2004.09.13

チャイニーズスプラッタストーリー(その3)

頭が真っ白になるほど最悪のスプラッタシーン(-_-;)


当時、中国の某所にあった僕の会社は、市内にはいっていく大通りに面して大門があり、そこを入った所に所轄局に所属する会社がいくつもあるブロックの中にあった。

工場の裏手はすぐに海になっていて、岸辺は石組みの簡単な港になっており、そこでは市内の建築に使うコンクリート用の砂を上流の川岸からもってくる小舟が何艘もならんで、砂をおろしていた。

それはある意味で、すっごくのどかな風景だった。

中国に赴任して工場の建設がすむと、僕は時間があるときその港にでて、ぼんやりと砂運びを見ていることがあった。

ぶっちゃけ、東京生まれの東京育ちである僕は、陸では自分の育った環境との、あまりにもの落差に激しく落ち込む事があった。

その点、海はいい。

日本でも中国でもかわらないし。

もっともある日、引き潮で海面に出た岩場の上に腰をおろしてぼんやりしていたら、なにやら動くものがあるのに気づいた。

よっく見てみると、それは仔猫ほどもある、巨大なネズミだった。

しかも一匹ではない。

岩場のカニやら虫を狙っているのか、そこら中の岩の隙間からゾクゾクと出てくるのだ。

気がつくと、のどかな岩場は、数十匹の巨大ネズミに完全に支配されていた。

まるでネズミの惑星だ。

僕は巨大ネズミの群れに包囲されているのだ。

まるで西村寿光の『滅びの宴』の世界だ。

こわかったよん(-_-)

それ以来、僕は岩場なんかには近寄らず、日本から持ち込んだ「原付なのにアメリカン」なホンダのJAZZに乗って、のどかな風景をタバコをくゆらせながら眺める事になった。

ある日、僕が一階の生産管理事務所でお茶を飲んでいると、車にのってどこからか帰ってきた中国人の工場長が、首を振りながら部屋にはいってきた。

どうしたのさ?と聞くと、彼はすっごくイヤそうな顔をして言った

「最悪ですよ。もう、ばっらばら」

何が?

「人間ですよ。ニ・ン・ゲ・ン!!」

事務所にいた他のスタッフが「う~っ!!」と声をたてた。

しかし、僕は違った。

どこで?どこでバラバラなの?

多分その目はキラキラと輝いていただろう。

「大門出たところですよ。私が出かけるときには事故の直後だったらしくて、道路上に散乱してました。多分裏の砂運びの日雇いの人だと思いますけど、車にはねられたあと大型トラックにひかれたらしくて。今車から見たら、拾い集めて一カ所に集めていましたけど」

100メートルも離れていないところで、そんな凄い惨劇がっ!!


バラバラの死体は、中学生くらいのころ、電車への飛び込み自殺のを見たことがあるだけだった。(って、何度も見たことある日本人がいるのか?)それもおおかた処理が終わったところで、僕がみたのは肝臓らしき臓器を拾っているところで・・・・

部屋を出て行こうとする僕を工場長が呼び止めた

「15分後に会議ですよ」

「それまでには帰るから」

僕は愛車のJAZZのエンジンをかけると表通りにむかった。

真夏で気温は40度近くあった。

100m先だって歩いていったら死にそうな暑さなのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「アメリカンバイクだけど原チャリ」というホンダのJAZZで大門の所にやってきた僕は、とりあえずいつものように、大門の脇にある雑貨屋の前にJAZZを止めた。

このお店では、日常雑貨のほかにジュースやお菓子なんかを売っている。

仕事に疲れて社内でほげ~っとしていても、当然他のスタッフの話す中国語が聞こえてくる。

そうなると気持がやすらがない。

そんなわけで、僕はこの店を時々利用させてもらっていた。

店番をしているのは大抵14,5にしか見えない女の子で、(でも実際は18過ぎなんだろう)愛想は悪くないが、僕が店先に出しているテーブルでジュースを飲みながらお菓子を食べている間は、大抵雑誌なんかを読んでいる。

市内に入るちょい手前なので、歩く人はほとんどいない。

ほぼ全員が自転車だ。

だからテーブルに座る僕の耳にはいるのは、通りをひっきりなしに通る車の音だけになる。

僕はジュースを買うと、テーブルについた。

そして鋭い視線を道路上に走らせた。

おおっ!!

確かに!!

そこここに血痕らしい、黒い跡が・・・

しかし、肝心の死体はいずこ?

集めている人だっていないぞ?

すでに回収は終了してしまったのか?

ちょっとがっかりして(ひどい奴ですね。よく考えると)僕は残ったジュースを飲み干した。

その時。

道路のはじっこに、不思議なものを見た。

こんもりとしたかたまりの上に、筵(むしろ)がかけてあるのだ。

まさか?

あれが?

でも、あんな風に、どぶからさらったヘドロのように道ばたにおいておくものか?

バラバラ死体かも知れないが、一時間前には確実に生きて、歩いて、考えてた人間だぞ。

僕は店番をしている女の子に話しかけた。

「ねえ、どぶさらいでもしたの?」

「え?」

「あそこに、なんか筵かけてあるじゃん」

そういうと女の子は、筵の方を見てすっごくイヤな顔をした。

「さっき交通事故があって、人が死んだのよ。で、回収にくるまでおいてあるの」

やっぱり!!

あの筵に被われた塊は、紛れもなくバラバラ死体!!

「見た?事故の時?」

「そりゃ見たわよ。ずっとここに座ってるんだから。トラックにはねられて、コンテナトレーラーにひかれちゃったの。しかもそのあとのトラックにも踏まれて・・・・思い出しただけでも気持悪くなる」

コンテナ車か・・・・

そりゃあ、相当バラバラですな。

僕は筵を見た。

それは、存在を忘れ去られたように放置されたままだ。

見に行くか?

しかし、やっぱそれはまずいだろ・・・・

でも、筵をめくったりしなくても、筵の上からみれば・・・・

ああ、もう会議がはじまる!!

どうしたらいいんだ!!オレはっ!!

その時・・・

僕の目の前をモッコというのだろうか?要するに工事現場なんかでコンクリや砂なんかを運ぶ一輪車を、えっちらおっちらと走らせて、三角のベトコンのかぶるような帽子をかぶった男が通り過ぎていった。

砂運びの日雇いの人だろう。モッコにはスコップが入っている。

日雇いの人はまっすぐに筵の方へと向かっていった。

もしや・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

会社に戻ると、会議室には僕以外の全員がそろっていた。

「円くん。遅刻ですね」

日本人の社長が、特に責めるふうでもなくいった。

社長はここに来る前にも北米や、南米なんかで働いていたことがある。

10分や20分の時間にイライラしていたら、先行き自分がつらくなるだけだとわかってる男なのだ。

日本人スタッフは僕と彼の他に、技術顧問がいるのだが、今日は休みだった。

「すいません」

素直にあやまり席につくと工場長が話しかけて来た。

「見に行ったのか?」

「うん」

すると中国側の副社長がいぶかしげな顔で聞いてきた。

「何を見にいってきたんですか?」

「事故の死体」

同席していた現地の管理職が一斉に興味津々という顔をした。

日本人の社長だけが、中国語で何をいっているのかわからず、ざわつきだした一同を不思議な顔でみていた。

「でも、筵かぶせてあったろ?」

工場長がそういうので、僕は中国語で一気に説明してあげた。

「そうそう。筵がかぶせてあったんだけどさ、帰ろうとするとモッコひっぱって砂運び場の日雇いの人が来たんだよ。モッコのなかにはスコップが一つはいっていてさあ、まさか違うよなと思ったんだけど・・・」

通訳兼社長室付きの女性秘書が、社長に「ちょっとすみません」といって席を外した。

彼女は年齢も僕とほぼ同じだし、唯一日本語をしゃべれる現地スタッフなので、僕とは仲がよかった。

当然僕が何を言い出すかを予期して、席を外したのだ。

「やっぱそうだったんだよね。そいつが筵めくると、なんだかいろんな色の塊があってさ、それをスコップでザクッ!!ってさらうと、モッコのなかに入れてさ。ザクッ!!ザクッ!!って。

日本人の社長をのぞく全員の目が、でっかく見開かれていた。

多分こんなことを、何かに憑かれたように語る人間は見たことがないのだろう。

「黒い髪の毛みたいなのや、黄色の内蔵みたいなのやその他諸々を、ザクッ!!ザクッ!!ってすくってモッコにいれてくの。なんか腕とか足とかはだら~んてなりそうなんだけど、ならなかったからそれだけ細かくバラバラになっちゃったのか、それともそういう大きいパーツはもう持って行ってしまったのかわかんないけどさあ。そいでもって全部モッコにいれたら、上に筵たたんでかぶせて、俺の前通って帰っていった。それがイヤな顔してるわけでもなく、損な仕事させられたって顔してるわけでもなく、砂運ぶみたいに、なんの表情もないんだよね。流石に俺も頭の中が真っ白になって、しばらく動けなくなっちゃって」

女性人事課課長が会議室から出て行った。

他のスタッフもとてつもなくイヤ~ンな感じの表情だ。

「ど、どうしたんですか?」

女性スタッフのみ二人が、急に部屋からでていったので、さすがに社長が僕に尋ねた。

「いや、表通りで事故があって、死体を回収してたってだけの話ですけど」

「そうでしたか。じゃ、会議はじめましょうか。通訳は円君の話きいてないんだからすぐ呼んでください。人事課長はおちついたらでいいですから」

そうして何事もないように会議がはじまった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会議が終わり、僕と日本人社長は、日本人専用の食堂でカレーを食べていた。

普段の僕は、下の工員用食堂で、工員と同じものを食べたりすることが多い。

でも技術顧問が休みとなると、社長一人で食事させるわけにもいかない。

コックに免税店で買ったハウスのカレールーとチキンコンソメを渡して、カレーの作り方を教えておいて、つくっておいてもらったのだ。

僕は食事の前に、さっき中国語で話した通りの内容を社長にきかせてあげた。

もちろん社長が要求したからである。

「そうでしたか。私は女性スタッフがいきなり部屋から出て行ったので、何か強烈なシモネタでも言ったのかと思いましたが。それにしてもそんなのよく見にいきましたね。まあ、円君は映画みるにしても、妙な映画ばかりみてますけど」

ここでいう妙な映画というのはスプラッタムービーの事ではない。

当時お互いに持っているビデオを貸しあっていたのだが、社長は奥さんと僕と同じ年の娘を伴っての赴任である。社長はともかく、奥さんは極めて健康的ないい人なので、スプラッタムービーなんか見せる訳にはいかない。(娘は現地の大学に留学して学生寮にすんでいた)それにスプラッタものは全部8mmビデオだし。僕が社長に貸したのは『ゴダールのマリア』や『ミツバチのささやき』『エル・スール』なんかである。

これを妙な映画といわれてもなあ~

「別にそんな光景見たかった訳では。ちょっと死体がみれるかなあと思っただけで。でも、どうなんですかね?正直死体を道ばたに放置しておくのもどうかと思いますけど、まるでそこいらの砂や、石やゴミと同じに、スコップですくってザクッ!!ザクッ!!っていうのは」

「まあ、そんなもんでしょう。日本が特別なんですよ。アフリカじゃ普通に餓死した人が野ざらしになってる訳だし、ナチのユダヤ虐殺のフィルムみたって、なんか数百体がひとくくりって感じでモノ扱いで穴に埋められてるじゃないですか。見ると激しく違和感を感じる光景ですけど、一般的にいったら、死体なんてその程度の扱いしか受けられないもんなんじゃないですかね」

ん~。そういうものなのかな。

「死体といえども丁寧に扱われるのが常識である現代の日本人だということが、世界的にみれば幸運だと言うことです。100年もさかのぼれば死体が野ざらしなんて普通だし。203高地の戦闘とか、第二次大戦の時の南洋の島々とかでもそうでしょう」

それはそうかも。

それにしても・・・・

「社長もこんな話ししながら、よくカレーなんか食べられますね」

「いや~僕は遠洋乗ってた事あるから、全然平気です。「あいつちょっとあぶないかも」とかいってて、ある日ドアあけたら首つってるなんていうのはけっこうあったし、一番イヤだったのは、船の窓ぼんやりと見てたら、頭おかしくなって海に飛び込んだ奴がいて、窓を隔てて海におちていくそいつの、ひきつった顔と目があっちゃった時ですかね。死体はあがらなかったけど、そいつが最後に見たのが私の顔だと思ったらイヤでしたよ。まあ、怪我なんかはしょっちゅうあったけど、ひどい怪我だと、血をとめるのが忙しくて気持ち悪いとか思うヒマもないもんです」

そういうと社長はカレーを口に運んだ。

「カレーはいいですね。カレー粉さえあれば、肉、じゃがいも、にんじんに玉葱で、どこの国にいっても同じ味のものができますから」

僕は嬉しそうにカレーを食べる社長を見ながら、オレもいつかはカレー粉のような人間になりたいと思っていた。

「円君はいいですね。円君さえいれば、世界中どこ行っても同じモノができますから」


とある事情で、海外での仕事を断念せざるをえなかった僕は、結局その夢を果たせそうにはない。


The End

NEXT 「すばらしき中野区ー少年達の祭りー」

Uploads on coming monday!!

see you (^_-)

| TrackBack (0)

2004.09.06

チャイニーズスプラッタストーリー(その2)

共産圏に乞食なんて・・・90年代初頭。パンドラの箱が開いたような中国での話

中国に住んでいた頃、「ありゃ?」とか「ウオッ!!」と思うモノは色々見た。

最初にびっくりしたのは、僕が馴染みのホテルのレストランの裏口から出ると(別にお金を払わず逃げようとしたわけではない。表から出るとホテルの正面玄関を通ることになり、両替屋なんかがうるさいので、僕はいつも裏口から出てたのだ)子供がかけよってきた。

そして左手の上に折りたたんだ汚い紙をのせ、それを右手の二本の指でたたきながら何かを言ってくる。

中国に住み始めて二年目くらいのことで、中国語がようやく話せるようになった頃だ。僕にはその見知らぬ子供が何を言っているのかわからなかった。

しかし、子供は一生懸命何かいいながら、左手に乗せた紙を右手でたたく。

これはどういう事なのだ?

ホテルから出た時に、タクシーの運転手や、当時外国人向きに発行されてた外貨券を人民元に交換する両替屋にしつこく声をかけられることはあったが、子供に声をかけられるのははじめてだ。

そっか!!

きっとこの子は、標準語がしゃべれないのだ。

そして初めてのお使い宜しく、左手の上の紙片にご用の内容が書いてあるのだ。

多分バスの停留所を教えてくれとか書いてあるに違いない。

僕はその子の左手の上にのってる紙片をひょいと取り上げた。

すると・・・・・

子供はピョンピョンはねながら、僕がとりあげた紙片に飛びつこうとする。

「?」

違うのかな?

初めてのお使いじゃないのかな?

僕は紙片を広げて見た。

それは紙片ではなく、ボロボロになり、黒く変色した人民元!!

おおっ!!

わかったぞ!!

これはっ!!

乞食という奴?

僕が子供の頃、永井豪のマンガ(多分)で『おもらいくん』というかなりキョーレツなマンガがあった。

当時の僕たちでさえ、「キツイ!!」と感じたくらいだから、今、あの本を復刻したら10代の子供達はどう思うだろう?

だが、僕が子供の頃でさえ、すでに道路のはじっこに筵広げて、空き缶をおき、お金を恵んでくれる人を待つという人たちはマンガの中にしか存在しなかったのだ。

まさか共産圏で乞食を見るとは・・・(って乞食って単語は使っていいのかな?まあ、変換できるんだから大丈夫なんだろう)

あっ・・・・

俺、乞食の子供からお金を奪ってしまったよ。

ギャングだよ。

まさに日本鬼子。

鬼畜にもまさる所行だよん。


事情をようやく理解した僕は、必死になってとびかかる子供にお金を返してあげた。

そんな不憫な身の上とは知らず、悪いことをしたな、ボク。

子供はお金をしっかりつかむとボクを睨みつけた。

まあ、乞食を生業としている彼からすれば、まさかこの世に乞食のお金をむしり取る極悪非道な人間がいるとは思いもしなかっただろう。


だがその時・・・・・

僕の背後にあるホテルのレストランの裏口から、華麗なチャイナドレスに身を包んだ若い女性が飛び出してきた。

僕と仲良しのチーフウエイター(っていうかウエイトレス)であり、太股までスリットのはいったチャイナドレスはレストランの衣装である。

彼女は僕にニコリと会釈すると、5歳になったかならないかの子供をにらみつけると同時に、チャイナドレスの裾をちょっとだけ上げた。

そして・・・・

「うちの大事なお客様に、なにするんじゃ~っ」と(当然中国語で)いうと、情け容赦なしに白いふくらはぎを見せて、子供の太股に強烈なキックを見舞ったのだ!!

当然子供はその場から動けなくなった。

「さ、こちらへ。今日は正面玄関からお帰りになってくださいね」

と、とりあえず、あの幼子の心の中に「日本人=悪い奴」という公式がインプットされないでよかったよん(-_-;)

でも、彼は絶対チャイナドレス嫌いになったと思うな。

「僕のトラウマはチャイナドレスです。子供の時に物乞いをしてたら外国人と思われる男性にお金をむしり取られて、そのうえ、ホテルのチャイナドレスのお姉ちゃんにケリいれられました」

ある意味あり得ないトラウマ・・・・

・・・・・・・・・・・・・

それから二年後。

僕の住んでいる町にホリディ・インができた。

五つ星を取るために作られたそのホテルは、完璧なアメリカンスタイルで、一階のカフェにはデリカテッセンがあり、そこには沢山のチーズ類が並んでいた。

おまけにテレビもNHKのBS放送とWOWOWまで見ることができたのだった。

その年の旧正月休み、僕は日本に帰らずにホリディ・インのビジネススイートに部屋を取り、のんびり過ごすことにした。

朝は前の日に注文しておいたルームサービスのノックで目を覚まし、テレビをつけてWOWOWの映画なんかを見ながらクイーンサイズのベッドで朝食を食べる。

1時頃、下のカフェでハンバーガーや、ホットドッグ、アメリカンクラブサンドイッチなどを食べ、掃除が終わった部屋に戻るとまたテレビを見て、4時頃になるとフィットネスルームにいく。

軽く汗を流して、サウナにはいり、マッサージをしてもらい部屋に帰ると6時半。

下のカフェにいってバイキングの料理が気に入ればバイキングにして、気に入らなければラムチョップや、ステーキなんかを注文して食べる。

で、部屋に帰ってまたテレビ。

ああ、これで夜伽の美女がはべってくれたらマジで天国の日々・・・・

でも4日もそういう生活をすると飽きてくる。

しょうがない。今日は正月だし、メインストリートでも歩いて来るか。

僕は完璧に衛生的な環境から、まんま中国な町に繰り出した。

メインストリートは人でごった返している。

ふ~ん。正月でも店あけるんだな。

いままで旧正月は一週間休みだったから、日本に帰ってて知らなかった。

僕は人混みにまざって、メインストリートをゆるゆると進んだ。

すると10mくらい先で、人が両側に分かれているのが見えた。

これまで以上にぎゅうぎゅうな道の両側。

誰も歩いてない道の中央。

なんか終電のゲロ吐き車両みたいな・・・・・

もちろん僕はそのまままっすぐ進んだ。

でも、すぐにホテルにいればよかったと後悔したよん。

道の真ん中には筵がひかれていた。

そしてその上には空き缶がおかれている。

だが、もちろん筵と空き缶がおいてあるくらいでよける中国人なんていない。

みんながよけていたもの。

それは筵の上にごろんとおかれたままになってる人間だ。

その男には、膝から下がなかった。

左腕もなかった。

全身は凄まじく薄汚れている。

まるでどっかから、この町の中心部までゴロゴロ転がってきたような汚れ方だ。

まったく動かないので生きているのかどうかすらわからないが、流石に呼吸を確かめる勇気はなかった。

その理由。

うまく表現できないのだけど、残っている太股の部分に車のタイヤをきったものが巻き付けてあったのだ。

(-_-;)?

アナタハガンタンクナノデスカ?

人間想像もしてなかったものを見ると、とんでもない事を考えてしまう。

そんなわきゃね~!!

流石の僕も10元札を缶の中にいれた。

中国の南方に位置するとはいえ、2月は東京並みに寒い。

その寒さのなか、歩道の真ん中に筵敷かれて、その上に空き缶と共にうち捨てられたようにおかれている片腕と両足のない男。

しかも両足には何故かキャタピラのように車のタイヤが・・・

こんな正月イヤだよん・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

正月明け、僕は秘書に聞いてみた。

「あのさ、正月メインストリート歩いていて、すっごい乞食みちゃったんだけど」

「ああ、足のない人ですか?私も見ましたよ」

「ホント?車のタイヤしばりつけてたでしょ?」

「はい」

「あれってなんでつけてるのかなあ?」

「わからないんですか?」

「わかるの?」

「当然じゃないですか。膝から下がないんだから、ズルズルはいずるしかないでしょう?でも、ズボンはいてたら、すぐズボンがやぶけちゃうし、ズボンはいてなかったらすりむいちゃうじゃないですか。でも、車のタイヤああしてつけておけば、いくらはいずりまわっても、全然すり切れないで、10年でも20年でも使えますよ」

「・・・・・」

「もしかしてお金あげちゃいました?」

「うん。正月だっていうのに、あまりにもかわいそうなんで10元あげた」

すると秘書は頭を振っていった

「ダメですよ。あの人が一人ではいずりながらあそこまで来たと思うんですか?元締めがいて、朝、あの人をあそこにおいていくんですよ。お金あげても、あの人の懐には一円もはいらないです。元締めが儲かるだけなんだから。誰もお金を恵まなければ元締めも彼も別の町にいっちゃうんです。」

そのほかにも、ああいう人たちが何故できちゃうのかってことも聞いたけど、それは伏せておく。

でも、僕はどうしてもあのタイヤが気になった。

秘書の説明によると、一種のサイボーグみたいなものか?

「あのさ、俺思うんだけど、タイヤああやってつけるくらいなら、車椅子買ってあげればいいと思うんだよね」

秘書は「はあっ?」というような顔をして僕を見た。

「あの・・・・彼は乞食ですよ?車椅子買える訳ないでしょう?それに車いすのってたら乞食の仕事できないですよ」

まあ、確かにそうだよね(-_-)

でもなあ

日本人の感覚からすると、四肢のうちの3つがない人を、ゴムタイヤ切ったのとりつけて道ばたに放置するだけではなく物乞いにしちゃうっていうのが抵抗あるんだよ。

別に良い子ぶる訳じゃないんだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だが、そんな僕のナイーブさをあざ笑うような事件がおこった。

それは僕が経験したなかで、もっともシュールな光景であり・・・・・

僕の死生観に、決定的な何かをもたらせたのだった。

Uploads on coming monday!!
see you (^_-)

| TrackBack (0)

2004.08.30

チャイニーズスプラッタストーリー(その1)

僕が働き始めた頃、日本はスプラッタムービーブーム。僕も週に一度はドバッと血が飛び散る映画をみないと、なんとなく体調が悪くなるくらいだったが・・・・・

今は福建省と広東省の沿海部は高速道路でつながり、移動も快適になった。

何年か前、福州から広州まで高速を走ったが、道路はいつもすいていて、とっても快適だった。

トイレもなんとか使えたし。

まあ、これだけの道路つくって、こんなに車が少なくて、ペイするのだろうか?ってことは考えたのだが、共産圏ではあるし、ペイするかどうかは、あんまし関係ないのだろう。(日本だってずっと関係なくやってきたし)

しかし、僕が住んでいたころは高速がやっと工事に入った頃で、当然のごとく、一般道路を利用して移動した。

2年目からは、年に数度出張するだけになったのだが、一年目は経済特区間の300キロの距離を月に何度か往復する生活だった。

当時中国には信号というものはほとんどなかった。

片道300キロの行程にあった信号は1個だけ。

だったら300キロなんてたいした事ないどろうと思いきや、これがワンボックスカーで8時間。セダンで6時間かかるのが普通だった。

何故かというと、都市部はともかく、そこをでると、未舗装とまではいかなくてもそれに近い道が多くスピードが出せない。

しかも農村部にはいると、走っているのは、トラクターに荷台をつけた車がほとんどで、これが時速20キロくらいの、のどかな速度で走り道をふさぐ。

我々はそれを対向車線に入って追い抜いていく。

そしてこれがすっごく危険なのだ。

何故かというと、当然のごとくこの荷台付きトラクターにはバックミラーもウインカーもない。

つまり、追い抜こうとするといきなり向こうもハンドルを切ってきたりするのである。

従い300キロ走ると、大抵3台は事故で畑やら水田におっこった車をみるハメになる。

そうなると中国の農村では救急車が来るってこともなく、(当時農村部では電話自体が普及してない。今は中国での携帯の普及率は凄いが、携帯電話がでてくるのはこの話より3~4年後である)自力で、やってきた車をつかまえて町までのせてもらうしかない。

「ひどい事故で、そんなことできなかったらどーすんの?」って疑問は当然でると思うけど、その場合はどこからか中国人の農民が現れて、「ダメだ死にそうだ。パスポート残して有り金もらっとこ」という事になるのが普通だといわれていた。

まあ、当時の中国の農村部にはまっとうな医者もいないし、交通事故で動けないほど負傷した患者を救うだけの設備だってないから、野生動物と同じで、大けがしたら死ぬしかないといえば、そうなんだけど。

そんな訳で当時の中国在住外国人は三つの手段のうちのいずれかをとることになる。

1.自分が住んでる地域からでない。農村部にはいかない。
2.他の都市にいくときは飛行機を使う。自分の住んでいるところから直行便がなければ香港に一度でて、香港経由で向かう
3.腕のいい長距離タクシーのドライバーと知り合いになる。

僕がとったのはもちろん3だ。

特にお気に入りなのが二人いて、北の訛り(というか本来はそれが正統な中国語なんだけど)で話すホテル付きの運転手が一人(こいつはすっごく腕が良くて300キロを普通5時間。早いときは4時間で走った)、もう一人は機転もきき、話も楽しい白いクラウンを持ってる個人タクシーの運転手だった。

ある日、僕は白いクラウンに乗って、300キロ先の都市に向かっていた。

長距離移動の時は、前日から水分を控え、「大」を催したりしないように食べ物にも気を遣う。

道中「大」をしたくなったら、悲惨だ。

ちょっとした都市部まで我慢できれば地元のホテルでトイレを借りることもできるが、そうでなければ畑の真ん中で、普段農作業している農民がつかうトイレを使わなければならない。

大抵は石で組んだトイレ小屋で、しかも水田にポットンと落ちるタイプだ

せっかくなら出したモノがストレートに水田にポットンと落ちる仕組み(日本のくみ取り式のような)にしてくれればいいのだけど、何故か斜めにスロープのついた石板を通じて水田に落ちる仕組みになっている。

でもさ、「大」って石板の上をするすると滑っていかないじゃん?

当然たまっているのだ。

見たこともない量の他人の「大」が。

しかも夏になると、そこに思いっきりウジがわいてたりする。

「小」ならなんとかできるけど、流石に「大」は無理。

「ダメだ!!がまんできない!!」と思って、恐る恐る駆け込むのだが、座る前にあれほど強烈だった便意がすっかり失せて車に戻ったことが二度ほどあった。

はじめて農村トイレを使ったときも、このクラウンの運転手だったが、おもわずトイレからでてカラえずきをはじめた僕を見て、彼は言ったものだ。

「下から出そうとトイレにいって、上から出したな」

くそっ。

その日は前日の昼から、おかゆ意外は食べないようにしていたので、僕は便意に悩まされることもなく、香港でジャケットだけ見て買い集めたミュージックテープをウォークマンで聞いて、なかなかご機嫌だった。

道はすいていて、運転手もご機嫌だった。

すると、曲がり角をまがったところで、いきなり公安(警察)が道をふさいでいるのが見えた。

運転手が公安にタバコを差し出しながら「どうしたんだ?」ときくと公安はタバコを胸ポケットに入れ「事故だから、ちょっと待て」と言う。

確かに道の先で、大型バスとトラックがぶつかっていて、路肩にはバスの乗客らしい人が何人も体育座りをしている

「事故?死んだのかな?」と僕は運転手に聞いた。

「死なないと公安は出てこないよ。」

運転手が言う。

僕は我慢できなくなった。

当時の日本は、スプラッタムービーブームである。

僕もスプラッタものは大好きで、日本に帰ると、レンタルショップで借りたスプラッタムービーを8mmビデオにダビングして、両脇にカセットテープを重ね、ガムテープでまとめ中国に持ち込んでいた。

当時の中国はビデオテープに対する規制が厳しく、VHSは税関で一度接収され、中身をチェックしたあと、返却される。

エロはもちろん、スプラッタムービーなんかは当然返却されずに没収だ。

だが当時、中国の税関は8mmビデオの存在を知らなかった。

だから、ミュージックビデオの間に挟んでガムテープでまいておけば、X線検査をかけられても、ビデオテープだとはわからなかったのだ。

「あのさ、俺、救急道具もってるからちょっとみてくるわ。救急車きてないみたいだし」

そういって車から降りたが、もちろん第一の目的は、一体どんな凄い事故なのか確認する為である。

不謹慎なのは百も承知。

だが、当時の中国は今みたいに夜になると着飾ったおねーちゃんがわき出たりすることもなく、テレビは果てしなくつまらなく、殴り合いの喧嘩をすればすぐにしょっ引かれ、つまり火事やら事故やらがない限り、面白いことなんか一つもない国だった。

火事と喧嘩が江戸の華だったのと同じ。

不意におこる交通事故や、火事、事故は生活を彩る貴重なイベントだったのだ。

果たして死人はでているのか?

死体はあるのか?

どんな死体なのか?

公安にとめられるかと思ったが、公安は外国製のタバコを一箱もらったせいか何もいわなかった。

僕は消毒薬とバンドエイドがはいったポーチをもって事故現場に向かった。

路肩に体育座りをしている人たち30人以上。

みな口を押さえている。

前歯が折れてしまったのだとわかった。

おそらく追突のショックで前の座席にぶつかり折れてしまったのだろう。

他に怪我をしているところはなさそうだ。

口のなかにはバンドエイドもはれないしなあ。

とりあえずみな軽傷みたいなので、先に向かった。

バスの左側に砂利運搬するような頑強なトラックが追突している。

バスの左前方は大破だ。

ぐしゃぐしゃにつぶれている。

僕は後ろの席から見ていった。

もう誰も乗っていない。

前の方にいくと、シートそのものが前のめりになっている。

そして。

バスの左側2番目の席にそれはあった。

その部分は外壁ももげてしまっているので、もろ見えだ。

2番目のシートは床を離れて1番目のシートの背の部分にぺたんとくっついている。

そして、両方のシートの間には・・・・・・


圧殺されたぺったんこの死体・・・・・・

キターッ(>_<)


すっげえ~


このヒト、厚さが10センチくらいになってるよ・・・・


脳みそ飛び出してるよ・・・・


いや~


バンドエイドじゃ、どうにもならねっ(>_<)


気がつくとバスの床は血だらけで、その血が僕の足下にもゆるゆると流れだしてきていた。


「うおっ!!」


地面を流れ始めた血を見ながら飛び退いた時に見たモノ。


白い球体・・・・


眼球だよ。これ・・・


はじめてみた。


人体から飛び出した眼球。


なんというか・・・・


手足が生えてこちらに歩いてきそうなきがするよん(-_-)

・・・・・・・・・・・

車に戻った僕は、異様にハイになっていたに違いない

「どうだった?死んでいたか?」

運転手が僕に尋ねた。

「一人だけどね」

僕は答えた。

「一人?たった?それにしてはおまえ、なんか嬉しそうだな?凄いのか?」

僕はあわてて顔をしかめた

「まあ、凄いっていえば・・・ぐちゃぐちゃだし」

「本当かよ!!俺も見にいこっ!!」

運転手はシートベルトをはずしドアを開けようとしていた。

「やめたほうがいいと思うよ。多分気持悪くなるよ」

「何いってんだ!!おまえが大丈夫なのに、俺が気持悪くなるわけあるかっ!!」

そういうと運転手は車をおりて、ぺちゃんこ死体の所に向かった。

僕は後部座席から身を乗り出してそれを見ていた。

運転手は僕と同様に、口をおさえている乗客を見た。

そして、妙にルンルンしたステップで、ぺちゃんこ死体へと向かった。

そのころには血も路上を広がっていたので、彼は血を踏まないようにまず下を見て、血だまりを避け、慎重に立ち位置をきめてから、バスの座席部分を見た。

一瞬、彼の体が硬直したのが、20mくらい離れた車のなかからもわかった。

すると彼は、路肩に猛然とダッシュして、吐きはじめた。

だから見ない方がいいって言ったのに・・・・・

行きとはうってかわったよろよろした足取りで彼が戻ってきた。

それを見て僕はおもわずクスクスと笑った。

車のドアを開けると、真っ青な顔をして言った

「信じられね~。おまえ、なんであんなもん見て、平気なんだ?」

「まあ、慣れているからね。ああいう死体見るのは(ビデオでだけど)」

信じられないという顔で頭を振ると、彼は「就業証貸してくれ」といった。

僕の就業証には会社名と役職が書いてある。

当時はまだ、中国に投資している会社はすくなかった。

僕が住んでいた経済特区でさえ、まだ三社くらいだった。

天安門の直後である。

単なる外国人と中国に投資してる役付の外国人は違う。

公安は僕等の車だけ、先に通してくれた。

事故現場を通過するとき、僕はもう一度ぺちゃんこの死体を見た。

そして、バスに乗るときは絶対左側の前には乗らないでおこうと誓った。

中国のとんでもない田舎で、ぺちゃんこになって目玉を道路にコロコロさせて死ぬのは、あまりにも悲しすぎるし。

今はこうやって見ている立場だけど、明日どころか、10分後には我が身にふりかかってもちっともおかしくないのだ。

「でもさ、まあ、お気の毒だったよね」

僕は運転手にいった。

中国の南方では帝国時代の日本人は虐殺なんかはやっていないので、「日本鬼子」扱いされることはないけど、こういうとき喜んでいたりすると、どこで噂が広まるかわからない。

テレビなんかでは時々731部隊とかやってるし。

「う~ん。俺も5年長距離の運転手してるけど、あれは凄かった。でもさ、中国は人口多いから、一人や二人死んでもどうってことないよ」


(-_-)


それは、僕がはじめて中国人の本音を聞いた瞬間だった。


Uploads on coming monday!!
see you (^_-)

| TrackBack (0)