悪夢の香港癬→彼の失敗、彼女の島(5)
中国の公安の制服はダサイ。
菜っ葉色の服で、デザインもなんかだぶだぶしていてすごいヘボだ。
帽子があるから公安だとわかるが、全体的に威厳なんかかけらもなく、帽子がなければ、1日5元で働く日雇いの労働者みたいな感じだ。
それでも警察は警察。
海外で警察官と事をおこすほど、僕はバカではなかった。
当時の一般家庭の家を見ていれば、警察の留置所がどの程度かは容易に理解できる。
中国では公安というのは、人脈や、金を使って友好的な関係を築くものであって、もめ事を起こす相手ではないのだ。
とりあえず僕は五階と六階の間の踊り場まで降りて、鉄格子のドアを間にはさんで公安を迎えた。
まだ若い公安は、民生委員のババアやおっさん達を押しのけて、ドアの前にやってきた。
僕はとりあえず、ビシッっっとした敬礼をかました。
相手が公安や、軍隊の時は、敵意がなければとりあえず敬礼!!
これ世界の常識ね。(そうなのか?)
公安も反射的に敬礼を返したあと、「標準語はわかるか?」と聞いた。
「一応。身分証明書の提示が必要ですか?」
「うん」
公安警察官はあきらかに外国人を相手にするのははじめてだった。
僕は部屋に戻り、外国人居留書とパスポート、それに念の為に名刺を何枚かもって、再び踊り場に降りた。
鉄格子越しにまず外国人居留書を渡した。
それは中国政府が発行したもので、中には生年月日や顔写真のほか、僕の所属企業や役職が記載されていた。
公安はそれを見ると、後ろにいる民生委員の連中に何かいった。
地元の言葉だったのだが、社命と役職がまじっていたので、「お前等こちらはXXのXXだぞっ!!」と言っているのがわかった。
残念ながら形勢逆転だな。
公安は、僕が不愉快な思いをした場合、しかるべきところに文句を言えば、自分があまり楽しくない目にあうことを理解したようだった。
「一応部屋の中を確認させてもらって宜しいですか?」
僕は「どうぞ」というと、鉄格子のドアをあけ、公安を入れた。
民生委員の連中も一緒に入って来ようとしたが、「公安だけだ。お前等の身分と調べる権限の有無は確認してない」といって鉄格子を閉めた。
「私はここにいるんで、ご自由に見て下さい」
僕は公安にそう言うと、鉄格子の向こうの民生委員をにらみつけた。
公安が室内に入ると、僕は名刺の一枚を民生委員のおっさんに渡していった。
「今後はなんか用があったら、会社に電話して秘書に話してからきてくれ。ちょっと調べれば、うちの会社がその辺の台湾人のつくったいい加減な会社と違うのわかるだろ。ここに住む届け出もきっちりしてあるからな。あんたらの検査なんかうける必要はないと思うし、あんた方にそういう権限があるかないかも外国人のオレにはわからんから。会社の方で必要なことだと言われるまであんた方を入れる気はないから。」
民生委員のおっさんは名刺を見ながら黙り込んだ。
悪のりした僕は、ババアにいった。
「あんた名前は?」
民生委員達は顔を見合わせた。
「民生委員なんだろ?人の部屋調べに来るのに、自分の名前も言わないでいいのか?名前も名乗らないで、いきなりやってきて、民生委員だ部屋調べさせろって、まるで映画の日本軍みたいだな。」
僕が意地悪そうな笑みをうかべると、ババアは「王です」とだけ言った。
「王おばさん。おぼえておくからな。」
公安が部屋からでてきたので、僕は「何か問題は?」と尋ねた。
「何もないです」
僕はうなずくと、鉄格子をあけた。
公安が階段を下りていくと、民生委員達もそれにつづいた。
しばらくして、階下で公安が民生委員をどなっているらしい声が聞こえた。
(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)
毎日2時間おきに粉塵が舞い降りる部屋であることだけでもうんざりだった僕は、この件で、完全にこの部屋に愛想がつきた。
工場の原材料について、最終的に受け入れるか返品するかの権限を握っている僕は、時として原料の納品業者から恨まれることもある。
結局もといたホテルのオヤジが事務所としているホテルでほとんど寝起きすることになった。
オヤジが来ると、その部屋を使うので、その時は粉塵のふる部屋に帰る。
1年の契約がきれるころ、僕はまた新しい部屋を探し出した。
静かで、警備員が常駐しているところ。
民生委員がいないところ。
いてもおしかけて「部屋の中を見せろ!!」などと言ってはこないところを探させた。
丁度会社から歩いても15分くらいの人造湖につくられた埋め立て地に、別荘が建てられていた。
主に香港や台湾の連中が、こちらに部屋や事務所を構えるための住宅街で、敷地はしっかりと壁でおおわれ、入り口には警備員が常駐していた。
南欧風の4階建てのアパートが7棟ほどあり、それとは別に3階建ての一軒家が湖に面した方に何軒かたっていた。
敷地内には樹木が植えられ、ちょっと中国にいるとは思えないくらいのロケーションだ。
アパートの3階に2LDKの手頃な部屋を見つけた僕は、早速見学に行った。
入ったところが大理石のDKで、正面に二部屋。右側にバスルーム。その隣にはキッチンがあった。
一部屋をワークルームにして、もう一部屋をベットルームにすると丁度手頃な広さだった。
これなら部屋のどこで物音がしても大丈夫。
前の部屋は、家に入ってまずしなければならないのが、部屋中をパトロールする事だったし、寝ていると隣の部屋から物音がしたようなとき、一々見にいくのが面倒くさかった。
もう広すぎる家はこりごりだよん(-_-;)
前の大豪邸の契約がきれると同時に、僕はこの高級アパートに引っ越しすることにした。
高級といっても日本円にしたら1ヶ月4万円ほどだ。
このころになると、会社のスタッフが仕事を憶えてくれるようになっていたので、仕事も楽になった。
1日16時間稼働になっても、家族持ちの工場長には9-5時までやってもらい、僕は昼から生産終了までを受け持つ。
清掃は生産管理スタッフが当番で監督した。
まあ、1日16時間なんてのは年に2ヶ月あるかないかなので、普段は遅くても7時くらいには帰ることができた。
大理石のLDには、街で輸出用につくられた赤い応接ソファを買っておき、これがすこぶる
座り心地がよかった。
バスタブが狭いのが玉に瑕だったが、キッチンもそれなりに広かったし、お菓子や缶詰主体だった免税店の品揃えにも、パスタなどが入り、しかも市内にできたアメリカ資本のホテルにはデリカテッセンができ、そこではソーセージやハム、チーズ類が売っていた。
しかもホールで売っているチーズ類は日本の感覚から比べるとずっとやすい。
乳製品好きな僕にとっては、これは嬉しかった。
街のパン屋さんでもまっとうな食パンが売られるようになり、僕はトーストに日本に住んでいた頃には考えられなかったほどのチーズをのせ、オーブントースターで焼いて食べた。
そのうちピザハットが出来、マクドナルドもできた。
味も日本とかわらない。
日本には、海外在住者にむけて、雑誌や新聞を配達してくれるサービスがあったのだが、それが中国向けの発送も受けるようになり、一週間おくれだが、毎日のように日本の新聞や雑誌がとどくようになった。
僕が中国に住み始めて4年目にして、中国は本格的な発展をはじめたのだった。
前のマンションからそのままやとっている執事(?)の仕事ぶりも実にすばらしく、新聞や雑誌を読んでほおっておくと、家に帰った時にはきちんとテーブルの上にのせてあるし、靴もきちんと磨いていてくれた。
お金の扱いにも、変なところは見あたらず、極めて正直にやってくれていた。
中国に来たばかりの頃、会社から帰ろうと表通りでタクシーを待っていると、タクシーがまったく来ず、しかたなくしゃがんでまっていると、目の前を逆さにつられたガチョウをもったおっさんが通り、びっくりしたのがウソのようだった。
経済発展ってすばらしいな(^-^)
そんな幸せな日々をおくる僕に、いきなり襲いかかったものがある。
あの忌まわしい香港癬だ・・・・・・
To be continue.
Uploads on coming monday!!
see you (^_-)
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