« November 2008 | Main | February 2009 »

2009.01.26

傘男と年末幽霊騒動 その2

もちろんその時は単なる目の錯覚だと思った。

僕は「気配」を感じる事はあっても、そういうものを見た事はない。

台湾旅行の時でも、はっきりのしかかられた感覚はあったけど、姿は見なかった。

病院のCCUに入院したときには、声が聞こえたり、うっすらと見えたりしたが、声はともかく、見えたのは自分のイマジネーションが補佐しているという自覚があった。

それに半ば拡がった傘を、地べたに腰を下ろした男と錯覚しても、それはそれでアリな気がするし、何よりもそれ以降、階段をおりた時に、その男をみなかったし、幽霊の類を見たりもしなかったからだ。

ところがそれから数週間が過ぎて・・・・

いつものように朝、階段をおりていった僕は、また階段をワンフロアおりたところにある部屋の玄関の前で、同じ男が、今度は完全な体育座りをして、ぼおっと遠くを眺めている姿をみつけて、「うわっ(>_<)!!」と声を出した。

朝のマンションの玄関前で、体育座りをしているスーツ男を見たら、誰だって驚くに違いない。

大体、うちのマンションは一応オートロックで、住人以外は入ってこれないことになっている。

ひきつった顔で、階段をおりる足をとめた僕だったが、その時にはすでに男の姿は見えなくなっていて、そこには前回同様、黒い傘がかけられていたのだった。

その時はじめて、僕は単なる錯覚ではないのではないかと思い始めた。

彼に「傘男」と名前をつけたのもその時だ。

よくわからないが、あの傘がかけられている時だけ見るということは、傘男はあの傘にとりついているのかもしれない。

でも、傘がかかっているということは、使っている本人は家の中にいるはずだ。

どっかで他人の傘をパクってきたのだろうか?

その部屋にはまだ若い女性が一人ですんでいるのは知っていた。

ということは、元彼とかが忘れた傘を今彼に使わせて、その傘に元彼がとりついている?

まあ、色々と考えられるが、そのときでも、まだ僕は目の錯覚という可能性を捨てきれなかった。

なぜなら、それはあまりにもはっきりと見えていたからだ。

そしてまた、傘男を見ない日が数日続き。

雨の朝、僕は傘をもって部屋を出た。

そして階段をおりて、踊り場から下の階へと続く階段へと足を踏み出した時。

またあの場所に傘男はいた。

前の時と同じように、遠くをみつめて。

だが、その時の彼は、地べたに腰を下ろしていたのではなく、立っていたのだった。

僕は思わず踊り場へとあとずさりした。

そしてそっと顔を出してのぞいてみると。

そこには例によって、男の姿はなく、あの黒い傘だけがかかっていたのだった

  
(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

  
その時になって僕は、これは目の錯覚ではないと確信した。

傘は腰の高さまでしかなかったし、男は立っていた。

僕は傘のところまでいくと、男の腰から上の部分にあたる磨りガラスに、錯覚を誘う黒い影がないかも確認した。

そこにはカーテンがぴっちりとしめられている。

目の錯覚を誘うようなものはない事を確認して、僕は出勤した。

 

その後数ヶ月、僕は、いわゆる霊視という現象に関して、納得いく説明があるのかを探した。

ルドルフ・シュタイナーあたりからはじめて脳科学の本も読んでみた。

結果僕なりにつくりあげた仮説は、空間には人間の五感では感知できない情報体が存在し、それが共感覚によって、時に認識されるのではということだった

共感覚というのは、モーツアルトや、レオナルド・ダ・ビンチなんかももっていたのではないかと言われる、1万人に1人くらいの確率でもっている特殊な知覚だ。

簡単にいえば、音に色を感じたり、形に味を感じたりする特殊な知覚で、原因にはまだ諸説あるものの、脳の視覚野、聴覚野、味覚野、触覚野、嗅覚野のそれぞれに本来送られるべき情報が、混線することで、本来その情報を処理する部分だけでなく他の部分にも送られてしまうためにおこるのではないかと言われている。

僕が思うに、通常人間の五感では感知できない情報体が空間上には存在する。

しかし、人間はまるっきりそれを感じられないという訳ではない。

むしろ感覚器官は現在も存在しており、感じる事ができるけれども、知覚できない状態にあるのではないか?

なぜなら、その感覚器官は、脳内のどこにもリンクしていないから。

だが、生まれつき、あるいはなんらかのきっかけで、この感覚器からの情報が脳内にリンクすることがある。

それが視覚野であれば霊視のような形になるし、聴覚野なら霊聴となる。

まあ、普通の人でも、霊的にやばいといわれている所にいけば、背中がゾクゾクするということはあるから、どこにもリンクされてないわけではなく、触覚野には微かにリンクされているのかもしれない。

そう考えると、いわゆるこういうオカルト能力の獲得方法に、静かな場所での瞑想のように五感からの情報を最小限にすることが洋の東西を問わずデフォなのも、世間的にはアレな科学者と思われているJ.C・リリーがアイソレーションタンクを開発するのも、道家の龍門気功にばかでかい壺をすっぽりかぶせるような修行法があるのもなんとなく理解できる。

つまり五感からの情報を少なくすることにより、微かに触覚野にリンクされている第六感覚器官からの情報をより鮮明にさせ、その波長を体に覚えさせ、うまくいけば、五感に対して共感覚でリンクさせるようなことを考えているのではないかということだ。

そう考えると、テレビも、ラジオも、文字すら一般の人にとってはないも等しく、夜の明かりもたき火や、ランプの光だけだった近代以前の、今よりもはるかに五感を通じて入ってくる情報が少なかった時代に、霊的な存在との接触があったという話しが多いのも、それなりに納得がいく気がした。

五感からの情報は第六感覚器官からの情報を捉えるには雑音でしかなく、五感から脳に入ってくる情報量が少なくなればなるほど、第六感覚器官からの情報は捉えやすくなるのではないか?

この仮説には僕的に納得がいった。

どうも気功の練習しているうちに、僕の脳内で、第六感覚器官からの情報を知覚する為のリンクが脳に張られかけてきてしまっているらしいということだ。

そう考えた僕は、とりあえず気功の練習をやめることを考えはじめた。

 

そして

 

また雨上がりの朝がきた。

階段をおりていった僕は、踊り場を下りていく階段に足をかけたとき、また傘男がいるのに気がつき、その場に凍りついた。

なぜなら、その時はそれまでとは違っていたからだ。

傘男はぼおっとして、僕のおりてくる踊り場の方を見ていたのだ。

そして踊り場から下りてきた僕と傘男の視線は、当然の如く、ばっちりとあってしまったのだった・・・・・・・・・・

 

 

To be continue.
Uploads on coming monday!!
see you (^_-)


2009.01.19

傘男と年末幽霊騒動 その1

いや~ やっと更新できましたよ(^_^;)  今回はラストまでjかけているので、定期的に更新できます。全4回だけど5回になるかも。3回目以降はいつものノリになっていきますんで。最初の二回は怪談風な書き出しです(-_-)

 

 

その男をはじめて見たのは、一昨年の秋の事だった。

前日の雨があがり、路面は濡れているが、空はきれいな青。

空気も綺麗に澄んで、窓から外をのぞいた僕は、気持ちよい雰囲気での一日のはじまりを感じて、上着を着ると玄関から外に出た。

僕の部屋はマンションの3階にあり、朝はエレベーターには乗らず、そのまま階段をおりていくことにしている。

階段を一つ下のフロアへとおりたところに、その男はいた。

僕が下りていく階段のほぼ正面にある部屋の玄関の前で、だらしない体育座りをしたその男は、着崩したスーツ姿で、いかにも飲んで部屋までもどってはきたものの、カギが見つからずにその場で酔いつぶれてしまいましたという風情で、玄関ドアのわきにだらりとうつむいて座っていた。

僕の住んでいるマンションは家族向けのもので、そんな住人の姿はいままで一度もみたことがない。

階段をおりてきた僕は、その姿を見て驚き、一瞬階段を下りていく足を止めた。

だが、次の瞬間、その男はいなかった。

ただ、雨に濡れた黒い男性用傘が、はめ殺しの曇りガラスにかぶせてある鉄格子にかかっていただけだった。

 

 
(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

 

その年の春。

友人がすすめていた野口整体の本を僕は買った。

数ヶ月の間、積ん読にしておいたのだけれども、読み始めるととても興味深かった。

整体といっても、柔道整体とは違い、気にからんだ野口整体は、僕が20代前後に独学でちょこっとやっていた気功に似ていた。

後に野口整体の方は、中国の気功との関連を否定しているという記事を読んだが、活元運動などは、どうみても中国気功の自発動功に似ていた。

そんな訳で、僕はすっごく久しぶりに気功のトレーニングをはじめてみようかという気になった。

といっても、それほど真剣にはじめたわけではなく、基本の小周天という、体に気を循環させる技法を、時々やってみただけだ。

すると1ヶ月ほどしたある日。小周天の最中に、右耳の下半分がいきなり熱くなった。

指先でふれて見ると、触られた感覚がある。

右耳の下半分は、数年前にした手術のあと、感覚が戻らなくなってしまったのだった。

僕はペンをもって、ペン先で耳たぶの所を触れてみた。

たしかに鈍いけれども、耳たぶそのものが触れられている感覚があった。

間違いなく、失われていた感覚が戻ったのだった。

それからしばらくの間、僕は気功絡みの本を集め、気功に関して色々調べてみた。

昔とは違い、天安門事件やら、法輪功事件やらの煽りをくって日本にわたってきた気功師が書いた、日本語の本があり読んでいて楽しかった。

流派により、口伝となっている部分が異なっているためか、Aという流派の本でははっきり書いていない部分が、Bという流派の同じような技法では明確に書いてあったりして、複数の流派の本を読むことで、かなり明確に技法の要点を掴む事ができた。

と言っても、僕は気功師になろうとか思ったわけではない。

若いときも、体内でめぐる気の感覚が明確になっていくにつれ、色々と日常生活をおくっていくのに不都合な事がおこりはじめた記憶がおぼろげにあるからだ。

具体的に何だったかは、何故か思い出せないのだが、若いときにやめてしまったのは、確かに「これってちょっとヤバくね(>_<)?」って事がおこったからなのだった。

それでも知る事は予想以上に楽しく、知れば試してみたくなり、昔以上のスピードで、不調だった体も充実していくのがわかった。

 

 
傘男を見たのは、そんな時だったのだ。

 

 

To be continue.
Uploads on coming monday!!
see you (^_-)


2009.01.04

神田明神初詣之儀行われる

1月13日追記

『傘男と年末幽霊騒動』は予定がおくれていますが、19日に更新の予定です。

年末の疲れがなかなか抜けず、申し訳ありません<(_ _)>

改めまして、明けましておめでとうございますm(_ _)m

予定通り更新もできないなか、今年も神田明神へ、我が友とともに初詣にでかけてきました。

なんで男二人でいくかというと、我が友は厄年のお祓いしたあと、家が「こんなとこにたてられたらいいねえ~」とか奥さんといってたところに建てられ、しかも数百万安かったので、これは神田明神のおかげと、毎年初詣にいくことに。

で、他にも募ろうかとおもうのですが、正月早々っていうのもなあと。

今年は正確にいうと、2日に氏神様である香取神社に御札もらいにいったので、初詣というには微妙なとこですが(^_^;)

で、恒例の御神籤対決をしてきました。

我が友は吉。

一方私は

20090104142034

二年連続の大吉でありました!!

しかも去年は1番の大吉だったのですが、今年は8番の大吉。

末広がりでございます!!

願望なんか「おもいのままなり」

縁談は「良縁なり調う」

 

これから一週間かけて、願望を練りに錬ろうと思います。

とりあえずは

来年は着物姿の女子と初詣したいっ(>_<)


« November 2008 | Main | February 2009 »