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2006.10.29

悪夢の香港癬→彼の失敗、彼女の島(2)

ナニゲにはじまった豪邸生活だが・・・・

とりあえず爆撃ではないらしいのはわかった。

だが、どっかで爆弾が爆発している。

人民解放軍の演習と言う可能性もあったが、僕の知る限りでは、それは街の反対側だ。

夕方になってベランダにうっすらと砂埃がたまっているのに気がついた。

やはり何か爆発させている・・・・

とりあえず僕はモップでベランダを綺麗にした。

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

部屋は借りられたが、今度はメイドさんを雇わなければならない。

下手すると夜中の二時まで働かされるのに、掃除、洗濯、買い物、料理なんかをするのは絶対無理だ。

料理したければ買い物をしなければならない。

でも当時の中国は、肉でも量り売りなのだ。

当然堪能な中国語が必要とされる。

別に堪能でなくともかまわないのだが、外国人だとバレると途端に高くなるし、何よりも僕は肉や魚の鮮度がいいのか悪いのかすらわからない。

それに水を飲もうと思ったらミネラルウォーターを買わねばならない。

現地の人達は水道水を涌かして飲んでいたが、その水道水からして、なんか砂とかがすごいのである。

僕は会社ではコーヒー用のドリップペーパーでお湯を濾してから飲んでいた。

そんな僕を社長は笑ったが、彼が2年間の勤務を終えて日本で精密検査を受けると、体中に砂がたまっているのが発見されたのである。

中国恐るべし!!

さらにはマンションにはガスがひかれてない。

お風呂用と、調理用にプロパンのガスボンベを2つ、予備をいれて三つのプロパンをおいておかねばならない(今から考えると、ほかの部屋もそうだったんだから怖い。どっかの部屋が火事になったらプロパンが大爆発だ)

50を越えた社長や、総工程師はマンションが隣同士だったので、共同でメイドさんを雇い、僕にもついでにやってもらえば?と人事課がいってきたのだが、それも考え物だった。

20代後半の僕の部屋に、若い女性のメイドが出入りすれば、どうせ会社で根も葉もない噂がたつにきまっているのだ。

さて、困った。どうしたもんか?と考えていたときに、検査課の女の子がやってきた。

彼女は某研究所の所長の娘で、会社を設立するときに最初に雇った社員の一人で僕とは仲がよかった。

顔は丸いが元気で明るく、当時の中国人としては抜群にあか抜けていた。

何よりも、彼女は英語がしゃべれたので、中国にきたばかりの頃、言葉が話せなかった僕でもコミュニケートできたのである。

「家の事やる人探してる?」

彼女がいった。

「うん。今、どうしようか考え中。」

「あのね、私のおじさん雇わない?お父さんの妹の旦那さんなんだけど、つとめてた国営工場が半稼働で、半日出勤するだけなの。」

「男性なのはいいけど・・・長くやってもらわないと困るんだよね。」

「多分大丈夫。工場はあのままだと思うし。」

どうしようか?

男性であれば変な噂はたたないですむ。おじさんならなおさらだ。それに六階までプロパンを運ぶこともできるし、何よりも会社の関係者でないのは助かる。

自宅に何があるとか、どんな状態だということが工員に漏れないからだ。

紹介した彼女としても会社には知られたくないはずだ。

そう考えるとこの話に乗るのも悪くなかった。

翌日もといたホテルにある、オヤジの会社の現地事務所に本人にきてもらい、面接をした。

まあ、ふつうのおっさんだが、変に欲のたかったところがなく、悪い人間には見えなかった。

で、条件をきめなければいけないのだが、当然の如く僕は極めて庶民な家の生まれだからメイドとか執事とかとは無縁だ。

それでも学生の頃から、海外で仕事をしたいと思っていたので、現地の使用人を雇うときの最低限のセオリーみたいなのは本で読んでいた。

まずは年齢差があるので、できるだけ顔を合わせないようにした。

使用人なんて持ったことがない僕が、そういう人間が部屋にいることに慣れるよりは、いるのか、いないのかわからない状態になる事を選んだのだ。

それってど~よという気もするのだが、毎日顔あわせていると、ちょっとしたことで相手から「このガキがあ~」とか余計な恨みを買いかねない。

連絡は基本的にテーブルの上においた連絡帳にする。

そうしてお互いが顔をあわせず空気のような存在になれば余計なストレスは感じないですむのだ。

勤務は平日の午前か午後半日。

仕事は、掃除、洗濯、買い物。

洗濯は乾燥機があるので、全自動洗濯機のスイッチを入れ、終わったら乾燥機に入れてもらえばいい。

買い物はかっておいて欲しいモノを連絡帳に書いておくので、その通りに買ってきてもらう。

掃除は箒とモップでやって、バスタブも洗い、散らかってる本やら何やらがあれば、整理してテーブルの上においてもらう。

シンクに洗い物があれば洗っておく。

トイレットペーパー、洗濯洗剤、電球(蛍光灯ではないので良く切れた)、キッチン用の洗剤は、なくらなないように補充しておくこと。

あとは、買い物の際はレシートもしくは領収書をもらってくる。

給料はケチケチせずに、当時の工員の基本給の300元(日本円で6000~7000円くらい)として、しかも外貨券にした。

今はなくなってしまったが、昔の中国の元には、中国人用の人民元と、外国人が外貨を人民元に替えた時にもらえる外貨券があった。

外貨券であれば、輸入電化製品や、免税店の海外の食料や化粧品といった贅沢品を買うことができたが、人民元では買うことはできなかった。

従い、闇で外貨券を人民元に両替すると1.2~1.4倍くらいになった。

給料を高くしたかわりに、家に何があるというようなことは、家族を含め周囲には漏らさない事、買い物を頼んだ時にはごまかさずにきちんと精算することを約束させた。

彼としても、大の男がハウスキーパーをやっているなんてことは知られたくないし、また外貨券で毎月300元もらえる仕事をほかに見つけられる可能性は限りなく0に近いから、同意した。

もちろん間にたった検査室の女の子の面子もたった。

会社にはオヤジが昔世話になった人の親戚を雇ってくれと言われたので、そうすることにしたと伝えた。

総務課の課長は、相手がおっさんなのを見て、安心したような、つまらなそうな顔をした。

フン!!お前等が考えていることなんか、こっちはお見通しなんだよっ!!

そんなわけで彼の仕事ぶりも問題はなく、僕の2リビング、2キッチン、2バスルーム、5ルームの豪邸は完璧に維持された訳だが、実を言うと僕は1年間借りたこの部屋に、正味2週間くらいしか住まなかったのだった。

 

To be continue.

Uploads on coming monday!!

see you (^_-)

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2006.10.23

悪夢の香港癬→彼の失敗、彼女の島(1)

中国での5年間の生活が終わりに近づきかけた頃の物語・・・

 

三年目の夏の終わり。

電気事情により、僕の休日は水曜日だった。

つまり、皆が日曜日に休んでしまうと、日曜日には電力があまってしまい、平日は電力が足りなくなってしまうので、市内にある工場はどこも休日を市政府から指定されていた。

もっとも誰だってできることなら日曜日に休みたい。

だから平日を休みにされるのは、政府筋に力がない合弁会社ってことになる。

もっとも僕の場合、休みが水曜だろうと日曜だろうとさしてかわりはない。

当然の如く地元に友人がいないから、休日は一人である。

だが僕にとって問題なのは、平日には日本からの出張者がやってくることだった。

しかも奴らは、月曜日に日本の会社に出て、火曜日出発。水、木と現地を視察し、金曜日に帰国して土曜、日曜を休む。

流石にあちこち案内してくれなんて仕事が休日の僕にまわって来ることはないが、出張者が来て会議ともなれば、僕は出勤しなければならない。

日本はすでに週休2日だったが、中国がそうなるのはまだしばらく先の事。

しかも当時は国慶節(中国の建国記念日)と旧正月以外に休みがない。

季節により、工場が1~2週間とまる事があるが、工員はその時休めても僕は出勤しなければならない。

工場が休みになればメンテナンスがはじまるし、それに伴いメンテナンスに必要な資材の購入に関する確認とサインをしなければならないし、原料の状況を確認するために出張もしなければならない。

一度週休二日で、ゴールデンウィークやなんたらの日といった祝日がある日本と、僕の出勤状況を比べてみたら、僕の方が年間40日以上余計に働いていたということがわかりへこんだことがある。

40日以上余計に働いている上に、工場が18時間体制になれば、仕事は夜中の12時を過ぎる訳だが、経営者の端くれには当然の如く残業代なんて出ない。

まあ、それでもやってこれたのは、最初の2年間は外国人が住めるようなアパートが市内になく、ホテルにすまわせてもらったからである。

ホテルなら掃除も洗濯も会社にいる間にやっておいてくれるし、冷房やボイラーが壊れたとしてもとりあえず別の部屋を提供してくれる。

当時の中国のレストランは朝、昼、夜で営業し、間の時間は閉まってしまうが、コーヒーショップではビーフンやサンドイッチなどの軽食を注文することができたし、夜中の12時過ぎる時はその前に会社から電話をしてルームサービスを頼めば、夜中の2時に帰ってひもじさで眠れないってことにもならないですんだ。

だがその生活も最初の2年間のみ。

日本円にして月額25万円の家賃はちょっと高いのではないかと言うことになったのである。

それだって二間続きのジュニアスイートだから日本人の感覚からすれば激安なのだが、合弁会社だとそうもいかない。

それに市内には外国人向けのマンションがたちはじめたし、ホテル住まいと会社で決めた最大の理由は、国際電話がひかれてないということだったのだが、新しくできた外国人向けマンションには国際電話も引かれていた。

で、僕もマンションを探す事になったのだが、探し始めるとホテルの関係者から、いきなり台湾人のお妾さんをやってるという女性が部屋を貸したいといってるけどという話がきた。

「でもさ~。それってあなたの旦那の台湾人があなたに住むようにって買ってくれた部屋でしょ?」

会社の応接室で、お妾さんと向かい合いながら僕は言った。

「そうですが、別に部屋を貸して、それを生活費にしてもいいって事なんで。」

中国人のお妾さんはそういうと僕を見た。

なんだこの視線?

なんなら私もセットでど~よ?ってな話しになったりするのか?

「はあ~。もし借りるって事になったら、所有者である、その台湾の方に確認したいのですがかまいませんか?」

「はい。でも条件があります」

「なんでしょう?」

「一番最上階の二部屋が買ってもらった部屋で、階段の所を鉄格子で仕切ってあるんですが、この二部屋をまとめて借りて欲しいんです。」

「二部屋ですか?でもかたっぽが2LDKで、かたっぽが3LDKですよね?3LDKの方だけでいいんだけどなあ~」

「料金は一部屋分で結構ですから。」

値段を聞くと日本円で3万円だった。

それでもこのお妾さんの生まれ育った地域では大変な収入だ。

「わかりました。こちらでも検討させてもらいますが、所有者の台湾人の方はいつ頃こちらに見えますか?」

「来週には。」

「じゃあ、その時に部屋を見せてもらって決めるということで宜しいか?」

「部屋は明日にでもみれますが?」

「じゃあ、明日にでも見せていただきます。」

彼女が帰ると、僕は総務に行った。

「あのさ~。ほかの人はみんなきまったよね?」

僕の会社には、僕以外に、社長と総工程師の二人の日本人がいた。

「きまりましたよ。円さんも早くきめてください。」

「マンションは月額4万(日本円)までだよね?4万以内だったらどんなに広くてもいいの?」

「かまいません。」

僕が気にしたのは、二部屋だということで、だったら総工程師と一緒に住めとか言われたらたまったもんじゃないってことだ。

だが、二人の部屋はすでに決まっている。

どうせ総務課の課長が間に入ってコミッションを取っているので、もう変更はないだろうな。

翌日お妾さんと部屋をみにいくと、そこは会社から自転車で10分くらいで、六階建てのアパートの最上階だった。一階には物置もついていて、バイクがおける。

エレベーターはないが、僕は若いので問題ない。

六階までの階段は決してきれいではないが、内装はきちんとしていた。

おまけにキッチンは2つ。リビングも二つ。ベットルームは5つでバスルームも2つだ。

「これなら住み込みのメイドが雇えますね。」

一緒に来た秘書が日本語でいった。

「じゃあ、このお妾さんをメイドでやとおっかな?」

「またっ!!大体家事をやるのがイヤだからお妾さんになるんですよ。メイドなんかできませんよ。」

「じゃあ夜だけメイド。」

「フンっ!!」

思いっきりバカにされた。

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

一週間後、所有者の台湾人が会社にやってきた。

40半ばの堅太りな感じだがおなかは出た、見るからに脂ギッシュな、お妾さんをつくりそうなタイプだった。

「どうですか?気に入りましたか?」

「はい。2部屋分ですが1部屋分の料金でいいとか。だったら別々に現地の人に貸した方がいいんじゃないですかね?」

「そりゃそうです。でも中国人にはそんな家賃払えないし、香港やら台湾の連中に貸しても、結局私と同じように、中国人に住まわせることになる。中国人が住んだら部屋は1年で滅茶苦茶だ。私としては日本人のあなたに住んでもらったほうが内装も痛まないし、助かります。大体家賃で儲からなくても、あと2~3年すればここいらの不動産価格は上昇して十分元がとれますから。それまで綺麗に部屋を使ってもらう方がいいんですよ。」

「なるほど」

「それにあの女をここに住まわせておけば、毎日することもなく、大抵面倒な事になります。あなたが払う家賃で、彼女の故郷で生活させ、私がここに来るときだけ呼び出せば良い。あの子の故郷では、毎月これだけの収入があるヤツなんていません。遊んで暮らせるし、何よりも私も、余計な生活費を払わないですむ。」

なるほど。お手当が浮く上、部屋も綺麗なまま。まあ実質管理人みたいなモンですな私は。

彼の魂胆はともかく、いつまでも部屋を探しているわけにもいかないので、僕は一年契約でこの部屋を借りる事にした。

で、翌週家具を運び込んでもらったのだが、ベット、机、応接セット、ダイニングテーブル
ガスレンジに冷蔵庫それにタンス、が一つだけ。

いや、それ以上はいらないけれど・・・・・

でも、3LDKの部屋で完璧におさまってしまった。

もう一つの2LDKの部屋、激しく無駄・・・・・

そう思いながら日本からの出張者がつづき、三週間ぶりの休みとなる前の晩。

僕は翌日は昼過ぎまで寝たおすつもりでベットに入った。

部屋も六階ともなると激しく静かだ。

隣の部屋がうるさいということも、上の部屋がうるさいということもない。

これはなかなか成功だったと思いながら、海外でのマンション一人暮らしの初日の眠りについた。

だが。

翌朝、僕は激しい地響きと爆発音で目が覚めた。

ずし~んという、爆弾が着弾したような音だ。

な、な、なんだ?

中台戦争でもはじまったか?

僕はとりあずベットから飛び降り、リビングの床に伏せた。

爆風で割れた窓ガラスでも突き刺さったりしたらたまらない。

時計を見ると10時ジャストだった。

だが、後続の爆発音はない。

夢だろうか?

僕はキッチンにいくと、お湯をわかし、免税店で買った香港から輸入されたカップヌードルを食べた。

とりあえずお腹も一杯になったのでまた眠ることにした。

すると2時間後、またもや爆発音と地響きで目がさめた。

なんじゃこりゃ~っ(>_<)

To be continue.

 
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2006.10.08

ゆんたくアクマちゃん53ー動物にも感情はあるらしいー

うちの会社には猫がご飯を食べに来ます。

3年ほど前、片目が悪いのを不憫に思って、お店の残り物をあげたのが縁。

朝、1階の裏窓を開けると大抵待っているんですが、いないときは後になってやってきてしばらく待ち、誰ものぞき込んでくれないと窓の上にのって、存在をアピールします。

こちらが気づいて、ご飯を準備してあげると下におり、おとなしく出されるのを待っています。

ただし土曜日は別。

店舗だけが営業しているので、二階以上は誰もいません。

そんなわけで、ご飯の準備をしていると、足下までやってきて、おとなしく待っていることがあります。

で、昨日も気がつくと足下にいて(ほんと猫ってまったく気配なしで足下にいるから、時々びっくりする)、「まっててね」というと、いきなり「うえっ!!うえっ!!」っと、人間のように、からえずきをはじめました。

私は猫や犬は飼った事ないので、こんなの見るのははじめてです。

でも、猫が毛玉をはくって話は聞いたことあるので、「ま、まさか毛玉はくの?」って思い驚きながらみていると、普通に肌色のゲロをはきました(-_-;)

「うわっ!!」とおもいましたが、液状じゃなくて、なんというか鶏肉の未消化なヤツみたいな感じでびちゃっとではなく、こんもりという感じなので、それほどあわてることもなかったのですが、そのあとの猫の態度が・・・

自分がはき出したものをじっとみたあと、私の顔を見て、「しまった・・・・」という表情をすると、すごい勢いで、窓を乗り越えて外へ。

ちょうどご飯の支度ができたので、窓の下をのぞくと、いつも通りくれっ!!っと。

「吐いたのに喰うの?」と尋ねると、やはりくれっ!!っというのでえさ箱を降ろしてあげて、吐瀉物を片付けに。

なんかね。悲しいですよ。

人の吐いたモノの後かたづけだってしたことがない私が、なんで猫のゲロかたづけなければならないのかと。

とりあえず上にティッシュペーパー何枚もかけて、スーパーの買い物袋を手袋のように使い、一気にとりあげ、捨てました。

当然ながらなま暖かく、なんか本当に情けない。

だって猫だぜ?誰か猫のゲロかたづけた人いる?いね~よな?

さて、窓の下をのぞくと、ご飯を半分残して猫はでかけていました。

1時間ほどして、窓の下を見ると完食。

見回すと2メートルくらい先の所にすわっています。

名前をよんで目があった途端・・・・・

猫は目をそらして、うつむきました。

いつもはじっとこちらを見つめたままなのに。

何度呼んでも、うつむいたまま。

「ね~。どうしたの恥ずかしいの?」

うつむいたまま。

「うっ うっ うっ うげえ~ってやっちゃったから恥ずかしいの?」と物まねまでして話しかけると・・・・・

こちらから顔が見えないように、柱の影に顔を隠しました(^_^;)

猫にも、ゲロなんかしちゃいけないところでゲロしちゃった。ああ恥ずかしいよお~という感情はある見たいです。

喜んだり、おこったり、怯えたり、哀願したり、満足したりというのはこれまでも見てきたので、猫にもそれなりの感情があるのだなとはわかっていましたが、「恥」という感情まであるとはちょっとびっくりです。 

この間、タヒチかどこかで、飼い猫に避妊手術せずに、生まれた仔猫を崖から落として殺しているという作家サンの話が話題になっていましたが。

まあ、飼い猫に強制的に避妊手術をすることと、生まれた猫を殺してしまうことと、どちらが猫を本当に愛していることになるのか?っていうのは、どうでもいいっていうか・・・

それってどっちも当事者の猫の意見を無視した人間世界の理屈ですよね。

当の猫が避妊手術されることどう思ってるか?とか、しないで生まれた子供をすぐに殺される事をどう思うか?なんて事は関係なしで議論している。

まあ、猫に尋ねても答えようがないので、仕方ないのかもしれませんが。

でも猫が、学校なんていかなくても、子供産んだらちゃんと育てるようになっている以上、生まれた仔猫を速効殺すというのは猫的に納得のいかない事なのではないかとは思います。

かの作家サンは、猫飼っていて、自分の猫は生んだ子供殺されたら悲しむだろうなとかは思わないんでしょうか?

しょせん自分の寂しさ埋める為だけの物体で、意思とか感情があるとは想像できないんですかね?

猫の吐瀉物の生あたたかい感触を思い出しながら、そんなことを思った週末でした。

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2006.10.02

ハイスクールはBE-BOP!!(下)

ついに僕の目の前に現れたK北。どうする?オレ!?

 

う~ん。まさに出会い頭。激しくヤバイ。

っていうか、相手は三人。

こっちは完璧一人だ。

たとえ勝てないバレー部でも、マジメに練習しとけばよかったよん・・・・

そう思いながら、線路を向き、横目で彼らをこっそり見ていると、三人でなにやら話し出した。

そしておもむろにこちらに向かってくる・・・・

ああ、もう接触はさけられない・・・・

でもまったく不利という訳でもなかった。

まずはホームの上なので、「ちょっとこいや~」とエスカレーター下って階下のトイレに連れ込まれないかぎり、暴行はうけない。

それに一人だから、喧嘩になれば徹底的に不利な反面、自分にその気がないのに戦端をひらくバカがいない。

K北が三人となれば、僕の学校の生徒が4~5人いたってなんの助けにもならないし、たとえ運良く撃退できたにしても、その後ずっとこの駅でK北の連中が大量に待ち伏せしているというとっても恐ろしい状況になるのは目に見えている。

シマウマは絶対ライオンに勝てないし、勝ってはいけないのだ。

勝ったら今度はライオンの群れが一気におそいかかってきて、結局はボコボコにされてしまう。

ライオン高校生徒と出会ってしまったら、どう転んでもボコボコにされるのがシマウマ高校生徒の定めなのだ。

とはいえ、こちらもむざむざむさぼり喰われるわけにもいかない。

まず、トイレに連れ込まれそうになったら、徹底的にぐずり、駅員さんの注意をひくしかない。

連れ込まれない為には、とりあえず礼儀正しい態度を取ることだ。

当然相手はガンつけてくるので、それに挑発されてこちらもガンつけかえしたりしたら、間違いなくトイレに連れ込まれてしまう。

怯えている様子をみせてもダメ。

相手はこいつはちょろいぜ!!とばかりに、身ぐるみはぎにかかってくるからだ。

結局は武道家のようにきちんと正対するのがベストの選択なのだが、そんなのできるか(-_-;)?

そうこう考えているうちに、K北三人組がやってきて、僕を囲んだ。

逃げられないッスね・・・・

しかも周囲の人からも、僕の姿は彼らの体が死角になってよく見えないし。

それだけでなんちゃって不良ではなく、実戦慣れしたすばらしい不良さまだと言うことが理解できた(-_-;)

正面のいちばん気合いの入ったパンチパーマの不良さまが至近距離からガンをつけ、そのあと下から上までねめまわすように僕を見ると、再び視線を僕の目に戻した。

ここまできたらしょうがない。

僕は視線をそらさなかったが、怯えや好戦的な雰囲気が出ないよう注意した。

相手を不良さまと思わず、できるだけ普通の高校生と出会ったような対応をする事。

しかもできるだけ礼儀正しく、かつ毅然としてだ。

それ以外に無事にすむ方法なんてないのだ。

「おまえXXだな?」

パンチパーマの不良さまは僕の高校を確認した。

まあ、ネクタイに紺の上下なんていう、サラリーマンの背広みたいな制服はこのあたりでは僕等の高校しかないから、ようするに「お前、シマウマである自分の立場がわかってんだろうな?」って事である。

わかってますよ・・・・・

十二分。

少し色の入ったメガネをしたパンチパーマの不良さまは、どうみても僕より年上だ。

だから僕も、バレー部で先輩に口をきくときのように、「はい。そうです」と礼儀正しく返事した。

もちろん視線をはずしたりはしない。

挑発してはいけないが、視線をこちらから外したらそれで負けなのだ。

後ろの二人がフフっと笑ったのが聞こえた。

ああ、激しくイヤな感じだ・・・・

「お前いい時計もってるじゃん」

それは高校入学の祝いにかってもらった、当時人気のシチズンデジアナだった。

ああ、買ってもらって半年もたってないというのに・・・・・・

とりあえず僕は「ありがとうございます!!」と答えた。

もちろん単純に時計を誉められたのではないのはわかっている。

でも時計をねだられていると気づいたと明確にすれば、この状況では差し出さずにはおれない。

カツアゲなどという不良ワールドの常識なんてまったく知らない優等生を装うしかないのだ。

「お前、その時計、しばらくオレに貸してくれね~か?」

時計カツアゲ キタ―――――(>_<)――――――ッ

僕は心の中で泣きそうになった。

これは親が、私立の入学金など金のかさむなか、けっこう無理して買ってくれたものなのだ。

この時計を差し出せば、この場を無事に切り抜けることはわかっていた。

だけど、時計がなくなった事を親にどう話せばいいのだろう?

僕は内心を悟られないように、パンチパーマから視線をそらさず毅然といってみた。

「これは親から高校の入学祝いに無理言って買ってもらったものなんです。申し訳ありません!!」

言い終わると同時に頭を下げるのも忘れなかった。

顔をあげると、パンチパーマがじっと僕の顔を見ていた。

僕もパンチパーマの目を見た。

強制取り立てか?

このままトイレに拉致られてボコボコの刑か?

いずれにせよ、僕の学校の生徒が、K北の生徒に逆らえば、そうなることは決定しているのだった。

でもやっぱり、ボコられる前から親が買ってくれた時計を渡すことはできない。

ボコられる前に怯えて渡してしまうのと、ボコられて取られるのとでは、まったく意味が違う。

シマウマ高校生といえども、男としての筋は通さなければ、親に対して申し訳がたたないのだ。

「オレはよ~っ」

パンチパーマが沈黙のあと口を開いた。

「K北2年の△△っていうんだ。今後ウチの連中になんか言われたらオレの名前出してダチだって言え!!」

「はいっ!?」

え?ダチ?おいら△△さんのトモダチですか?

「お前名前は!?」

「XX一年の円海ですっ!!」

「よし!!円海だなっ!!オレの名前忘れんじゃねーぞ!!じゃあな!!」

パンチパーマの△△さんは、そういうと僕の背後にいる二人に合図をして、駅のホームを歩いていった。

た、助かった・・・・

と、いうより、K北の不良さまのトモダチができたんだけど・・・

僕はあわてて、生徒手帳を出すと、K北2年△△と書いた。

絶対忘れないようにだ。

この名前は、高校の制服をきている三年間、このあたり最強のライオン高校の生徒達から身を守る為のマジックワードなのだっ!!

 

(^-^)(^-^)(^-^)(^-^)(^-^)

 

そんな訳で僕の高校生活の通学上の安全は確保された。

だが、入学直後の公園での体験に懲りた僕は、制服を着たままで盛り場にいくような事はしなかった。

自分の身を守る為には、無用なリスクはおかさない。

それがわからない同級生は、制服のまま盛り場にでかけ、主としてK北の生徒に金をまきあげられたり、ボンタン狩りにあったり、ボコられたりしていた。

僕等の高校では、服装検査をする風紀委員などいらないくらいだった。

K北のライオン生徒達が、僕等シマウマ高校の生徒にとって、何よりも怖い風紀委員のようなものだったからだ。

 

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

 

高校二年の時、僕が自宅にいると、弟が中学から帰ってきて、いきなり新聞紙を腹にまき、その上からオヤジのサラシを巻くと、制服を着て出て行った。

僕は本を読みながら、妙な事をしているなあ~とおもいつつ、それを見ていた。

1時間ほどして、母親が買い物からもどり、夕食の準備をしていると電話がなった。

僕が電話をとると警察からだった。

母親にかわると、電話の声をききながら、母親の顔がどんどん青ざめていった。

電話を切った母親に「どうしたの?」と僕はきいた。

血の気の多い腐れオヤジが、何かしでかしたのかと思ったのだ。

だが母親の話では、警察にご厄介になっているのは、オヤジではなく、弟のようだった。

一時間後、母親が弟をつれて帰ってきた。

「おかえり」

「おかえりじゃないわよ!!この子は中学生なのに警察なんかの厄介になって!!」

母親がキレた。

弟が話すには、隣の中学から決闘状がとどいた。

で、弟の中学には番長はいなかったのだが、急遽喧嘩はいちばん強い弟の親友が番長となり、番長組織をつくり、決戦となった。

弟は親友から副番長やってくれと頼まれ、それを受けた。

決闘は二カ所でやることになり、弟の中学では本隊と支隊をつくり、相手の本隊が来ると予想された公園に弟の親友が、にわかずくりの番長組織の本隊をつれて乗り込み、弟は数人とともに、相手の支隊が来ると思われる公園に向かった。

だが、相手の本隊は弟の待つ公園にあらわれ、相手の支隊は弟の親友が待つ公園にやってきた。

その結果、決闘は痛み分けになったが、弟の方は当然ながらボコボコにされ、近所の人の通報で警察が来たときに逃げられず、つかまってしまったという事だった。

「でも怪我してないじゃん」

「そりゃそうだよ。こっちは5人なのに、向こうは20人ぐらいできたんだから。もう最初から結果は、わかりきってるじゃん。相手がきたら殴りあわないで、頭抱えてうずくまったよ。そしたらあいつらもう勝ったとばかりに全員で腹だけ狙って蹴りやんの」

金八先生で、三原じゅん子が「顔はやるんじゃないよ。ボディにしな!!」といってから、喧嘩といっても顔面攻撃は少なくなっていた。

「でもオレはそれ見越して、腹にも脇腹にも新聞紙巻いて、さらにその上からサラシ巻いていったから、いくら蹴りいれられても全然痛くないもんね。我慢してるうちに警察がきて、終りさ」

なるほどねえ。

喧嘩にも色々対処法があるもんだ。

「冗談じゃないわよ!!あたしが警察なんかに呼び出されて、どれだけ恥ずかしい思いしたかわかってるのっ!?」

「でもさ~。こっちから仕掛けたんじゃなくて、相手から決闘状おくりつけられたらしょうがないじゃん。やらなきゃ、下校の途中集団で狙ってくるだけだし」

僕は弟をかばってあげた。

だが、翌日、母親は中学校にも呼びだされ、その週はずっと機嫌が悪かった。

  

制服を着ている限り、災難は本人が望まなくてもやってくる。

それは学校というきまりきったコード進行のなかで、それぞれの運命がつくるアドリブ演奏のようなものなのかもしれない。

とりあえず高校の三年間が無事にすんで良かったよん(^_^;)

The end.

Uploads on coming monday!!

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