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2006.04.17

円海@スパイ?(中)

そんな中国駐在生活も五年で終了し、1年間日本で過ごした後、僕は再度中国入りすることになった。

今回は代理店をしていた工場が日本からの注文をうけるにあたっての生産立ち会いだった。

ここの工場は、僕が中国に最初に入った時に機械の設置をした(もちろん僕がやったわけではなく、日本の技術者がやったのだけど)ところで、それから五年以上の月日がたっていた当時、すでに工場のラインは3つになり、他の地域にも工場をつくりはじめていた。

当時のこの会社は飛ぶ鳥を落とす勢いで、品質向上にも熱心だったから、仕事はやりやすかった。

主なスタッフは最初に工場を建てた時のスタッフが残っていて顔見知りだったし、グループの社長も、工場を建てた時からの顔見知りで、めったに顔を合わすことはなかったが、家族のような付き合いで、顔をあわせばお互い遠慮無く話すことができた。

僕は会社が年間契約しているホテルのスィートルーム(といっても、応接室とベットルームが別々になっている二間の部屋ってだけだけど)に泊まって、朝、工場に出勤して、夕方七時くらいには帰ってきた。

夕食は工場のスタッフと一緒にすることもあったし、ホテルに帰ってから、同じフロアにすんでいるサクちゃんと一緒にすることもあったが、大抵は僕が帰る頃にフロントにいるアイミンが、ご飯食べた?と聞くので、食べていなければ二階のバイキングで一緒に食べることになった。

ホテルの幹部スタッフは、夕食に二階のバイキングが無料で利用できるのだった。

食事が終わると、お互いすることがないので、一階のカフェでお茶したり、近くのボーリング場にいったりした。

時にはサクちゃんも一緒にいった。

僕はアイミンが単なるホテルスタッフで、僕に恋をして常に一緒にいたがっているとはまったく思っていなかった。

相手もこちらが気づいているということには、気がついていたと思う。

そんななかで、一緒に食事したり、遊びに出かけたりするのは楽しかった。

ずっと日本に住んでいるなら外国人の奥さんをもらうというのも悪くないと思えるのかもしれないが、僕は5年間海外生活をして、仕事で外国語を使い、外国の習慣にある程度会わせて生活するのは仕方ないとあきらめていたが、一歩家に入ったら、非日本的なものは一切ゴメン被りたかった。

中国人に限らず、外国人の奥さんは論外だ。

そんな僕にとっては、現地の女の子と仲良くなっても、結局最後は相手が悲しい思いをするのは目に見えていたし、かといって、まったく女っ気がない日々をおくれば、客をダシにして遊びたい取引先が放ってはおかない。

おねーちゃんがいるカラオケに毎晩でもつれていかれてしまう。

ところが僕ときたら、仕事が終わった後、カラオケにいって、見も知らぬおねーちゃんと中国語で会話するなんてまっぴらゴメンなのだ。

大体何度かいけば「私を中国の妾にしてくれ」とかいう話になるのはわかり切っている上、カラオケはホテルの最上階にあるので、女の子がヒマな時はいつでもホテルの内線電話で呼び出されてしまう。

この連中ときたら上がりは夜の2時3時だから、下手するとそれくらいの時間に電話がいきなりなって、「カフェでなんか食べようよ」とかいってくるのだ。

そんなことに付き合っていたら、僕の部屋も、結局はサクちゃんの部屋のように、出勤前のカラオケねーちゃんのたまり場になってしまう。

その点アイミンと仲良くしているのは便利だった。

まず、頼んでおけば完璧に夜中のカラオケからの内線電話をオペレーターに言ってつながなくしてくれる。

カラオケのおねーちゃんも、「奴はどうもホテルのマネージャーの特別な友達らしい」となると、電話をかけるのは躊躇した。

それはホテルのスタッフも同様で、それまでも十分親切だったが、アイミンと一緒に食事をするようになってからは、それまで以上に丁寧になった。

それにアイミンが何を目的として僕に接近してきたのかわからないが、とりあえず僕の方にやましいことがない以上、一番身近においておけば、僕がシロだとわかるだろうというのがあった。

僕等は恋人以上になることがない、友達以上恋人未満の関係を楽しんだ。

初めから騙せないとわかっている相手を騙す必要はない。

アイミンにしてみれば裏があるとしても、僕にウソをつく必要がないのだった。

僕等は仲のいい同性の友人同士のようだった。

 

(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)(-_-)

 

そんな毎日も3週間が過ぎたとき。

土曜日で午前中に仕事が終わった僕は、昼前にホテルに戻ってきた。

部屋に上がろうとすると、グループの副社長が僕に声をかけた。

「楊総が、仕事の状況ききたいっていってるから上いこう。」

楊総というのは楊総経理。中国では社長は経理と呼ばれるので、つまりこのグループ全体の社長である。

50を過ぎた副社長は、妙に憎めない不思議キャラの人で、いわば僕のオヤジの、この地における接待役みたいな立場にある人だった。

大変な美食家で、彼がオーダーする料理がまずかったことは一度もなかった。

僕も仲がよかったが、弟に対して彼は「私を中国人のパパと呼びなさい」といっていた。

その中国人のパパが弟に一番最初に教えたのは「いいか。商売女との付き合いは、シャワーの水との関係のようなものだとおもえ。シャワーの水は自分がさっぱりしたら、そのまま下水にながす。誰もその水をとっておいてまた使おうとは思わない。バスタブにためておくのは女房だけ。遊んだ女は遊びが終わった時点で下水に流すつもりでさっぱり忘れるべし!!こんなの男の常識だが、お前のオヤジを見ているとどうもわかっていないようだ。だからお前は忘れるな。」ということだったそうだが(^_^;)

僕が総経理室にいくと、若き日のスターにしきのに似た楊総経理がデスクから立ち上がり僕にソファをすすめ、自分もその向かいに座った。

楊経理のとなりに、副社長も座ったが、彼はチェシャ・キャットのように、面白くてしょうがないという顔をしていた。

僕は二人に工場の生産が順調にすすんでいること、いくつか問題はあったが、現場レベルですでに対処してもらっていること、将来的に直す必要があると思われる点は、生産が終わるまでにレポートにして出すこと、そして日本のマーケットの状況などについて話した。

彼らはその話をきき、満足するとお茶をいれ、僕にすすめた。

そして、6年前初めてここに来た頃は食事に慣れなかったらしいが、最近はどうか?などという世間話をはじめた。

世間話が一段落ついたころ、楊総がナニゲに僕に聞いた。

「ところで、最近ホテルのマネージャーと仲良くしてるそうだな?」

「うん。」

「で、どうするつもりだ?彼女のことを」

僕は楊総の顔を見た。

真剣な顔だった。

でも彼が真剣な顔をするのは珍しくない。

僕が真剣にならざるをえなかったのは、楊総の隣にすわる副社長の顔から面白そうな笑いが消え、真剣な表情になったのを見たからだった。

並はずれたおもしろがりやで、必ずしも社内の評判が良くない彼が真面目な顔になるときは、冗談抜きで、誰もが真剣に取り組まなければならない問題が起こった時なのだった。

To be continue.

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2006.04.09

円海@スパイ?(上)

80年代末。

中国に住み始めたころ、当然の如く僕は中国の公安の監視対象になっていた。

20代で、僕の住んでいた市では最大の日系企業の役員に就任した僕に対して、その契約直前、省政府は文句を言ってきた。(中国では省→市→県)

この規模の合弁会社の役員としては若すぎるというのだった。

だが市政府と担当局は「当市は北京の直轄下にあり、この件に関して省政府の意見を考慮する必要を認めない」として、省政府の意見を却下した。

そのかわり僕は、担当局の局長より直々に呼ばれ、「おまえも20代だから女とも寝たいだろう。だがこの国はそういうことをする国ではない。そういうことがやりたければ、いつでも休暇をやるから香港にいけ。自分はお前が抱える仕事上の問題に関しては協力を惜しまないが、女関係で問題をおこした時にはとりあわない」と言われることになった。

今の中国からは想像もできないことだが、当時の中国では北京や上海は別として地方都市では外国人が売春婦をみかけることはなかったし、また市政府の役人も立派な人間が多かった。

局長はやせて目がおっきなごま塩頭の人で、役人というよりも大学の教授のような雰囲気だった

僕は一目見て、この目玉のでかい酒好きの局長が好きになったので、中国に住んでいた五年間、(ものすっごくモテたのだけど)彼のいいつけを守った。

一方で市も、ホテルの従業員、会社の共産党員をつかって僕を看視していた。

まあ、大学は国際関係学科だし、僕の大学はどちらかというと右よりだし、教授にはラマ僧になってチベットに潜入していた人やら、ソ連から出入り禁止を申し渡されている人がいた。

実際には学生達は果てしなくノンポリだったのだけれども、そういう大学を出た人間が、まだ20代の若さで特別区に入って来たとなっては、現地の公安だって一応看視しないわけにはいかないらしかった。

まあ、看視されているといっても、賭博ができるわけではなく、女が買えるわけでもなく、悪いことしたくても、なにもできないのだから別にどうと言うことはない。

ただ何度か「やべ~なあ~」と思ったことがある。

たとえば天安門事件の時。

日本に帰ってきていたら、いつの間にか天安門事件がはじまってしまい、中国に戻れなくなった。

で、事件が片づいてすぐに中国入りしたのだが、数日後エレベーターをおりて自分の部屋にいこうとすると、途中の部屋のドアがあいていて、部屋の中ではホテルのマネージャー達が3人いてなにやら話し合っている。

「ニイハオ」と挨拶して、部屋に向かうと、一番仲がよかった中年の女性マネージャーがちょっとこい!!と合図する。

部屋に入ると、いきなり「お前天安門をどう思う?」と僕に聞く。

「はあ~」といって、これはどう答えるべきかと考えていると、「私たちは台湾のテレビも見ているから大丈夫だ。お前の意見を言ってみろ」という。

流石に話の方向性を誘導するような言い方に、僕はヤバイと感じた。

「う~ん。オレは事件が片づいてすぐ来ちゃったからよくわからないんだよね。日本の新聞も郵便局で止められてるみたいだし。まあ、会社はこの国が共産主義国家なのは承知の上で投資してるから、仕事が契約どおりできるなら、特に意見はないんだけど。」

「ふ~ん。そうか」

「うん。」

それでこの部屋からは、解放された。

得意になって「日本の新聞では何百人も学生が戦車にひき殺されたといってる」なんていった分には、どうなったことかわかったもんじゃない。

実際この当時は、現地の新聞に、しばしば台湾人のスパイを捕まえたという記事が出ていたし。

この手のあやしいフリは他にもあった。

工場の管理オフィスで、みんなで世間話していたときに、軍事関係の話になり、スタッフの一人が、友人がミサイル基地で働いているけれども、基地にいくときは必ずヘリに乗る前目隠しをされてつれていかれるので、何処にあるのか自分でもわからないと言っている。でも、こんなことするんだからきっと核ミサイル基地に違いないと言いだしたのだ。

その場にいたスタッフは皆、「チチチチ」と舌を鳴らして「絶対そうだよな~」などと言っていたが、僕としては「こりゃ絶対餌なげられてるわ」と思わざるをえなかった。

配属されたスタッフでさえ、目隠しをされて出勤する秘密の核ミサイル基地。

スパイだったら絶対無関心ではいられないもんなあ~(^_^;)

こんな時に下手な発言して、「円海はこの話に非常に興味を示した」なんて報告された分にはたまったもんじゃない。

次にはもっと具体的な餌がまかれて来るに違いない。

「狙うのは台湾にしとけっていっとけよ。日本狙うなら東京以外狙えって。」

黙っているのもまた不自然なので、僕はそういうと工場へ入っていった。

そのほかに、「ああ~やられた~」と思ったのは、スーツケースに100円ショップで売っているような、キッチンで色々な道具をひっかける金網をいれて持ち込んだときだ。

当時はまだ持ち込みの電化製品なんかは、入国時に申請して、帰国時には持ち帰ることが義務づけられていて、僕のように中国在住となると毎回ワープロなんかを持ち出さなければならなかったりして面倒になり憂鬱だった。

で、預けた荷物がクレーンでまわってくるのをまっていると、顔見知りの空港スタッフが「よおっ!!」とやってくる。

急な用事で出国しなければならないとき、正規のルートでチケットがとれないと、僕は空港勤務の彼に頼むのだが、空港内で会ったのはそれがはじめてだった。

珍しい事もあるもんだなと思いながら世間話をしていると、僕のスーツケースがでてきたので、それを取ろうとすると「これお前のか?」といって、彼がとってくれた。

それだけでなく「他に荷物は?」ときくので、これだけと答えると、「じゃあいこうぜ!!」とガラガラとひきづって、税関も彼が「よう!!」と手をあげるだけで、ノーチェックで出ることができた。

僕が空港に迎えにきていた運転手をみつけると、彼は自分が運ぶという運転手に、いいよオレが運ぶからといって、会社の車のトランクにスーツケースを積むと「じゃあな」と手を振った。

「あれ、空港の職員だろ?なんでわざわざ車まで荷物運んでくれたんだ?」

運転手が僕に聞いた。

「いや、空港長の秘書室につとめているっていってて、時々チケットとか頼むんだけどね。どうしてだろ?税関もフリーパスで通してくれたんだよね。」

「ふ~ん」

運転手も合点がいかないようだった。

だが、部屋にスーツケースを運んでもらい、自分であけようとしたときに理由がわかった。

スーツケースの鍵がドライバーかなにかをつかって強引にこじ開けられていた。

僕は中身を確認したが、ノート型のワープロを始め、盗まれているものはなかった。

どうやら香港でチェックしたときに、網がひっかかったらしかった。

つまりスーツケースの蓋のポケットにいれておいたので、まさか壁にお玉や菜箸をひっかける為の金網とは思わず、ノートワープロ型の通信装置に、スーツケースがアンテナか何かになってるスパイ装備だと疑われたに違いなかった。

香港で泥棒があけたなら、当時最新だったノート型のワープロが盗まれていないわけないし、それ以外には考えられなかった。

で、中国側があけて調べたら、わけのわからない網だったので、僕の知り合いがよばれて、ともかく空港で騒ぎにならないように税関もフリーパスで通したに違いない。

やれやれだぜ。

つまり僕がこの市内ででかけるような所には、空港だろうとレストランだろうとホテルだろうと会社だろうと、僕を担当する人間がいて、彼らは僕の友人であり、僕が中国という国に対して、不愉快に思わないように色々便宜を図ってくれる反面、僕の監視者でもあるらしかった。

まあそれが共産圏の現実ってもんだわな(^_^;)

To be continue.

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2006.04.03

ゆんたくアクマちゃん49ーやばかったり、うざかったりー

昨日は妹一家が遊びに来て、春休みなので甥(8歳)と姪(6歳)が泊まる事になりました。

とりあえず近くのスーパーで、冷凍食品5割引きをやっていたので、コロッケ、エビフライ、牡蠣フライ、イカフライを購入。リーフレタスの上にツナをのせ、叙々苑のドレッシング(お気に入りです)をかけてサラダをつくり、キュウリ、ナス、玉葱を炒めてぐずぐずになるまで煮込み、おみそ汁にして、あとはご飯を添えてとりあえず5人分の食事を準備。

大変ですよね。5人分の食事つくるの。

私はもう、一人暮らしで栄養管理のいきとどいた食事がつくれる訳がないので、サプリメントとプロティンをきっちりとって、あとは夕食に肉類と魚類のおかずをできるだけ半々くらいにとり、オメガ3と6のバランスをとって、海藻、野菜を多めに取るってことだけ考えて食事してるんで、なおさらです。(最近は炭水化物を減らしてタンパク質をできるだけとるという事も考えるようになったけど)

で、揚げ物したあとの油は、固めて捨てようと思い凝固剤探したのですが見つかりません。

で、食事が終わったあとに探そうと思い、甥とコロッケやエビフライを奪い合いながら食べ、デザートのシュークリームとコーヒーを(これは大人だけ)出す準備をして凝固剤を探したのですがやっぱりありません。

で、油のポットに戻そうと思い、再度加熱。網の上にひくティッシュペーパーを探しているときに雨が降っているのに気がつきました。

やべっ!!パジャマが干してあった!!とあわててベランダへ。

で、洗濯物を取り込み、浴室乾燥にかけて、キッチンに戻ったら、なんかえらくヤバい匂いが・・・・・

ふとレンジの上を見たら、中華鍋のなかの揚げ油が、ボコボコと煮え上がっていました(>_<)

あわてて火を消し、キッチンの窓を開けレンジフードも最強に。

それでもボコボコはとまりません。

こんなもんが自然発火したら、間違いなく警報が鳴りひびき、また総合警備保障のご厄介になってしまう!!

しかし、この煮え立ち具合。いつボン!!と発火するかわからない感じっていうか、油がボコボコ沸騰する勢いのところなんて初めてみました。

妹を呼ぶと、妹も一目みたとたん「危険!!」

二人でキッチンの入り口で中華鍋を看視してボコボコがおさまってからとりあえず油壺にうつし事なきを得ました。

「あと1分気がつくの遅かったら、火事だったね」

恐ろしいことです。

思わず厄除けの時にもらってきた神田明神の木札に感謝の礼をしました。

でも、グツグツ煮え立つ油をみながら「石川五右衛門ってこんなのの中で釜ゆでにされたんだよなあ~」とか思っていた私って・・・・

さて、甥と姪ですが。

前回両親の家にとまり、早朝こちらに回された二人は大暴れしてベットのスプリングがおかしくなりました。

そんな訳で、今回は間違っても早起きさせないように、テレビを遅くまで見せることに。

明日の朝用には、すでに「チャーリーとチョコレート工場」を借りてきてあります。

丁度八時から女子大食い決戦をやっていたので、お父さん、おかあさんが帰ってから、これを見ることに。

夢中になって見てるんですが「円にいは誰応援してるの?」とかうるさいです。

全然集中して見れません。

10時になり、予想通りギャルソネが優勝。

しかしここで寝かせたら、まだ6時くらいに起きる可能性があります。

引き続き「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」を見ます。

でも、また色々と説明を求めてきてウザいです。

で、見ている間にお風呂に入ってきて11時。

姪が「眠い」と言い出しました。

まあ11時ならいいだろうとベットへ。

しかしベットに入ったとたん元気に。

私のベットに姪が一緒に寝て、甥はとなりにキャンプ用のコットを出してねたのですが、うるさいです。

11時40分になっても寝ないので、私は居間に戻り「タクティカル・ロア」と「涼宮ハルヒノ憂鬱」を見たのですが、初回にもかかわらず涼宮ハリヒはパニポニだかポニパニだかの初回と同じくらい何がなんだかわからず、唖然。

で、ようやく寝室が静かになったようなのでベットに戻ると・・・・

誰かがすっごいイビキをかいています。

これじゃ眠れません!!

どうも姪のようなので、容赦なく鼻をつまむと「XXちゃんじゃないよ~」と。

確かに姪がそういっている間も豚がないているような勢いで激しいイビキが。

見ると甥がコットではなくベットに頭をのせています。

もちろん蹴り落としました。

変な姿勢で寝ていたのですごいイビキになっていたようで、ようやく静かに。

しかし姪はまだ寝ません。

蹴ってきたり、ゴロゴロ転がって上にのってきたり大騒ぎです。

結局1時過ぎに眠りに。

でも、寝てからもゴロゴロ転がってくるので、目がさめます。

うざい・・・・・

うざすぎる・・・・・・・

だから隣の和室で寝るように言ったのにっ!!

ようやく眠れたと思ったら、7時には甥が起き出してコットをギシギシ言わせます。

「うるさい!!起きた人は居間にいってテレビ見てなさい!!」というと、「まだ寝てる」

だけどコットはギシギシ。

三度注意したときに姪が起き出しトイレに。

その間もギシギシやってるので、ベットにあげて、胴を蟹挟みで締め上げました。

5秒で泣きKO。

居間の方へシクシク泣きながら歩いていきます。

うぜえ~っ

まあ、大人の言うことを聞かないと、自分が痛い目にあうということが良くわかったでしょう。

お昼は近所の美味しいラーメン屋さんにいく約束していたので、朝はご飯とおみそ汁だけの予定だったのが炊飯器の予約タイマーが1時間送れていてご飯がたけていませんでした。

で、朝食は味噌汁のみ。

丁度朝食が終わったときにかあさんがきたので、「チャーリーのチョコレート工場」を見ました。

チャーリーの法則

1.意地汚い子は制裁。

2.わがままな子も制裁。

3.調子にのった子も制裁

4.むかつく子も当然制裁。

素晴らしい映画です。是非子供に見せましょう。

お昼にラーメンを食べに行き、帰ってきてから、甥と姪に首を絞められた時の対処法を徹底的に訓練。

真面目にやらない甥が再度泣きましたが、かまわず続行。

そう、これはいざというとき、自分の命を守る訓練なのです。

泣いたくらいでは終わりません。

帰り際には玄関で首を絞めてあげて、外せたら合格(少林寺36房?)帰ってよし!!

こうして、今週のお休みは終わったのです。

つまり、B型悪魔系を書く時間が・・・・・

すみませんとお詫びをしつつ、来週は頑張りますと宣言。

多分ですが・・・・・

 
Uploads on coming monday!!

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