達をみながら、毒々しいまでに緑色の、どこがメロンの味なのかちっともわからないメロンジュースを紙コップからすすり思うのだ。

「いつか僕も子供神輿を担いで、ファンタグレープを飲める身分になってやる!!」


だが、僕がようやくあこがれの子供神輿に出世したその年は、様子が違っていた。

駄菓子屋    麩菓子が一本。山車組と一緒。

(何故だ・・・去年の子供神輿はお菓子が一杯はいった袋をもらえていたのに・・・)

パン屋      ちっさいあんパン一個。山車組と一緒

(何故だ・・・去年はスピン(スナック菓子)一袋だったぞ・・・・)

子供神輿を担ぐ僕等に、不満と不安が広がった。

(何故だ・・・)

(何故、今年は山車組と同じモノしかでないんだ・・・・)

僕等がそう思うのは当然である。

山車はなぜだかしらないが、ひっぱる綱を持っているだけでも前にすすむ。

当然何人かいる大人たちがひっぱってくれているからなのだが、そういう意味では実質歩くだけなのである。

だが、子供神輿は全然違っていた。

当然の事だが重い。

肩にずっしりくる。

僕等はほとんどが年上の子から、「神輿を担ぐ時にはタオルをもっていって、自分の肩にあたるところにまいておけ」と教えてもらったからまだよかったのだが、地域によってはガキ大将グループが崩壊しているところもあり、そういう所の子供は、タオルをまかないで担ぎ、痛さのあまりリタイアせざるをえなかった。

しかも神輿は休む時でも、下駄という台になるものを前後にセッティングして、その上に神輿をおろさなければならない。

これもみんなでおろすタイミングをあわさないと、下駄をもってついてきてくれる下駄担ぎのおじさんの指が神輿と下駄の間に挟まってしまい、大変な事になってしまう。

運悪く、この年に子供神輿についていた大人は、高卒のあんちゃんと、元自衛官のおじさん、それに下駄担ぎのおじいさんで、この高卒のあんちゃんがめっちゃ性格が悪く、神輿をおろすときのタイミングが早すぎたり、遅すぎたりすると、凄い勢いで怒鳴りつけるのだった。

子供神輿からはすでにお祭りの楽しい気配はうせ、ビクビクと怯えた子供達が、肩の痛さに耐えてエジプトのピラミッドをつくるための巨石を運ぶ奴隷達のような雰囲気になっていた。

それなのに・・・・

何故、僕たちの待遇は、山車の楽ちんオコチャマ達と一緒なのだ!!

納得がいかん!!

「わっしょい!!わっしょい!!」のかけ声も、高卒のあんちゃんの音頭とりの声だけが目立つような状態で、僕等は酒屋さんについた。

ファンタグレープだ!!ファンタグレープのラッパ飲みだ!!

僕だけでなく、子供神輿の子供達は目をキラキラさせたのだった。

しかし僕等にだされたのは・・・・

かき氷のシロップをうすめたメロンジュース!!

ありえね~っ(>_<)!!

僕等は舌を緑にしながらメロンジュースをすすった。

山車の子供達が到着し、くばられたものがコーラス(多分森永から出てたカルピス風飲料)なのを見て僕等のプライドはちょっとだけ癒されたが、そんなことでは、このやりきれない感じは癒しきれなかった。

休憩時間が終わり、僕等の奴隷労働がまたはじまった。

「ほらもっと声だせっ!!」と怒り狂って怒鳴り散らす高卒にいちゃん。

疲れた体にずっしりと重い神輿。

「ワッショイ ワッショイ」

僕等は死人の担ぐ死人神輿(なんてあるのか?)みたいになって、次の休憩場所についた。

下をむいて汗を拭く僕等をみて、元自衛官のおじさんが、高卒にいちゃんにいった。

「おれが音頭とりやるから、おまえは下駄かついどけ」

高卒のにいちゃんも、一人で声をはりあげていたので、疲れてしまったのだろう。

下駄担ぎのおじいさんと一緒に、下駄を一個づつ担ぐことになった。

「いっか~ おまえ達良く聞け!!」

高卒のにいちゃんから、音頭取りの笛をもらうと、元自衛官のおじさんは、ヒゲの生えた顔でニッコリしながら言った。

「おまえ等神輿はわっしょい!!わっしょい!!と担ぐモノだと思っているだろう?ところがそうじゃないんだな。この次から、俺が自衛隊式の音頭を教えてやる。みんな恥ずかしがらずに、でっかい声だして、俺につづけ!!わかったな?」

僕等は顔を見合わせた。

疲れてやる気がなくなっているけど、ショボイ休憩グッヅに絶望してるけど、この元自衛官のおじさんは、そんな僕等のしょぼくれた気持をわかってくれてそうだ。

何よりもガミガミと怒鳴りちらさなかったし。(どの子も、そんな奴は自分の母親一人で十分と思っていたに違いない)

「よお~しっ!!神輿をかつげ~っ!!」

元自衛官のおじさんのかけ声に僕等は元気よく「おおっ!!」と叫ぶと神輿を担ぎあげた。

「よお~しっ!!声だすぞ!!みんな恥ずかしがらずに、俺の言うとおりに叫べ!!」

「おおっ!!」

音頭取りはただ声を出せばいいというものではない。その声には毅然とした凛々しさと暖かみがなければいけない。さすがは元自衛官。ちゃんとそのことをわかっていた。

僕等はいきなり元気を取り戻すと、元自衛官のおじさんが音頭をとるのを待った

おじさんは僕等が元気を取り戻し、力強く神輿をかつぎあげるのをみると、にっこりと笑っていった。

「ち○こっ!!」


(?_?)


「ちん○っ!!」


(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)


「どうしたっ!!おまえ等!!はずかしいのか~っ!!」

いや、恥ずかしいとかそういう問題では・・・・

そんなこと言っていいの????

その時、それまで何もいわず下駄をもっていたおじいさんが大声をだした。

「おら!!おまえらっ!!音頭取りの言うとおり、しっかり声ださんかいっ!!」

意外にも、すさまじく迫力のある声だった。


もちろん東京都中野区といえば山の手。

「ち○こ」なんて親の前で口にしたが最後、ビンタが飛んでくるは必定。

だが、今日は言ってもいいらしいぞ。

でっかい声で「ちん○っ」と。

「それ、○んこっ!!」
元自衛官のおじさんが叫ぶ。

「チン○」
僕等もちっちゃい声でつづいた

「ち○こっ!!」
今度は下駄担ぎのおじさんも一緒に叫んだ。

「チン○ッ(>_<)!!」

僕等もなかばやけくそ気味に声を出してつづいた

「○んこっ!!」大人

「ち○こっ(>_<)!!」子供

「ちん○っ!!」大人

「○んこっ(>_<)!!」子供

そのころには僕等は普段口にすることすら許されない言葉を公道で大声を出して叫ぶことに喜びを感じていた


「ち○こっ!!」大人

「ちん○っ(^O^)!!」子供
「○んこっ(^O^)!!」子供
「ちん○っ(^O^)!!」子供
「○んこっ(^O^)!!」子供
「ち○こっ(^O^)!!」子供

いってはいけないとされる言葉を公道で叫ぶ!!なんて気持がいいんだ!!

子供達は、いままで味わったことのない快感に貫かれ、「ちん○っ!!」と叫んで神輿をかついだ。

子供らしい元気さにあふれた神輿の復活に、元自衛官のおじさんも顔をほころばせた。

ピッピッ!!ピッピッ!!と笛を吹きながら子供達を煽り、公道をすすむ。

そして、笛を下駄かつぎのおじいさんに渡し、ふいてもらいながら言った。

「いいぞ~っ!!おまえ等!!神輿っていうのはそうやって元気に担ぐんだ!!だがな~これだけじゃないぞっ!!もう一つあるぞ!!おまえ等なんだかしってるか~っ!!」

それは・・・・

まさか・・・・

「言ってみろ!!それっ!!」

「マン○?」

「聞こえない!!もっとでかい声で~っ!!」

「ま○こっ!!」

「よっしゃ!!つづけろっ!!」

「まん○っ(>_<)!!」
「○んこっ(>_<)!!」
「ま○こっ(>_<)!!」
「まん○っ(>_<)!!」

これは流石に恥ずかしかったが、その恥ずかしい言葉を口に出してしまった子供達の勢いはとまらない。

狂ったように誰もが大声で女性器を表す言葉を叫びながら、神輿をかついでいた!!

「よっしっ!!交互にいえ!!順番だ!!」

「ち○こっ!!ま○こっ!!ちん○っ!!まん○っ!!」

僕たちは、いままで味わったことのない高揚感のなかにいた。

多分疲れを感じているものは誰もいなかっただろう。休憩場所も休憩せずに通り過ぎたくらいだ。

しかも歩道を歩く人たちはみんな僕たちの担ぐ子供神輿をみている。ニヤニヤ笑っている人もいた。

次の休憩場所は、休憩をとることになった。全員に配られたのはカルピスだったが、不満そうな顔をするものは誰もいなかった。皆表情は生き生きとしている。

「よおっし!!次は、すっごいの教えてやるからなっ!!ちゃんと俺の言うとおりにおまえ等言えよっ!!それから神輿は上に投げるようにして担げ。肩の上で、声にあわせて弾ませろ!!わかったなっ!!」

「はいっ(^O^)!!」

僕等はみな元気よく叫んだが、「すっごいの」がなんなのかわかった奴は誰もいなかった。

「なんだろう?」
「わかんね~よ。でもおなじこと言えばいいんだろ?」

「いくぞお~っ」

「お~っ(^O^)!!」

僕等は神輿をかついだ。

「わっしょい!!」大人

「わっしょい(~o~)!!」子供

「わっしょい!!」大人

「わっしょい(~o~)!!」子供

「ほら、肩の上ではずませるっ!!気合いをいれろっ!!」

「わっしょい!!」大人

「わっしょい(~o~)!!」子供

「わっしょい!!」大人

「わっしょい(~o~)!!」子供

「そうだ~っ!!それが本当の神輿の担ぎ方だあ~っ!!その調子で俺の言うとおりつづけよっ!!でかい声で叫べ!!いいなっ!!」

「お~っ(^O^)!!」

「そりゃ ち○こま○こちん○まん○やりたい!!やりたい!!」


はあ?

なんじゃそれ?

ち○こま○こはわかるけど、やりたい!!やりたい!!って何をだ?


当時の小学生の大半は、子供はお母さんのおしりの穴から産まれるものだと思っていた。

当時の小学生には、今のようにHなどという便利な言葉がなかった。

Hは「スケベな事をする」という意味で使われていたし、その「スケベな事」の意味する事も、スカートめくりとかキスくらいなのである。

だが、その言葉を口にすることがとてつもなく面白いことであるのはわかった。

自衛隊のおじさんが言ったとたん、高卒のにいちゃんも、下駄もちのおじいさんも、周囲で子供神輿をみていた大人達も、みな一斉に吹き出すか、口元をおさえて笑いだしたからである。

「どうしたっ!!もう声がでないのかっ!!そりゃ ちん○まん○○んこ○んこやりたい!!やりたい!!」

ぼくらは肩の上で神輿をはずませながら、一斉に叫んだ!!

「ち○こま○こちん○まん○ やりたい!!やりたい(^O^)!!」
「○んこ○んこち○こま○こ やりたい!!やりたい(^O^)!!」

そう叫びながら、W通りを練り歩く子供神輿のまわりは大爆笑である。

それを見て僕等はいっそう嬉しくなり、さらに大きな声で、「ち○こま○こち○こま○こ やりたい!!やりたい(^O^)!!」と大絶叫しながら、死ぬほど肩で神輿をはずませてW通りを進んでいった。

1970年代。のどかな、のどかな時代の出来事である。

(ジブンデカイテテモハズカシイヨ・・・・・)

The End

NEXT 「XxXXと呼ばれた男」

Uploads on coming monday!!
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2004.09.20

素晴らしき中野区ーオレ達の祭ー(上)

愛する中野区に捧げる(捧げて欲しくないだろうけど)

僕は小学校4年くらいまで、中野区の上高田に住んでいた。

そのあと東中野に引っ越したが、小学校は転校せず、そのまま越境通学したので、子供の頃の思い出は、ほとんど中野区上高田の思い出だ。

地図を見てくれるとわかるのだが、上高田は寺町である。

お寺の数が異常に多い。

とりわけ僕の住んでいたあたりは、お寺のなかに住居があるといえば聞こえがいいけど、要するに墓場に囲まれた形で住宅街があるのだった。

今から思うと土地、安かったんだろうなあ・・・・

借家だったからあまり関係ないけど。

僕等の世代は、東京でガキ大将というものが普通にいた、最後の世代だと思うのだが、この頃の子供達の遊びは、大抵外遊びだ。

家のなかでやる遊びといえば、人生ゲームか、ツイスター、それに野球版くらい。

普通は外で、警官泥棒や、缶蹴り、野球、はさみっこなんかをやるのである。女の子の間ではゴム弾(てかくのかな?)がはやったりしていた。

外遊びが中心ということは、当然、墓場も遊び場になるということで。

僕等の遊び場は松□寺、宗○寺、竜△寺。

保善寺にはめったにはいらなかった。

ほぼ全員が保善寺幼稚園の卒業生で、何かあったとき、一発で面が割れるという危険があったからである。

これらのお寺に早稲田通りの正門からはいっていくのはかなり勇気がいる。

はいっていっても(でていっても)何かいわれた記憶はないのだが、やはり立派な門を堂々と通って墓場に遊びに行くというのは気が引ける。

従い僕等は、もっぱらお墓側からはいった。

早稲田通り沿いにはお寺の境内があるのだが、その裏は一面の墓場である。

墓場にそって道があり(ここを夜に歩くのは流石に勇気がいった)今はお墓も一杯で完全に閉ざされてしまったろうけど、僕等が遊んでいたころは、3mあるかないかの石垣があるだけだった。

当然、その頃の子供にとって、こんな石垣をのぼっていくのはなんでもないことだった。

毎日、仮面ライダーごっこや忍者部隊月光ごっこで、鍛えているのである。

たとえその石垣が墓石を積み上げたものであっても、平気で足で踏みつけてお墓に侵入した。

何故かというと、墓場には当時まだお墓の立っていないスペースがあり、そこでは夏草がしげったりして、ショウリョウバッタがとれたし、人間をささない黄色い蜂(僕等はキバチとよんでた)がよってくる木もあった。

夏場はカナブンとりのために、お寺の木をかたっぱしから蹴ってまわることはかかせない。

セミとりにもお寺の木々ははずせないし。

今から考えると昆虫を捕まえるために欠かせない場所だったのだが、子供が捕まえた昆虫は、たいてい一週間以内、早ければ翌日に死ぬ運命にあったので、なんか墓場で殺生しまくりって気もする。

もちろん昆虫取りだけやっていたわけではない。

松□寺、宗○寺の墓地を利用しての、子供的にはおそろしく広いフィールドでの鬼ごっこや、かくれんぼは、夏の夕暮れにはかかせなかった。

なんといっても墓場で鬼ごっこ&かくれんぼである。

スリル満点なことこの上ない。

とりわけかくれんぼでだんだん暗くなってくると、隠れて見つからないでいる方も、みつけられない鬼の方も、顔がひきつってくる。幼稚園から小学校低学年の間は、これで大抵何回か薄暗い墓地の真ん中で泣くことになる。

「根性をつけるため」という、とってもありがたいお兄様、お姉様方のご配慮により、隠れている方は、早稲田通りの正門を通って家に帰ってしまうからだ。

泣く方も怖いが、墓地の真ん中で一人で泣いてる子供を見つける方も相当怖かったと思うぞ。

一度、何故か墓地でサッカーをやったことがある。

もちろんそこまで激しく罰あたりなことを、小学生はやらない。

夏休みになり、ヒマをもてあました高校生くらいのお兄様方に「いくぞ」と言われ、何もわからないまま墓地にはいり、「サッカーやろうぜ」といわれるのである。

墓場でサッカーといっても、ゴールがあるわけではなく、まあ、ひたすらドリブルの練習をするみたいになるのだが、みなそういうことにも飽きてくる。

すると墓をこえてのパスなんかもはじまり、あげくの果てには古い卒塔婆がサッカーボールでバシバシ折られていくのである。

墓場でサッカーやること自体、昆虫取りとは全然違う罰当たりな行為であるという自覚はあったので、卒塔婆を折った時には流石にやばいと思った。

お墓にはいった人たちも、鬼ごっこやかくれんぼくらいは多めに見てくれそうだけど、サッカーはいかがなものか・・・・・

お坊さんに見つかったらやばいというよりも、祟られそうで墓地サッカーは一回で中止になった。

こんなことばかりやってた訳だが、当時の中野区上高田では、怒られた記憶がない。

僕等はお墓だけではなく、人様の庭にも、よく言えば野良猫のごとく。悪くいえば泥棒のごとく自由に出入りしていた。

もちろん他人の家の庭で遊ぶようなことはしないが、通り抜けるのは自由で、子供達は家と家との細い隙間なんかを自由に行き来していた。

逆にいうと、そういう土地柄だったから警官泥棒や、缶蹴りがメジャーな遊びだったのかも。

そんなのどかな昭和の中野区上高田では、地域活動も活発だった。

とりわけ早稲田通りの向かいにある龍▽寺の豆まきは命がけとなる。

お菓子の類がまかれるだけでなく、マッチ箱がまかれるのである。

もちろんそのマッチ箱のなかには、商品名が書いた紙がはいっている。

確かお金だったこともあったような(^_^)?

このマッチ箱の争奪戦は凄い。

凄いとわかっているのにというべきか、凄いからなのか、毎年赤ちゃんをおんぶ紐でさげて参加してる女性がかならず一人はいる。

そして、彼女の頭をこえ、毎年必ず赤ちゃんと女性の隙間にマッチ箱が入る。

まく方は、できれば赤ちゃん背負ってきてくれたお母さんにあげたいと思ってなげるのだが、そんなもん背負ってマッチ箱がとれるほど甘くはない。穏和な上高田の人たちも、この日ばかりは目が血走っている。

赤ちゃんがすやすや眠るねんねこにマッチ箱がはいったとたん、無数の手が、ねんねこの中をかきまわし、赤ちゃんは大泣きし、おかあさんは「勘弁!!勘弁!!」とか「あんた達なにすんの!!」とか絶叫するのだが結局マッチ箱は誰かにとられてしまうのだ。

いたいけな子供の僕がゲットしようものなら、付近の大人が、突然強盗に早変わりするんじゃないかっていうくらい殺伐としているのである。

従い、子供達の戦略は、代々の言い伝えで「ゲット&ラン」である。

マッチ箱をゲットしたら、速攻で逃げる。

手に持ってほかのものを取ろうとすれば、その隙に手をはたかれてマッチ箱は落ち、大人にとられてしまうのだ。

こうして、中野区上高田の子供達は、墓場の石垣や近所の塀を、幼稚園にはいったかはいらないかの時期から上り下りして忍びの技術を学び、墓地サッカーや、墓地かくれんぼで鬼神も恐れぬ胆力を養い、カナブン取りのために夏の間、墓地中の木を蹴りまくることですさまじい蹴り技を身につけ、豆まきで欲に支配された大人の恐ろしさと、それにどう対処するかを学ぶ。

そして10歳になるころには、いつでも、かの陸軍中野学校に入れるような、はしっこい子供に育つのである。(ウソです)

そんな少年期の終わりに・・・・

あの子供御輿事件は起こったのだった。

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