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2004.09.27

素晴らしき中野区ーオレ達の祭り(下)ー

果たしてあれはアリだったのか?1970年代のある日、W通りを駆け抜けていった、多分に東京一お下劣な子供神輿の物語。

子供神輿。それは大人の神輿とは別に、子供だけが担ぐ神輿である。

お祭りの時は、子供神輿が先導し、そのあとに女子供がひっぱる山車がつづく。

山車は幼稚園から小学校低学年のオコチャマ達が引くもの。

子供神輿は身長によるのだが、小学校3~5年のお兄ちゃん達が担ぐもの。

子供神輿といえども、女性は担ぐことは許されなかった。

所々にある休憩所(酒屋さんとか、駄菓子屋さんが多かったような・・)では、色々なものが出る。

それも山車をひく子供達と、神輿を担ぐ子供達では、出るモノが違う。

たとえば、酒屋さんでは、山車のオコチャマ達に出るのは、かき氷のシロップを水でうすめたジュースだが、子供神輿のお兄ちゃん達に出るのは、一人一瓶のファンタグレープだったりした。

オコチャマ達は、瓶をラッパ飲みするお兄ちゃん達をみながら、毒々しいまでに緑色の、どこがメロンの味なのかちっともわからないメロンジュースを紙コップからすすり思うのだ。

「いつか僕も子供神輿を担いで、ファンタグレープを飲める身分になってやる!!」


だが、僕がようやくあこがれの子供神輿に出世したその年は、様子が違っていた。

駄菓子屋    麩菓子が一本。山車組と一緒。

(何故だ・・・去年の子供神輿はお菓子が一杯はいった袋をもらえていたのに・・・)

パン屋      ちっさいあんパン一個。山車組と一緒

(何故だ・・・去年はスピン(スナック菓子)一袋だったぞ・・・・)

子供神輿を担ぐ僕等に、不満と不安が広がった。

(何故だ・・・)

(何故、今年は山車組と同じモノしかでないんだ・・・・)

僕等がそう思うのは当然である。

山車はなぜだかしらないが、ひっぱる綱を持っているだけでも前にすすむ。

当然何人かいる大人たちがひっぱってくれているからなのだが、そういう意味では実質歩くだけなのである。

だが、子供神輿は全然違っていた。

当然の事だが重い。

肩にずっしりくる。

僕等はほとんどが年上の子から、「神輿を担ぐ時にはタオルをもっていって、自分の肩にあたるところにまいておけ」と教えてもらったからまだよかったのだが、地域によってはガキ大将グループが崩壊しているところもあり、そういう所の子供は、タオルをまかないで担ぎ、痛さのあまりリタイアせざるをえなかった。

しかも神輿は休む時でも、下駄という台になるものを前後にセッティングして、その上に神輿をおろさなければならない。

これもみんなでおろすタイミングをあわさないと、下駄をもってついてきてくれる下駄担ぎのおじさんの指が神輿と下駄の間に挟まってしまい、大変な事になってしまう。

運悪く、この年に子供神輿についていた大人は、高卒のあんちゃんと、元自衛官のおじさん、それに下駄担ぎのおじいさんで、この高卒のあんちゃんがめっちゃ性格が悪く、神輿をおろすときのタイミングが早すぎたり、遅すぎたりすると、凄い勢いで怒鳴りつけるのだった。

子供神輿からはすでにお祭りの楽しい気配はうせ、ビクビクと怯えた子供達が、肩の痛さに耐えてエジプトのピラミッドをつくるための巨石を運ぶ奴隷達のような雰囲気になっていた。

それなのに・・・・

何故、僕たちの待遇は、山車の楽ちんオコチャマ達と一緒なのだ!!

納得がいかん!!

「わっしょい!!わっしょい!!」のかけ声も、高卒のあんちゃんの音頭とりの声だけが目立つような状態で、僕等は酒屋さんについた。

ファンタグレープだ!!ファンタグレープのラッパ飲みだ!!

僕だけでなく、子供神輿の子供達は目をキラキラさせたのだった。

しかし僕等にだされたのは・・・・

かき氷のシロップをうすめたメロンジュース!!

ありえね~っ(>_<)!!

僕等は舌を緑にしながらメロンジュースをすすった。

山車の子供達が到着し、くばられたものがコーラス(多分森永から出てたカルピス風飲料)なのを見て僕等のプライドはちょっとだけ癒されたが、そんなことでは、このやりきれない感じは癒しきれなかった。

休憩時間が終わり、僕等の奴隷労働がまたはじまった。

「ほらもっと声だせっ!!」と怒り狂って怒鳴り散らす高卒にいちゃん。

疲れた体にずっしりと重い神輿。

「ワッショイ ワッショイ」

僕等は死人の担ぐ死人神輿(なんてあるのか?)みたいになって、次の休憩場所についた。

下をむいて汗を拭く僕等をみて、元自衛官のおじさんが、高卒にいちゃんにいった。

「おれが音頭とりやるから、おまえは下駄かついどけ」

高卒のにいちゃんも、一人で声をはりあげていたので、疲れてしまったのだろう。

下駄担ぎのおじいさんと一緒に、下駄を一個づつ担ぐことになった。

「いっか~ おまえ達良く聞け!!」

高卒のにいちゃんから、音頭取りの笛をもらうと、元自衛官のおじさんは、ヒゲの生えた顔でニッコリしながら言った。

「おまえ等神輿はわっしょい!!わっしょい!!と担ぐモノだと思っているだろう?ところがそうじゃないんだな。この次から、俺が自衛隊式の音頭を教えてやる。みんな恥ずかしがらずに、でっかい声だして、俺につづけ!!わかったな?」

僕等は顔を見合わせた。

疲れてやる気がなくなっているけど、ショボイ休憩グッヅに絶望してるけど、この元自衛官のおじさんは、そんな僕等のしょぼくれた気持をわかってくれてそうだ。

何よりもガミガミと怒鳴りちらさなかったし。(どの子も、そんな奴は自分の母親一人で十分と思っていたに違いない)

「よお~しっ!!神輿をかつげ~っ!!」

元自衛官のおじさんのかけ声に僕等は元気よく「おおっ!!」と叫ぶと神輿を担ぎあげた。

「よお~しっ!!声だすぞ!!みんな恥ずかしがらずに、俺の言うとおりに叫べ!!」

「おおっ!!」

音頭取りはただ声を出せばいいというものではない。その声には毅然とした凛々しさと暖かみがなければいけない。さすがは元自衛官。ちゃんとそのことをわかっていた。

僕等はいきなり元気を取り戻すと、元自衛官のおじさんが音頭をとるのを待った

おじさんは僕等が元気を取り戻し、力強く神輿をかつぎあげるのをみると、にっこりと笑っていった。

「ち○こっ!!」


(?_?)


「ちん○っ!!」


(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)(?_?)


「どうしたっ!!おまえ等!!はずかしいのか~っ!!」

いや、恥ずかしいとかそういう問題では・・・・

そんなこと言っていいの????

その時、それまで何もいわず下駄をもっていたおじいさんが大声をだした。

「おら!!おまえらっ!!音頭取りの言うとおり、しっかり声ださんかいっ!!」

意外にも、すさまじく迫力のある声だった。


もちろん東京都中野区といえば山の手。

「ち○こ」なんて親の前で口にしたが最後、ビンタが飛んでくるは必定。

だが、今日は言ってもいいらしいぞ。

でっかい声で「ちん○っ」と。

「それ、○んこっ!!」
元自衛官のおじさんが叫ぶ。

「チン○」
僕等もちっちゃい声でつづいた

「ち○こっ!!」
今度は下駄担ぎのおじさんも一緒に叫んだ。

「チン○ッ(>_<)!!」

僕等もなかばやけくそ気味に声を出してつづいた

「○んこっ!!」大人

「ち○こっ(>_<)!!」子供

「ちん○っ!!」大人

「○んこっ(>_<)!!」子供

そのころには僕等は普段口にすることすら許されない言葉を公道で大声を出して叫ぶことに喜びを感じていた


「ち○こっ!!」大人

「ちん○っ(^O^)!!」子供
「○んこっ(^O^)!!」子供
「ちん○っ(^O^)!!」子供
「○んこっ(^O^)!!」子供
「ち○こっ(^O^)!!」子供

いってはいけないとされる言葉を公道で叫ぶ!!なんて気持がいいんだ!!

子供達は、いままで味わったことのない快感に貫かれ、「ちん○っ!!」と叫んで神輿をかついだ。

子供らしい元気さにあふれた神輿の復活に、元自衛官のおじさんも顔をほころばせた。

ピッピッ!!ピッピッ!!と笛を吹きながら子供達を煽り、公道をすすむ。

そして、笛を下駄かつぎのおじいさんに渡し、ふいてもらいながら言った。

「いいぞ~っ!!おまえ等!!神輿っていうのはそうやって元気に担ぐんだ!!だがな~これだけじゃないぞっ!!もう一つあるぞ!!おまえ等なんだかしってるか~っ!!」

それは・・・・

まさか・・・・

「言ってみろ!!それっ!!」

「マン○?」

「聞こえない!!もっとでかい声で~っ!!」

「ま○こっ!!」

「よっしゃ!!つづけろっ!!」

「まん○っ(>_<)!!」
「○んこっ(>_<)!!」
「ま○こっ(>_<)!!」
「まん○っ(>_<)!!」

これは流石に恥ずかしかったが、その恥ずかしい言葉を口に出してしまった子供達の勢いはとまらない。

狂ったように誰もが大声で女性器を表す言葉を叫びながら、神輿をかついでいた!!

「よっしっ!!交互にいえ!!順番だ!!」

「ち○こっ!!ま○こっ!!ちん○っ!!まん○っ!!」

僕たちは、いままで味わったことのない高揚感のなかにいた。

多分疲れを感じているものは誰もいなかっただろう。休憩場所も休憩せずに通り過ぎたくらいだ。

しかも歩道を歩く人たちはみんな僕たちの担ぐ子供神輿をみている。ニヤニヤ笑っている人もいた。

次の休憩場所は、休憩をとることになった。全員に配られたのはカルピスだったが、不満そうな顔をするものは誰もいなかった。皆表情は生き生きとしている。

「よおっし!!次は、すっごいの教えてやるからなっ!!ちゃんと俺の言うとおりにおまえ等言えよっ!!それから神輿は上に投げるようにして担げ。肩の上で、声にあわせて弾ませろ!!わかったなっ!!」

「はいっ(^O^)!!」

僕等はみな元気よく叫んだが、「すっごいの」がなんなのかわかった奴は誰もいなかった。

「なんだろう?」
「わかんね~よ。でもおなじこと言えばいいんだろ?」

「いくぞお~っ」

「お~っ(^O^)!!」

僕等は神輿をかついだ。

「わっしょい!!」大人

「わっしょい(~o~)!!」子供

「わっしょい!!」大人

「わっしょい(~o~)!!」子供

「ほら、肩の上ではずませるっ!!気合いをいれろっ!!」

「わっしょい!!」大人

「わっしょい(~o~)!!」子供

「わっしょい!!」大人

「わっしょい(~o~)!!」子供

「そうだ~っ!!それが本当の神輿の担ぎ方だあ~っ!!その調子で俺の言うとおりつづけよっ!!でかい声で叫べ!!いいなっ!!」

「お~っ(^O^)!!」

「そりゃ ち○こま○こちん○まん○やりたい!!やりたい!!」


はあ?

なんじゃそれ?

ち○こま○こはわかるけど、やりたい!!やりたい!!って何をだ?


当時の小学生の大半は、子供はお母さんのおしりの穴から産まれるものだと思っていた。

当時の小学生には、今のようにHなどという便利な言葉がなかった。

Hは「スケベな事をする」という意味で使われていたし、その「スケベな事」の意味する事も、スカートめくりとかキスくらいなのである。

だが、その言葉を口にすることがとてつもなく面白いことであるのはわかった。

自衛隊のおじさんが言ったとたん、高卒のにいちゃんも、下駄もちのおじいさんも、周囲で子供神輿をみていた大人達も、みな一斉に吹き出すか、口元をおさえて笑いだしたからである。

「どうしたっ!!もう声がでないのかっ!!そりゃ ちん○まん○○んこ○んこやりたい!!やりたい!!」

ぼくらは肩の上で神輿をはずませながら、一斉に叫んだ!!

「ち○こま○こちん○まん○ やりたい!!やりたい(^O^)!!」
「○んこ○んこち○こま○こ やりたい!!やりたい(^O^)!!」

そう叫びながら、W通りを練り歩く子供神輿のまわりは大爆笑である。

それを見て僕等はいっそう嬉しくなり、さらに大きな声で、「ち○こま○こち○こま○こ やりたい!!やりたい(^O^)!!」と大絶叫しながら、死ぬほど肩で神輿をはずませてW通りを進んでいった。

1970年代。のどかな、のどかな時代の出来事である。

(ジブンデカイテテモハズカシイヨ・・・・・)

The End

NEXT 「XxXXと呼ばれた男」

Uploads on coming monday!!
see you (^_-)

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2004.09.20

素晴らしき中野区ーオレ達の祭ー(上)

愛する中野区に捧げる(捧げて欲しくないだろうけど)

僕は小学校4年くらいまで、中野区の上高田に住んでいた。

そのあと東中野に引っ越したが、小学校は転校せず、そのまま越境通学したので、子供の頃の思い出は、ほとんど中野区上高田の思い出だ。

地図を見てくれるとわかるのだが、上高田は寺町である。

お寺の数が異常に多い。

とりわけ僕の住んでいたあたりは、お寺のなかに住居があるといえば聞こえがいいけど、要するに墓場に囲まれた形で住宅街があるのだった。

今から思うと土地、安かったんだろうなあ・・・・

借家だったからあまり関係ないけど。

僕等の世代は、東京でガキ大将というものが普通にいた、最後の世代だと思うのだが、この頃の子供達の遊びは、大抵外遊びだ。

家のなかでやる遊びといえば、人生ゲームか、ツイスター、それに野球版くらい。

普通は外で、警官泥棒や、缶蹴り、野球、はさみっこなんかをやるのである。女の子の間ではゴム弾(てかくのかな?)がはやったりしていた。

外遊びが中心ということは、当然、墓場も遊び場になるということで。

僕等の遊び場は松□寺、宗○寺、竜△寺。

保善寺にはめったにはいらなかった。

ほぼ全員が保善寺幼稚園の卒業生で、何かあったとき、一発で面が割れるという危険があったからである。

これらのお寺に早稲田通りの正門からはいっていくのはかなり勇気がいる。

はいっていっても(でていっても)何かいわれた記憶はないのだが、やはり立派な門を堂々と通って墓場に遊びに行くというのは気が引ける。

従い僕等は、もっぱらお墓側からはいった。

早稲田通り沿いにはお寺の境内があるのだが、その裏は一面の墓場である。

墓場にそって道があり(ここを夜に歩くのは流石に勇気がいった)今はお墓も一杯で完全に閉ざされてしまったろうけど、僕等が遊んでいたころは、3mあるかないかの石垣があるだけだった。

当然、その頃の子供にとって、こんな石垣をのぼっていくのはなんでもないことだった。

毎日、仮面ライダーごっこや忍者部隊月光ごっこで、鍛えているのである。

たとえその石垣が墓石を積み上げたものであっても、平気で足で踏みつけてお墓に侵入した。

何故かというと、墓場には当時まだお墓の立っていないスペースがあり、そこでは夏草がしげったりして、ショウリョウバッタがとれたし、人間をささない黄色い蜂(僕等はキバチとよんでた)がよってくる木もあった。

夏場はカナブンとりのために、お寺の木をかたっぱしから蹴ってまわることはかかせない。

セミとりにもお寺の木々ははずせないし。

今から考えると昆虫を捕まえるために欠かせない場所だったのだが、子供が捕まえた昆虫は、たいてい一週間以内、早ければ翌日に死ぬ運命にあったので、なんか墓場で殺生しまくりって気もする。

もちろん昆虫取りだけやっていたわけではない。

松□寺、宗○寺の墓地を利用しての、子供的にはおそろしく広いフィールドでの鬼ごっこや、かくれんぼは、夏の夕暮れにはかかせなかった。

なんといっても墓場で鬼ごっこ&かくれんぼである。

スリル満点なことこの上ない。

とりわけかくれんぼでだんだん暗くなってくると、隠れて見つからないでいる方も、みつけられない鬼の方も、顔がひきつってくる。幼稚園から小学校低学年の間は、これで大抵何回か薄暗い墓地の真ん中で泣くことになる。

「根性をつけるため」という、とってもありがたいお兄様、お姉様方のご配慮により、隠れている方は、早稲田通りの正門を通って家に帰ってしまうからだ。

泣く方も怖いが、墓地の真ん中で一人で泣いてる子供を見つける方も相当怖かったと思うぞ。

一度、何故か墓地でサッカーをやったことがある。

もちろんそこまで激しく罰あたりなことを、小学生はやらない。

夏休みになり、ヒマをもてあました高校生くらいのお兄様方に「いくぞ」と言われ、何もわからないまま墓地にはいり、「サッカーやろうぜ」といわれるのである。

墓場でサッカーといっても、ゴールがあるわけではなく、まあ、ひたすらドリブルの練習をするみたいになるのだが、みなそういうことにも飽きてくる。

すると墓をこえてのパスなんかもはじまり、あげくの果てには古い卒塔婆がサッカーボールでバシバシ折られていくのである。

墓場でサッカーやること自体、昆虫取りとは全然違う罰当たりな行為であるという自覚はあったので、卒塔婆を折った時には流石にやばいと思った。

お墓にはいった人たちも、鬼ごっこやかくれんぼくらいは多めに見てくれそうだけど、サッカーはいかがなものか・・・・・

お坊さんに見つかったらやばいというよりも、祟られそうで墓地サッカーは一回で中止になった。

こんなことばかりやってた訳だが、当時の中野区上高田では、怒られた記憶がない。

僕等はお墓だけではなく、人様の庭にも、よく言えば野良猫のごとく。悪くいえば泥棒のごとく自由に出入りしていた。

もちろん他人の家の庭で遊ぶようなことはしないが、通り抜けるのは自由で、子供達は家と家との細い隙間なんかを自由に行き来していた。

逆にいうと、そういう土地柄だったから警官泥棒や、缶蹴りがメジャーな遊びだったのかも。

そんなのどかな昭和の中野区上高田では、地域活動も活発だった。

とりわけ早稲田通りの向かいにある龍▽寺の豆まきは命がけとなる。

お菓子の類がまかれるだけでなく、マッチ箱がまかれるのである。

もちろんそのマッチ箱のなかには、商品名が書いた紙がはいっている。

確かお金だったこともあったような(^_^)?

このマッチ箱の争奪戦は凄い。

凄いとわかっているのにというべきか、凄いからなのか、毎年赤ちゃんをおんぶ紐でさげて参加してる女性がかならず一人はいる。

そして、彼女の頭をこえ、毎年必ず赤ちゃんと女性の隙間にマッチ箱が入る。

まく方は、できれば赤ちゃん背負ってきてくれたお母さんにあげたいと思ってなげるのだが、そんなもん背負ってマッチ箱がとれるほど甘くはない。穏和な上高田の人たちも、この日ばかりは目が血走っている。

赤ちゃんがすやすや眠るねんねこにマッチ箱がはいったとたん、無数の手が、ねんねこの中をかきまわし、赤ちゃんは大泣きし、おかあさんは「勘弁!!勘弁!!」とか「あんた達なにすんの!!」とか絶叫するのだが結局マッチ箱は誰かにとられてしまうのだ。

いたいけな子供の僕がゲットしようものなら、付近の大人が、突然強盗に早変わりするんじゃないかっていうくらい殺伐としているのである。

従い、子供達の戦略は、代々の言い伝えで「ゲット&ラン」である。

マッチ箱をゲットしたら、速攻で逃げる。

手に持ってほかのものを取ろうとすれば、その隙に手をはたかれてマッチ箱は落ち、大人にとられてしまうのだ。

こうして、中野区上高田の子供達は、墓場の石垣や近所の塀を、幼稚園にはいったかはいらないかの時期から上り下りして忍びの技術を学び、墓地サッカーや、墓地かくれんぼで鬼神も恐れぬ胆力を養い、カナブン取りのために夏の間、墓地中の木を蹴りまくることですさまじい蹴り技を身につけ、豆まきで欲に支配された大人の恐ろしさと、それにどう対処するかを学ぶ。

そして10歳になるころには、いつでも、かの陸軍中野学校に入れるような、はしっこい子供に育つのである。(ウソです)

そんな少年期の終わりに・・・・

あの子供御輿事件は起こったのだった。

Uploads on coming monday!!
see you (^_-)

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2004.09.13

チャイニーズスプラッタストーリー(その3)

頭が真っ白になるほど最悪のスプラッタシーン(-_-;)


当時、中国の某所にあった僕の会社は、市内にはいっていく大通りに面して大門があり、そこを入った所に所轄局に所属する会社がいくつもあるブロックの中にあった。

工場の裏手はすぐに海になっていて、岸辺は石組みの簡単な港になっており、そこでは市内の建築に使うコンクリート用の砂を上流の川岸からもってくる小舟が何艘もならんで、砂をおろしていた。

それはある意味で、すっごくのどかな風景だった。

中国に赴任して工場の建設がすむと、僕は時間があるときその港にでて、ぼんやりと砂運びを見ていることがあった。

ぶっちゃけ、東京生まれの東京育ちである僕は、陸では自分の育った環境との、あまりにもの落差に激しく落ち込む事があった。

その点、海はいい。

日本でも中国でもかわらないし。

もっともある日、引き潮で海面に出た岩場の上に腰をおろしてぼんやりしていたら、なにやら動くものがあるのに気づいた。

よっく見てみると、それは仔猫ほどもある、巨大なネズミだった。

しかも一匹ではない。

岩場のカニやら虫を狙っているのか、そこら中の岩の隙間からゾクゾクと出てくるのだ。

気がつくと、のどかな岩場は、数十匹の巨大ネズミに完全に支配されていた。

まるでネズミの惑星だ。

僕は巨大ネズミの群れに包囲されているのだ。

まるで西村寿光の『滅びの宴』の世界だ。

こわかったよん(-_-)

それ以来、僕は岩場なんかには近寄らず、日本から持ち込んだ「原付なのにアメリカン」なホンダのJAZZに乗って、のどかな風景をタバコをくゆらせながら眺める事になった。

ある日、僕が一階の生産管理事務所でお茶を飲んでいると、車にのってどこからか帰ってきた中国人の工場長が、首を振りながら部屋にはいってきた。

どうしたのさ?と聞くと、彼はすっごくイヤそうな顔をして言った

「最悪ですよ。もう、ばっらばら」

何が?

「人間ですよ。ニ・ン・ゲ・ン!!」

事務所にいた他のスタッフが「う~っ!!」と声をたてた。

しかし、僕は違った。

どこで?どこでバラバラなの?

多分その目はキラキラと輝いていただろう。

「大門出たところですよ。私が出かけるときには事故の直後だったらしくて、道路上に散乱してました。多分裏の砂運びの日雇いの人だと思いますけど、車にはねられたあと大型トラックにひかれたらしくて。今車から見たら、拾い集めて一カ所に集めていましたけど」

100メートルも離れていないところで、そんな凄い惨劇がっ!!


バラバラの死体は、中学生くらいのころ、電車への飛び込み自殺のを見たことがあるだけだった。(って、何度も見たことある日本人がいるのか?)それもおおかた処理が終わったところで、僕がみたのは肝臓らしき臓器を拾っているところで・・・・

部屋を出て行こうとする僕を工場長が呼び止めた

「15分後に会議ですよ」

「それまでには帰るから」

僕は愛車のJAZZのエンジンをかけると表通りにむかった。

真夏で気温は40度近くあった。

100m先だって歩いていったら死にそうな暑さなのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「アメリカンバイクだけど原チャリ」というホンダのJAZZで大門の所にやってきた僕は、とりあえずいつものように、大門の脇にある雑貨屋の前にJAZZを止めた。

このお店では、日常雑貨のほかにジュースやお菓子なんかを売っている。

仕事に疲れて社内でほげ~っとしていても、当然他のスタッフの話す中国語が聞こえてくる。

そうなると気持がやすらがない。

そんなわけで、僕はこの店を時々利用させてもらっていた。

店番をしているのは大抵14,5にしか見えない女の子で、(でも実際は18過ぎなんだろう)愛想は悪くないが、僕が店先に出しているテーブルでジュースを飲みながらお菓子を食べている間は、大抵雑誌なんかを読んでいる。

市内に入るちょい手前なので、歩く人はほとんどいない。

ほぼ全員が自転車だ。

だからテーブルに座る僕の耳にはいるのは、通りをひっきりなしに通る車の音だけになる。

僕はジュースを買うと、テーブルについた。

そして鋭い視線を道路上に走らせた。

おおっ!!

確かに!!

そこここに血痕らしい、黒い跡が・・・

しかし、肝心の死体はいずこ?

集めている人だっていないぞ?

すでに回収は終了してしまったのか?

ちょっとがっかりして(ひどい奴ですね。よく考えると)僕は残ったジュースを飲み干した。

その時。

道路のはじっこに、不思議なものを見た。

こんもりとしたかたまりの上に、筵(むしろ)がかけてあるのだ。

まさか?

あれが?

でも、あんな風に、どぶからさらったヘドロのように道ばたにおいておくものか?

バラバラ死体かも知れないが、一時間前には確実に生きて、歩いて、考えてた人間だぞ。

僕は店番をしている女の子に話しかけた。

「ねえ、どぶさらいでもしたの?」

「え?」

「あそこに、なんか筵かけてあるじゃん」

そういうと女の子は、筵の方を見てすっごくイヤな顔をした。

「さっき交通事故があって、人が死んだのよ。で、回収にくるまでおいてあるの」

やっぱり!!

あの筵に被われた塊は、紛れもなくバラバラ死体!!

「見た?事故の時?」

「そりゃ見たわよ。ずっとここに座ってるんだから。トラックにはねられて、コンテナトレーラーにひかれちゃったの。しかもそのあとのトラックにも踏まれて・・・・思い出しただけでも気持悪くなる」

コンテナ車か・・・・

そりゃあ、相当バラバラですな。

僕は筵を見た。

それは、存在を忘れ去られたように放置されたままだ。

見に行くか?

しかし、やっぱそれはまずいだろ・・・・

でも、筵をめくったりしなくても、筵の上からみれば・・・・

ああ、もう会議がはじまる!!

どうしたらいいんだ!!オレはっ!!

その時・・・

僕の目の前をモッコというのだろうか?要するに工事現場なんかでコンクリや砂なんかを運ぶ一輪車を、えっちらおっちらと走らせて、三角のベトコンのかぶるような帽子をかぶった男が通り過ぎていった。

砂運びの日雇いの人だろう。モッコにはスコップが入っている。

日雇いの人はまっすぐに筵の方へと向かっていった。

もしや・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

会社に戻ると、会議室には僕以外の全員がそろっていた。

「円くん。遅刻ですね」

日本人の社長が、特に責めるふうでもなくいった。

社長はここに来る前にも北米や、南米なんかで働いていたことがある。

10分や20分の時間にイライラしていたら、先行き自分がつらくなるだけだとわかってる男なのだ。

日本人スタッフは僕と彼の他に、技術顧問がいるのだが、今日は休みだった。

「すいません」

素直にあやまり席につくと工場長が話しかけて来た。

「見に行ったのか?」

「うん」

すると中国側の副社長がいぶかしげな顔で聞いてきた。

「何を見にいってきたんですか?」

「事故の死体」

同席していた現地の管理職が一斉に興味津々という顔をした。

日本人の社長だけが、中国語で何をいっているのかわからず、ざわつきだした一同を不思議な顔でみていた。

「でも、筵かぶせてあったろ?」

工場長がそういうので、僕は中国語で一気に説明してあげた。

「そうそう。筵がかぶせてあったんだけどさ、帰ろうとするとモッコひっぱって砂運び場の日雇いの人が来たんだよ。モッコのなかにはスコップが一つはいっていてさあ、まさか違うよなと思ったんだけど・・・」

通訳兼社長室付きの女性秘書が、社長に「ちょっとすみません」といって席を外した。

彼女は年齢も僕とほぼ同じだし、唯一日本語をしゃべれる現地スタッフなので、僕とは仲がよかった。

当然僕が何を言い出すかを予期して、席を外したのだ。

「やっぱそうだったんだよね。そいつが筵めくると、なんだかいろんな色の塊があってさ、それをスコップでザクッ!!ってさらうと、モッコのなかに入れてさ。ザクッ!!ザクッ!!って。

日本人の社長をのぞく全員の目が、でっかく見開かれていた。

多分こんなことを、何かに憑かれたように語る人間は見たことがないのだろう。

「黒い髪の毛みたいなのや、黄色の内蔵みたいなのやその他諸々を、ザクッ!!ザクッ!!ってすくってモッコにいれてくの。なんか腕とか足とかはだら~んてなりそうなんだけど、ならなかったからそれだけ細かくバラバラになっちゃったのか、それともそういう大きいパーツはもう持って行ってしまったのかわかんないけどさあ。そいでもって全部モッコにいれたら、上に筵たたんでかぶせて、俺の前通って帰っていった。それがイヤな顔してるわけでもなく、損な仕事させられたって顔してるわけでもなく、砂運ぶみたいに、なんの表情もないんだよね。流石に俺も頭の中が真っ白になって、しばらく動けなくなっちゃって」

女性人事課課長が会議室から出て行った。

他のスタッフもとてつもなくイヤ~ンな感じの表情だ。

「ど、どうしたんですか?」

女性スタッフのみ二人が、急に部屋からでていったので、さすがに社長が僕に尋ねた。

「いや、表通りで事故があって、死体を回収してたってだけの話ですけど」

「そうでしたか。じゃ、会議はじめましょうか。通訳は円君の話きいてないんだからすぐ呼んでください。人事課長はおちついたらでいいですから」

そうして何事もないように会議がはじまった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会議が終わり、僕と日本人社長は、日本人専用の食堂でカレーを食べていた。

普段の僕は、下の工員用食堂で、工員と同じものを食べたりすることが多い。

でも技術顧問が休みとなると、社長一人で食事させるわけにもいかない。

コックに免税店で買ったハウスのカレールーとチキンコンソメを渡して、カレーの作り方を教えておいて、つくっておいてもらったのだ。

僕は食事の前に、さっき中国語で話した通りの内容を社長にきかせてあげた。

もちろん社長が要求したからである。

「そうでしたか。私は女性スタッフがいきなり部屋から出て行ったので、何か強烈なシモネタでも言ったのかと思いましたが。それにしてもそんなのよく見にいきましたね。まあ、円君は映画みるにしても、妙な映画ばかりみてますけど」

ここでいう妙な映画というのはスプラッタムービーの事ではない。

当時お互いに持っているビデオを貸しあっていたのだが、社長は奥さんと僕と同じ年の娘を伴っての赴任である。社長はともかく、奥さんは極めて健康的ないい人なので、スプラッタムービーなんか見せる訳にはいかない。(娘は現地の大学に留学して学生寮にすんでいた)それにスプラッタものは全部8mmビデオだし。僕が社長に貸したのは『ゴダールのマリア』や『ミツバチのささやき』『エル・スール』なんかである。

これを妙な映画といわれてもなあ~

「別にそんな光景見たかった訳では。ちょっと死体がみれるかなあと思っただけで。でも、どうなんですかね?正直死体を道ばたに放置しておくのもどうかと思いますけど、まるでそこいらの砂や、石やゴミと同じに、スコップですくってザクッ!!ザクッ!!っていうのは」

「まあ、そんなもんでしょう。日本が特別なんですよ。アフリカじゃ普通に餓死した人が野ざらしになってる訳だし、ナチのユダヤ虐殺のフィルムみたって、なんか数百体がひとくくりって感じでモノ扱いで穴に埋められてるじゃないですか。見ると激しく違和感を感じる光景ですけど、一般的にいったら、死体なんてその程度の扱いしか受けられないもんなんじゃないですかね」

ん~。そういうものなのかな。

「死体といえども丁寧に扱われるのが常識である現代の日本人だということが、世界的にみれば幸運だと言うことです。100年もさかのぼれば死体が野ざらしなんて普通だし。203高地の戦闘とか、第二次大戦の時の南洋の島々とかでもそうでしょう」

それはそうかも。

それにしても・・・・

「社長もこんな話ししながら、よくカレーなんか食べられますね」

「いや~僕は遠洋乗ってた事あるから、全然平気です。「あいつちょっとあぶないかも」とかいってて、ある日ドアあけたら首つってるなんていうのはけっこうあったし、一番イヤだったのは、船の窓ぼんやりと見てたら、頭おかしくなって海に飛び込んだ奴がいて、窓を隔てて海におちていくそいつの、ひきつった顔と目があっちゃった時ですかね。死体はあがらなかったけど、そいつが最後に見たのが私の顔だと思ったらイヤでしたよ。まあ、怪我なんかはしょっちゅうあったけど、ひどい怪我だと、血をとめるのが忙しくて気持ち悪いとか思うヒマもないもんです」

そういうと社長はカレーを口に運んだ。

「カレーはいいですね。カレー粉さえあれば、肉、じゃがいも、にんじんに玉葱で、どこの国にいっても同じ味のものができますから」

僕は嬉しそうにカレーを食べる社長を見ながら、オレもいつかはカレー粉のような人間になりたいと思っていた。

「円君はいいですね。円君さえいれば、世界中どこ行っても同じモノができますから」


とある事情で、海外での仕事を断念せざるをえなかった僕は、結局その夢を果たせそうにはない。


The End

NEXT 「すばらしき中野区ー少年達の祭りー」

Uploads on coming monday!!

see you (^_-)

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2004.09.06

チャイニーズスプラッタストーリー(その2)

共産圏に乞食なんて・・・90年代初頭。パンドラの箱が開いたような中国での話

中国に住んでいた頃、「ありゃ?」とか「ウオッ!!」と思うモノは色々見た。

最初にびっくりしたのは、僕が馴染みのホテルのレストランの裏口から出ると(別にお金を払わず逃げようとしたわけではない。表から出るとホテルの正面玄関を通ることになり、両替屋なんかがうるさいので、僕はいつも裏口から出てたのだ)子供がかけよってきた。

そして左手の上に折りたたんだ汚い紙をのせ、それを右手の二本の指でたたきながら何かを言ってくる。

中国に住み始めて二年目くらいのことで、中国語がようやく話せるようになった頃だ。僕にはその見知らぬ子供が何を言っているのかわからなかった。

しかし、子供は一生懸命何かいいながら、左手に乗せた紙を右手でたたく。

これはどういう事なのだ?

ホテルから出た時に、タクシーの運転手や、当時外国人向きに発行されてた外貨券を人民元に交換する両替屋にしつこく声をかけられることはあったが、子供に声をかけられるのははじめてだ。

そっか!!

きっとこの子は、標準語がしゃべれないのだ。

そして初めてのお使い宜しく、左手の上の紙片にご用の内容が書いてあるのだ。

多分バスの停留所を教えてくれとか書いてあるに違いない。

僕はその子の左手の上にのってる紙片をひょいと取り上げた。

すると・・・・・

子供はピョンピョンはねながら、僕がとりあげた紙片に飛びつこうとする。

「?」

違うのかな?

初めてのお使いじゃないのかな?

僕は紙片を広げて見た。

それは紙片ではなく、ボロボロになり、黒く変色した人民元!!

おおっ!!

わかったぞ!!

これはっ!!

乞食という奴?

僕が子供の頃、永井豪のマンガ(多分)で『おもらいくん』というかなりキョーレツなマンガがあった。

当時の僕たちでさえ、「キツイ!!」と感じたくらいだから、今、あの本を復刻したら10代の子供達はどう思うだろう?

だが、僕が子供の頃でさえ、すでに道路のはじっこに筵広げて、空き缶をおき、お金を恵んでくれる人を待つという人たちはマンガの中にしか存在しなかったのだ。

まさか共産圏で乞食を見るとは・・・(って乞食って単語は使っていいのかな?まあ、変換できるんだから大丈夫なんだろう)

あっ・・・・

俺、乞食の子供からお金を奪ってしまったよ。

ギャングだよ。

まさに日本鬼子。

鬼畜にもまさる所行だよん。


事情をようやく理解した僕は、必死になってとびかかる子供にお金を返してあげた。

そんな不憫な身の上とは知らず、悪いことをしたな、ボク。

子供はお金をしっかりつかむとボクを睨みつけた。

まあ、乞食を生業としている彼からすれば、まさかこの世に乞食のお金をむしり取る極悪非道な人間がいるとは思いもしなかっただろう。


だがその時・・・・・

僕の背後にあるホテルのレストランの裏口から、華麗なチャイナドレスに身を包んだ若い女性が飛び出してきた。

僕と仲良しのチーフウエイター(っていうかウエイトレス)であり、太股までスリットのはいったチャイナドレスはレストランの衣装である。

彼女は僕にニコリと会釈すると、5歳になったかならないかの子供をにらみつけると同時に、チャイナドレスの裾をちょっとだけ上げた。

そして・・・・

「うちの大事なお客様に、なにするんじゃ~っ」と(当然中国語で)いうと、情け容赦なしに白いふくらはぎを見せて、子供の太股に強烈なキックを見舞ったのだ!!

当然子供はその場から動けなくなった。

「さ、こちらへ。今日は正面玄関からお帰りになってくださいね」

と、とりあえず、あの幼子の心の中に「日本人=悪い奴」という公式がインプットされないでよかったよん(-_-;)

でも、彼は絶対チャイナドレス嫌いになったと思うな。

「僕のトラウマはチャイナドレスです。子供の時に物乞いをしてたら外国人と思われる男性にお金をむしり取られて、そのうえ、ホテルのチャイナドレスのお姉ちゃんにケリいれられました」

ある意味あり得ないトラウマ・・・・

・・・・・・・・・・・・・

それから二年後。

僕の住んでいる町にホリディ・インができた。

五つ星を取るために作られたそのホテルは、完璧なアメリカンスタイルで、一階のカフェにはデリカテッセンがあり、そこには沢山のチーズ類が並んでいた。

おまけにテレビもNHKのBS放送とWOWOWまで見ることができたのだった。

その年の旧正月休み、僕は日本に帰らずにホリディ・インのビジネススイートに部屋を取り、のんびり過ごすことにした。

朝は前の日に注文しておいたルームサービスのノックで目を覚まし、テレビをつけてWOWOWの映画なんかを見ながらクイーンサイズのベッドで朝食を食べる。

1時頃、下のカフェでハンバーガーや、ホットドッグ、アメリカンクラブサンドイッチなどを食べ、掃除が終わった部屋に戻るとまたテレビを見て、4時頃になるとフィットネスルームにいく。

軽く汗を流して、サウナにはいり、マッサージをしてもらい部屋に帰ると6時半。

下のカフェにいってバイキングの料理が気に入ればバイキングにして、気に入らなければラムチョップや、ステーキなんかを注文して食べる。

で、部屋に帰ってまたテレビ。

ああ、これで夜伽の美女がはべってくれたらマジで天国の日々・・・・

でも4日もそういう生活をすると飽きてくる。

しょうがない。今日は正月だし、メインストリートでも歩いて来るか。

僕は完璧に衛生的な環境から、まんま中国な町に繰り出した。

メインストリートは人でごった返している。

ふ~ん。正月でも店あけるんだな。

いままで旧正月は一週間休みだったから、日本に帰ってて知らなかった。

僕は人混みにまざって、メインストリートをゆるゆると進んだ。

すると10mくらい先で、人が両側に分かれているのが見えた。

これまで以上にぎゅうぎゅうな道の両側。

誰も歩いてない道の中央。

なんか終電のゲロ吐き車両みたいな・・・・・

もちろん僕はそのまままっすぐ進んだ。

でも、すぐにホテルにいればよかったと後悔したよん。

道の真ん中には筵がひかれていた。

そしてその上には空き缶がおかれている。

だが、もちろん筵と空き缶がおいてあるくらいでよける中国人なんていない。

みんながよけていたもの。

それは筵の上にごろんとおかれたままになってる人間だ。

その男には、膝から下がなかった。

左腕もなかった。

全身は凄まじく薄汚れている。

まるでどっかから、この町の中心部までゴロゴロ転がってきたような汚れ方だ。

まったく動かないので生きているのかどうかすらわからないが、流石に呼吸を確かめる勇気はなかった。

その理由。

うまく表現できないのだけど、残っている太股の部分に車のタイヤをきったものが巻き付けてあったのだ。

(-_-;)?

アナタハガンタンクナノデスカ?

人間想像もしてなかったものを見ると、とんでもない事を考えてしまう。

そんなわきゃね~!!

流石の僕も10元札を缶の中にいれた。

中国の南方に位置するとはいえ、2月は東京並みに寒い。

その寒さのなか、歩道の真ん中に筵敷かれて、その上に空き缶と共にうち捨てられたようにおかれている片腕と両足のない男。

しかも両足には何故かキャタピラのように車のタイヤが・・・

こんな正月イヤだよん・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

正月明け、僕は秘書に聞いてみた。

「あのさ、正月メインストリート歩いていて、すっごい乞食みちゃったんだけど」

「ああ、足のない人ですか?私も見ましたよ」

「ホント?車のタイヤしばりつけてたでしょ?」

「はい」

「あれってなんでつけてるのかなあ?」

「わからないんですか?」

「わかるの?」

「当然じゃないですか。膝から下がないんだから、ズルズルはいずるしかないでしょう?でも、ズボンはいてたら、すぐズボンがやぶけちゃうし、ズボンはいてなかったらすりむいちゃうじゃないですか。でも、車のタイヤああしてつけておけば、いくらはいずりまわっても、全然すり切れないで、10年でも20年でも使えますよ」

「・・・・・」

「もしかしてお金あげちゃいました?」

「うん。正月だっていうのに、あまりにもかわいそうなんで10元あげた」

すると秘書は頭を振っていった

「ダメですよ。あの人が一人ではいずりながらあそこまで来たと思うんですか?元締めがいて、朝、あの人をあそこにおいていくんですよ。お金あげても、あの人の懐には一円もはいらないです。元締めが儲かるだけなんだから。誰もお金を恵まなければ元締めも彼も別の町にいっちゃうんです。」

そのほかにも、ああいう人たちが何故できちゃうのかってことも聞いたけど、それは伏せておく。

でも、僕はどうしてもあのタイヤが気になった。

秘書の説明によると、一種のサイボーグみたいなものか?

「あのさ、俺思うんだけど、タイヤああやってつけるくらいなら、車椅子買ってあげればいいと思うんだよね」

秘書は「はあっ?」というような顔をして僕を見た。

「あの・・・・彼は乞食ですよ?車椅子買える訳ないでしょう?それに車いすのってたら乞食の仕事できないですよ」

まあ、確かにそうだよね(-_-)

でもなあ

日本人の感覚からすると、四肢のうちの3つがない人を、ゴムタイヤ切ったのとりつけて道ばたに放置するだけではなく物乞いにしちゃうっていうのが抵抗あるんだよ。

別に良い子ぶる訳じゃないんだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だが、そんな僕のナイーブさをあざ笑うような事件がおこった。

それは僕が経験したなかで、もっともシュールな光景であり・・・・・

僕の死生観に、決定的な何かをもたらせたのだった。

Uploads on coming monday!!
see you (^_-)

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2004.09.02

ゆんたくアクマちゃん19

今週UPの「チャイニーズスプラッタストーリー」は右側からどうぞ

こんばんわ。『3ヶ月で10キロ減に挑戦!!』もあと22日残して9キロ減量に成功。今日明日はダイエットなんて気にせずに食べまくる(ただし一日に消費されるカロリー量の範囲内で)円海です。

でもまさかできるとは思いませんでした。計算上は大丈夫だったんですが。事前に三週間くらいかけて、これを毎日喰えるか?とか、こんなこと週5日できるか?とかチェックはしてはみたものの、正直自分でも「3ヶ月で10キロ痩せられたら太る奴なんかいね~よっ」と内心思ってたんで。

2年半前にくらべると実に25キロの減量に成功したわけで、いや~びっくし。ちょい古いけど、自分を誉めてあげたいです(^-^)

「ブログで毎日自分のダイエット状況を公開していけば、途中で投げ出さずにできるはず」と言い出してダイエットブログをはじめたのはWADApなんですが、さすがは師匠!!確かにその通りでした。「ああ、もうここまで痩せたからいいや」と思っても、増えていくカウンター見ると、「いや、やっぱしがんばらなくちゃ」と思いますもんね。

タレントの女の子なんかが、人気が出ればでるほどきれいになるといいますが、そういうのも常に多くの人に見られているという意識が、動作や表情なんかに華をつくりだすんではないかと思いますね。

まあ、注目をあびたとたん勘違いしてダメになっちゃう子もおおいんでしょうが。

話はかわりますが、夏が終わったので、サイトのデザインももとに戻しました。

ついでにロゴも秋冬寒冷色バージョンに。デザインは前回同様いでっちです。

やっぱこのデザインは落ち着くなあ~

ダイエットブログをはじめてから、全体的に薄くなってしまったという自覚というか、反省はあるので、10月からは気合いを入れ直してがんばります。

では!!


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