チャイニーズスプラッタストーリー(その1)
僕が働き始めた頃、日本はスプラッタムービーブーム。僕も週に一度はドバッと血が飛び散る映画をみないと、なんとなく体調が悪くなるくらいだったが・・・・・
今は福建省と広東省の沿海部は高速道路でつながり、移動も快適になった。
何年か前、福州から広州まで高速を走ったが、道路はいつもすいていて、とっても快適だった。
トイレもなんとか使えたし。
まあ、これだけの道路つくって、こんなに車が少なくて、ペイするのだろうか?ってことは考えたのだが、共産圏ではあるし、ペイするかどうかは、あんまし関係ないのだろう。(日本だってずっと関係なくやってきたし)
しかし、僕が住んでいたころは高速がやっと工事に入った頃で、当然のごとく、一般道路を利用して移動した。
2年目からは、年に数度出張するだけになったのだが、一年目は経済特区間の300キロの距離を月に何度か往復する生活だった。
当時中国には信号というものはほとんどなかった。
片道300キロの行程にあった信号は1個だけ。
だったら300キロなんてたいした事ないどろうと思いきや、これがワンボックスカーで8時間。セダンで6時間かかるのが普通だった。
何故かというと、都市部はともかく、そこをでると、未舗装とまではいかなくてもそれに近い道が多くスピードが出せない。
しかも農村部にはいると、走っているのは、トラクターに荷台をつけた車がほとんどで、これが時速20キロくらいの、のどかな速度で走り道をふさぐ。
我々はそれを対向車線に入って追い抜いていく。
そしてこれがすっごく危険なのだ。
何故かというと、当然のごとくこの荷台付きトラクターにはバックミラーもウインカーもない。
つまり、追い抜こうとするといきなり向こうもハンドルを切ってきたりするのである。
従い300キロ走ると、大抵3台は事故で畑やら水田におっこった車をみるハメになる。
そうなると中国の農村では救急車が来るってこともなく、(当時農村部では電話自体が普及してない。今は中国での携帯の普及率は凄いが、携帯電話がでてくるのはこの話より3~4年後である)自力で、やってきた車をつかまえて町までのせてもらうしかない。
「ひどい事故で、そんなことできなかったらどーすんの?」って疑問は当然でると思うけど、その場合はどこからか中国人の農民が現れて、「ダメだ死にそうだ。パスポート残して有り金もらっとこ」という事になるのが普通だといわれていた。
まあ、当時の中国の農村部にはまっとうな医者もいないし、交通事故で動けないほど負傷した患者を救うだけの設備だってないから、野生動物と同じで、大けがしたら死ぬしかないといえば、そうなんだけど。
そんな訳で当時の中国在住外国人は三つの手段のうちのいずれかをとることになる。
1.自分が住んでる地域からでない。農村部にはいかない。
2.他の都市にいくときは飛行機を使う。自分の住んでいるところから直行便がなければ香港に一度でて、香港経由で向かう
3.腕のいい長距離タクシーのドライバーと知り合いになる。
僕がとったのはもちろん3だ。
特にお気に入りなのが二人いて、北の訛り(というか本来はそれが正統な中国語なんだけど)で話すホテル付きの運転手が一人(こいつはすっごく腕が良くて300キロを普通5時間。早いときは4時間で走った)、もう一人は機転もきき、話も楽しい白いクラウンを持ってる個人タクシーの運転手だった。
ある日、僕は白いクラウンに乗って、300キロ先の都市に向かっていた。
長距離移動の時は、前日から水分を控え、「大」を催したりしないように食べ物にも気を遣う。
道中「大」をしたくなったら、悲惨だ。
ちょっとした都市部まで我慢できれば地元のホテルでトイレを借りることもできるが、そうでなければ畑の真ん中で、普段農作業している農民がつかうトイレを使わなければならない。
大抵は石で組んだトイレ小屋で、しかも水田にポットンと落ちるタイプだ。
せっかくなら出したモノがストレートに水田にポットンと落ちる仕組み(日本のくみ取り式のような)にしてくれればいいのだけど、何故か斜めにスロープのついた石板を通じて水田に落ちる仕組みになっている。
でもさ、「大」って石板の上をするすると滑っていかないじゃん?
当然たまっているのだ。
見たこともない量の他人の「大」が。
しかも夏になると、そこに思いっきりウジがわいてたりする。
「小」ならなんとかできるけど、流石に「大」は無理。
「ダメだ!!がまんできない!!」と思って、恐る恐る駆け込むのだが、座る前にあれほど強烈だった便意がすっかり失せて車に戻ったことが二度ほどあった。
はじめて農村トイレを使ったときも、このクラウンの運転手だったが、おもわずトイレからでてカラえずきをはじめた僕を見て、彼は言ったものだ。
「下から出そうとトイレにいって、上から出したな」
くそっ。
その日は前日の昼から、おかゆ意外は食べないようにしていたので、僕は便意に悩まされることもなく、香港でジャケットだけ見て買い集めたミュージックテープをウォークマンで聞いて、なかなかご機嫌だった。
道はすいていて、運転手もご機嫌だった。
すると、曲がり角をまがったところで、いきなり公安(警察)が道をふさいでいるのが見えた。
運転手が公安にタバコを差し出しながら「どうしたんだ?」ときくと公安はタバコを胸ポケットに入れ「事故だから、ちょっと待て」と言う。
確かに道の先で、大型バスとトラックがぶつかっていて、路肩にはバスの乗客らしい人が何人も体育座りをしている
「事故?死んだのかな?」と僕は運転手に聞いた。
「死なないと公安は出てこないよ。」
運転手が言う。
僕は我慢できなくなった。
当時の日本は、スプラッタムービーブームである。
僕もスプラッタものは大好きで、日本に帰ると、レンタルショップで借りたスプラッタムービーを8mmビデオにダビングして、両脇にカセットテープを重ね、ガムテープでまとめ中国に持ち込んでいた。
当時の中国はビデオテープに対する規制が厳しく、VHSは税関で一度接収され、中身をチェックしたあと、返却される。
エロはもちろん、スプラッタムービーなんかは当然返却されずに没収だ。
だが当時、中国の税関は8mmビデオの存在を知らなかった。
だから、ミュージックビデオの間に挟んでガムテープでまいておけば、X線検査をかけられても、ビデオテープだとはわからなかったのだ。
「あのさ、俺、救急道具もってるからちょっとみてくるわ。救急車きてないみたいだし」
そういって車から降りたが、もちろん第一の目的は、一体どんな凄い事故なのか確認する為である。
不謹慎なのは百も承知。
だが、当時の中国は今みたいに夜になると着飾ったおねーちゃんがわき出たりすることもなく、テレビは果てしなくつまらなく、殴り合いの喧嘩をすればすぐにしょっ引かれ、つまり火事やら事故やらがない限り、面白いことなんか一つもない国だった。
火事と喧嘩が江戸の華だったのと同じ。
不意におこる交通事故や、火事、事故は生活を彩る貴重なイベントだったのだ。
果たして死人はでているのか?
死体はあるのか?
どんな死体なのか?
公安にとめられるかと思ったが、公安は外国製のタバコを一箱もらったせいか何もいわなかった。
僕は消毒薬とバンドエイドがはいったポーチをもって事故現場に向かった。
路肩に体育座りをしている人たち30人以上。
みな口を押さえている。
前歯が折れてしまったのだとわかった。
おそらく追突のショックで前の座席にぶつかり折れてしまったのだろう。
他に怪我をしているところはなさそうだ。
口のなかにはバンドエイドもはれないしなあ。
とりあえずみな軽傷みたいなので、先に向かった。
バスの左側に砂利運搬するような頑強なトラックが追突している。
バスの左前方は大破だ。
ぐしゃぐしゃにつぶれている。
僕は後ろの席から見ていった。
もう誰も乗っていない。
前の方にいくと、シートそのものが前のめりになっている。
そして。
バスの左側2番目の席にそれはあった。
その部分は外壁ももげてしまっているので、もろ見えだ。
2番目のシートは床を離れて1番目のシートの背の部分にぺたんとくっついている。
そして、両方のシートの間には・・・・・・
圧殺されたぺったんこの死体・・・・・・
キターッ(>_<)
すっげえ~
このヒト、厚さが10センチくらいになってるよ・・・・
脳みそ飛び出してるよ・・・・
いや~
バンドエイドじゃ、どうにもならねっ(>_<)
気がつくとバスの床は血だらけで、その血が僕の足下にもゆるゆると流れだしてきていた。
「うおっ!!」
地面を流れ始めた血を見ながら飛び退いた時に見たモノ。
白い球体・・・・
眼球だよ。これ・・・
はじめてみた。
人体から飛び出した眼球。
なんというか・・・・
手足が生えてこちらに歩いてきそうなきがするよん(-_-)
・・・・・・・・・・・
車に戻った僕は、異様にハイになっていたに違いない
「どうだった?死んでいたか?」
運転手が僕に尋ねた。
「一人だけどね」
僕は答えた。
「一人?たった?それにしてはおまえ、なんか嬉しそうだな?凄いのか?」
僕はあわてて顔をしかめた
「まあ、凄いっていえば・・・ぐちゃぐちゃだし」
「本当かよ!!俺も見にいこっ!!」
運転手はシートベルトをはずしドアを開けようとしていた。
「やめたほうがいいと思うよ。多分気持悪くなるよ」
「何いってんだ!!おまえが大丈夫なのに、俺が気持悪くなるわけあるかっ!!」
そういうと運転手は車をおりて、ぺちゃんこ死体の所に向かった。
僕は後部座席から身を乗り出してそれを見ていた。
運転手は僕と同様に、口をおさえている乗客を見た。
そして、妙にルンルンしたステップで、ぺちゃんこ死体へと向かった。
そのころには血も路上を広がっていたので、彼は血を踏まないようにまず下を見て、血だまりを避け、慎重に立ち位置をきめてから、バスの座席部分を見た。
一瞬、彼の体が硬直したのが、20mくらい離れた車のなかからもわかった。
すると彼は、路肩に猛然とダッシュして、吐きはじめた。
だから見ない方がいいって言ったのに・・・・・
行きとはうってかわったよろよろした足取りで彼が戻ってきた。
それを見て僕はおもわずクスクスと笑った。
車のドアを開けると、真っ青な顔をして言った
「信じられね~。おまえ、なんであんなもん見て、平気なんだ?」
「まあ、慣れているからね。ああいう死体見るのは(ビデオでだけど)」
信じられないという顔で頭を振ると、彼は「就業証貸してくれ」といった。
僕の就業証には会社名と役職が書いてある。
当時はまだ、中国に投資している会社はすくなかった。
僕が住んでいた経済特区でさえ、まだ三社くらいだった。
天安門の直後である。
単なる外国人と中国に投資してる役付の外国人は違う。
公安は僕等の車だけ、先に通してくれた。
事故現場を通過するとき、僕はもう一度ぺちゃんこの死体を見た。
そして、バスに乗るときは絶対左側の前には乗らないでおこうと誓った。
中国のとんでもない田舎で、ぺちゃんこになって目玉を道路にコロコロさせて死ぬのは、あまりにも悲しすぎるし。
今はこうやって見ている立場だけど、明日どころか、10分後には我が身にふりかかってもちっともおかしくないのだ。
「でもさ、まあ、お気の毒だったよね」
僕は運転手にいった。
中国の南方では帝国時代の日本人は虐殺なんかはやっていないので、「日本鬼子」扱いされることはないけど、こういうとき喜んでいたりすると、どこで噂が広まるかわからない。
テレビなんかでは時々731部隊とかやってるし。
「う~ん。俺も5年長距離の運転手してるけど、あれは凄かった。でもさ、中国は人口多いから、一人や二人死んでもどうってことないよ」
(-_-)
それは、僕がはじめて中国人の本音を聞いた瞬間だった。
Uploads on coming monday!!
see you (^_-)
