申し訳ない!!<(_ _)>
すみません。この二週間本業の方が忙しいのに加え、喉風邪こじらせちゃいまして、今週は誠に申し訳ないですがお休みさせていただきます。
多分来週は二週分UPできるかと・・・・・
すみません。この二週間本業の方が忙しいのに加え、喉風邪こじらせちゃいまして、今週は誠に申し訳ないですがお休みさせていただきます。
多分来週は二週分UPできるかと・・・・・
タイトルは台湾夜話なのに、まだまだ続くプロローグの韓国編。いいのか?これで・・・
今回のいいだしっぺは教授である。釜山旅行がボツになることはありえない。旅行会社をはじめたOBがやってきて、見積もりをした。
積み立てたお金に2万円足せば釜山だ。
学生の身の上に急遽2万円はきついが、その2万円で、ツインの部屋にとまれる。その2万円で、夜の宴会もなくなる。
しかも、何よりも、その2万円ですべての手配を旅行会社がやってくれて、僕等は何もしなくてよくなる!!
ゼミの時間、モトちゃんが釜山旅行の計画を他の三年生に告げた。
「なして海外?」
僕とモトちゃんはそろっていった
「国内で、宴会やって裸おどりとかさせられたい?」
「国内で、4年生と同じ大部屋で寝たい?」
「国内で夜中に酒かってこい!!とかいわれて使いっ走りにされたい?」
三年生全員の答えは
「全部イヤ。」
教授がやってきた。
「先生。僕たち三年は全員釜山旅行に賛成です」
「そうか。ずいぶん結論が出るのが早いな」
「それだけが取り柄ですから。」
「では午後の四年生のゼミで僕から話しておこう。まあ、反対はせんと思うが」
教授は満面の笑みを浮かべていった。
反対なんてさせる気がないのがミエミエである。
僕は学んだ。
組織で自分の意見を通すこと=組織で一番の権力者を抱き込むこと。
権力者を抱き込む手法=一番求めていることを与える事
権力者=教授
求めていること=大学の歴史始まって以来初の卒業旅行で海外にいったゼミの教授という名誉(?)
しばらくして、大旅行担当のボリボリ君(みゆちゃん命名「だって授業中いつも体をボリボリしてるんだもん」)がスケジュール表をつくってもってきた。
なんと日本から添乗員(OBの先輩)がつく(これで教授の相手をしなくてもいい!!)現地でのバスは貸し切り、通訳もかねたガイドさん付きである。もちろん三食付きだ。
まあ、今だったら「日本からの添乗員いらないから安くして」というところだが、その時、僕等の中には、海外にいったことがあるのは、モトちゃんが一年前大学の先輩を頼ってパキスタンにいったきりで、他には誰一人いなかった。
僕はスケジュール表でひとつだけ?な点をみつけボリボリ君にといただした。
「行きの飛行機は1時間半なのに、帰りは何故4時間かかるんだ?時差?」
鉄道研究会のメンバーであるボリボリ君は言った
「韓国と日本で時差はない。ジェット気流が逆になるからだろう」
ジェット気流恐るべし!!同じ距離を行きは1時間半に短縮。帰りは4時間に!!
もちろんそんなことはない。そんなジェット気流なら行きは30分でついてしまう。ボリボリ君の間違いだった。
「おい!!誰か朝鮮語話せるのか?俺話せね~ぞ!!」
ヘルニア友人がいった。
僕もヘルニア友人も第二外国語はフランス語だ。しかも再履修組の落ちこぼれである。フランス語のかっこよさにあこがれてフランス語とったが、鼻母音が発音できないのがわかって、やる気をなくした。鼻母音のないフランス語なんてちっともかっこよくない。
モトちゃんは中国語。その他も、スペイン語やらドイツ語で、4年にもハングル語を履修してるものはいなかった。
「でも、OBも一緒だし、通訳ガイドがつくから大丈夫じゃない?」と僕。
「買い物は金だせばなんとかなるよ」
唯一海外旅行の経験があるモトちゃんが言った。
それでも微妙な不安がよぎる。何しろはじめての海外旅行なのだ。
その時教授が言った。
「君たち、そんなことは気にするな。何故僕が釜山を選んだと思う?料金が安いからという理由だけじゃないぞ。君たちに実感がないのはしょうがないが、あそこは僕が君たちの年頃の頃は、日本だったのだ。こまったら年寄りをつかまえて聞きなさい。みんな日本語がしゃべれるから」
さすがは「大日本帝国」時代に青春をすごした教授!!
韓国に対して「あそこは日本だったのだ」
今だったら冗談でも言えない・・・・・
歴史的に事実であるにもかかわらず・・・・
だが当時の僕等は、それを聞いて安心した
「なんだ、年寄り限定だけど、日本語が通じるんだ!(^^)!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうしてはじまった、「はじめての海外旅行 釜山」
はじめての飛行機では、気流にまきこまれ、飛行機はガンガン揺れた。
いや、揺れたのではなくて、しなった。
だがボリボリ君が飛行機が揺れるたびに騒いでうるさい意外は快適だった。
飛行機が釜山につき、僕等は夕闇のなか、町に繰り出した。
男性用の公衆トイレがあった。
「おい、みろ!!」ヘルニア友人が言った。
「トイレが下水管につながらず、石油のポリタンクにつながってるぞ!!」
確かに簡易トイレのごとく、男性用のおしっこ便器の下には石油のポリタンクがあり、そこに尿がたまるようになっている。
「おしっこをためてどうするのだ・・・・」
「肥料にします」
ガイドのおばちゃんが言った。
僕等は絶句した。
下水にながさず、わざわざポリタンクにためて、肥料にするのか・・・
肥だめというのは聞いたことがあるが、日本では戦前の話。僕等は誰一人肥だめを見たことがない。これは都会のおしっこ専用肥だめなのか?
夕方の町中は、すごい混みようだ。
キョロキョロしながら歩いていたので、僕はあやうく人にぶつかりそうになった。
さっとよけて、相手を見ると、相手の韓国人は冷たい目で僕を見ていた。
M16をもって・・・・・
僕はあわてて、教授のところにかけよると言った。
「先生!!M16もった兵隊が町の真ん中にいますよ!!本物のM16もってます!!今、ぶつかりそうになりました!!」
「ん?韓国は北朝鮮とまだ戦争中だからな。休戦はしてるが。町中に兵隊がいてもおかしくはあるまい」
「ええ~っ」
僕等は全員ブッたまげた。
「北朝鮮と休戦中って、朝鮮戦争ですよね?あれって第二次大戦のあとでしょ?僕等が生まれる前にはじまった戦争じゃないんですか?もう20年以上昔の事じゃないんですか?あの戦争を、まだ続けてるんですか?しかも同じ民族同士で?」
「まあ、日本人も武田信玄と上杉謙信がずっと戦争してただろ」
「いや、先生、それって江戸時代の前の話じゃないですか!!徳川家康の前の豊臣秀吉のさらにまた前の、織田信長の時代でしょ?」
「まあ、そうだが。円君。僕の言いたいことを察しろ。すべて言わせるな」
今なら教授のいいたいことは(なんとなく)わかる。だがそのころは?だった。
「もうすぐ光州事件の日なんです。それで暴動とかがおこらないように警備してるんです」
ガイドのおばちゃんが来てそういった。どうやら南と北にわかれて20年以上戦争してるだけではあきたらず、南がさらに二つにわかれそうな騒ぎになったことがあり、それを光州事件というらしい。
想像を絶する国、韓国!!日本の植民地支配が終わったら、今度は同じ民族同士で20年以上戦争しつづける、朝鮮民族!!でも休戦状態でそんなに長い時間・・・
「もう、飽きたから、この辺で手打ちにしようや」って事にはならないのか?
謎・・・
「おおっ!!」
今度はモトちゃんが声をあげた。
「先生!!ここは確かに日本ですよ!!だって屋台がみんな海苔巻きを売っています!!」
たしかに・・・・
あちこちの屋台で、海苔巻きが売られている。
「日本でもこんなに海苔巻きを売ってるストリートはないですよ!!」
さすがはパンクロッカーのモトちゃん。
ストリート!!
「すげ~。韓国人はキムチと焼き肉ばっかり喰ってるんだと思ってた。韓国でこんなに海苔巻きが人気だなんて。ここはきっと、海苔巻きストリートだ!!おにぎりもあるんじゃないかな?」
モトちゃんの言葉に皆が感動した。ああ、日本人は日本に追い返されても、海苔巻きだけは日本の心として、韓国の人たちに愛され、こんなメジャーな食べ物に・・・・
「やっぱここは日本だったんだ。なんかSFのパラレルワールドみたい。第二次大戦から別の歴史をたどった日本が、今、僕等の目の前に・・・・」
「パラレルジャパンだね~」
「こ、これは海苔巻きではありません!!キンパッです!!」
そういったのはガイドのおばちゃんだ。
「だって、どっから見ても海苔巻きですよ。これ」
僕等は屋台の一つを囲んで海苔巻きを見た。
「ほら、中に巻いてあるのもたくあんみたいなのだし」
「キムチじゃないんだ?」
(キムチだと、中央が赤くなって、日本の国旗みたいになってしまい、流石にヤバイからじゃないか?)
「おおっ!!本当だ!!本物の海苔巻きだ~」
何故か僕等はうれしくなり、パチパチと拍手した。
いつの間にか人の流れがとまっていた。
「海苔巻きではありません!!キンパッ!!もういいですから!!先にいきますよ!!」
ガイドのおばちゃんがあわてたように言った。
「え~ 海苔巻き食べてみたいのに~」
「キンパッ!!たべなくていいです!!行きますよ!!すぐ行きます!!」
今から思えば、周囲に不穏な空気が漂っていたのであろう。
だが、当時の僕等は全然気づいていなかった。
なんたって、一人をのぞいて、海外ははじめてという、超お馬鹿な学生さん達なのだ。
そんな初日からはじめて、僕等は楽しく釜山を過ごした。
食事もまずまずで、食べられないモノはなかったし。
夜も三年と四年は別々の部屋に集まって飲み会となった。
ガイドのおばちゃんのほかには、きれいなバスガイドさんがいて、移動中は歌を歌ってくれたりする。みなガイドさんと記念写真をバシバシとっていた。撮るのは運転手だ。
だがもちろん僕は写真などとってもらわない。ハードボイルドはやたらと写真を撮らせないものなのだ。
そして帰国の日。
空港に向かうバスの中で、僕等の楽しい気分を思いっきりへこます事件がおこった。
バスガイドのきれいなおねえちゃんが歌を歌い終わって・・・・・
「ではみなさん。ありがとうございました。ここでね、皆さんととった写真を販売しますよ。釜山の思い出に是非買っていってくださいね。一枚五百円ですけど、飛行機にのるまでにきれいな表紙をつけて本みたいにしますからね。」
そういうと一人一人の所をまわって予約(?)をとりはじめた。
一枚五百円?
日本より高いだろ(>_<)
日本だって250円くらいだぞ?
僕のところに来たとき、「円さんはこれとこれと・・・6枚うつってます。3000円ね」
断ってもいいのだが・・・・・
断れなかった。
なんといっても、僕等は海外旅行はじめてのお馬鹿な学生さん達であり・・・・
しかも、ここで、写真を売り込みに来るとは、完全に意表をつかれていた。
しかし、もっとも悲惨なのは、美人バスガイドとはしゃいで写真をとっていたヘルニア友人だった。
彼の映った写真は24枚もあったのだ。
「12000円ね」
「そんな金ねーよ」
ヘルニア友人は最初あっけにとられた顔をして、そのあとムクれた。
ガイドのおばさんが出てきて話し合いがつづき、結局ヘルニア友人は8000円分かわされることになった。
「信じられない。この旅行で一番高い買い物が、写真だ・・・」
ヘルニア友人はそうつぶやきながら、紙の表紙をつけて紐でとじた写真を空港で受け取った。
僕等は日本に戻ってきた。
「円、わりい。家までの電車代貸して。写真代と空港の税金で一文無しになった」
電車に乗ったとき、僕等は自分たちがいつの間にかニンニク臭い一団になってることに気がついた。周囲の日本人も迷惑そうな顔をしている。
「毎日焼き肉だったから、壁にかけたコートに染み付いちゃってるよ。匂いが」
「クリーニング出したらとれるかなあ・・・」
「っていうか、クリーニング屋が受け取ってくれるかどうかが問題のような・・」
迷惑そうな人たちに「自分たちは韓国旅行に行ってただけです。韓国で毎日焼き肉だったから匂いはしょうがないんです」と理解できるように、僕等は大きな声で話した。
その時、ヘルニア友人が、一人ちっさな声でつぶやいた
「俺、二度と韓国になんかいかね。絶対だ」
この旅で、僕等は二つのことを学んだ。
①釜山では日本の海苔巻きが大人気。でもそれを「海苔巻き」と言ってはいけない
②外国旅行したとき、現地の旅行業者とは仲良くするな。最後には高い買い物をさせられスッカラカンで日本に帰るハメになる。
この二つを魂に刻み込み、僕等は翌年の台湾旅行に挑む事になるのであった!!
The End
NEXT 「恐怖台湾夜話ー前編ー」
Uploads on this week!!
see you (^_-)
そして一年後。教授を説得して台湾旅行の許可をとった僕たち。だがそれは、僕の人生最大のオカルト体験のはじまりだった!!
そして春。ぼくらはめでたく4年生になった。
あらたに三年生を迎えたが、関係もよかった。
僕等のなかには先輩面するヤツがいなかったせいもあるし、五月の小旅行は河原でのバーベキュー大会にしたため、自然と協力しあうようになったのだ。
学園祭の屋台も去年で懲りているのでやめにすることにした。
三年はほぼ全員がなんらかのサークルかクラブに入っているし、何よりも僕等はやりたくない。
去年の団子売りの時、ハードボイルドな僕は、いきなりおばちゃんやガキ相手に「お団子いかがですかあ~」とやるハメになり、恥ずかしさのあまり、終わってから熱を出して三日間寝込んだのだ。
だが、学園祭の屋台をやらないですますためには、教授を説得しなければならない。
なんといってもゼミがはじまってから9年間にわたりずっとつづいている習わしなのだ。
僕とモトちゃんは作戦をたてた。
「先生。ご相談があるのですが」
髪をデビューに備えてオレンジに染めたモトちゃんが切り出した。
「なんだね。言ってみなさい」
すべての若者が丸刈りだった大日本帝国時代に青春を過ごした教授だが、モトちゃんのオレンジの髪については、何もいわなかった。
春の教授会で、「いや~先生のゼミは卒業旅行海外だったそうですなあ。羨ましい。うちなんか、一泊の温泉ですら学生の意見がまとまらず、結局中止でしたよ」などと言われ、教授的にはかなり鼻高々だったのだ。
「学園祭の屋台なんですが」
「うん」
「四年生は卒論やら就職活動がありますし、三年生も今年はほぼ全員がサークルか、クラブにはいっているので、人手がたりないのです」
教授は無言だった。
「実は去年も先輩方が手伝えないということでXX(ヘルニア友人)が友達をあつめて、なんとか屋台を組み立てた次第で」
「ん?そうだったのか?僕はしらなかったぞ」
教授は考えこんだ。
僕とモトちゃんはとりあえず黙り、教授が自分の口から、僕等が期待する言葉を言い出すのを待った。大先生に答えをおしつけてはいけない。自ら答えをださせるのだ。
「つまり、今年の学園祭への参加は無理ということだな?」
僕もモトちゃんも、内心やった!!と叫んだ。
だが、もちろんそんな事は表情には出さない。
「はあ、残念ですが。でも今日ご相談にあがったのは、卒業旅行についてなのです」
モトちゃんは、さっくりと学園祭の出店中止の話を終わらせた。さすがはゼミ長!!
(今年から、全授業通じて、一番出席率がよく、まじめに大学に来ていて、周囲の信頼もある彼が、ゼミ長になったのだった。髪の毛オレンジだけど)
「卒業旅行かね」
「はい。実は三年ともちょっと打ち合わせたのですが、やはり今年も海外にいこうかと」
「なにっ!!二年つづけて海外かね?」
それまでちょっと微妙だった教授の表情がいきなり明るくなった。
モトちゃんは「台湾ゲゲボツアー」という本を取り出した
「個人的には台湾なんかよさそうかなと思っているのですが。この本見てもけっこう格安ツアーがあるみたいですし、なんといっても台湾は親日国なのでいいんじゃないかと」
「台湾!!」
去年のゼミの時、生徒の一人が発表にあたって「人民」という言葉を使った。
それに対して教授は「人民は共産主義の用語だ。民衆とか大衆といった言葉を使うように」と珍しく注意した。
僕等の大学はイメージとしては右よりだが、生徒はほぼ全員がノンポリである。だが、教授ともなると違う。
大学も当時は台湾からの留学生は積極的に受け入れていたが、中国からの留学生は受け入れていなかった。
「はい。やはり今後のアジアを考える上でも、台湾の発展くらいは見ておいたほうがいいかと」
そんなことはもちろん考えていなかった。
僕とモトちゃんが「台湾ゲゲボツアー」を見て考えたのは「排骨飯が食べたい」ということと、「湖南料理のハトのメロン蒸しが食べてみたい」の二つだけだった。
だが、教授を説得する為の理由としては、「台湾の発展」とかいう言葉を使用しなければならない。
「そうか。台湾か。なかなかいい企画だな」
教授はすでに目をキラキラさせて笑みを浮かべていた。
きっと頭のなかでは「二年連続海外への卒業旅行ですか?それは凄い!!」と教授会で話題になるシーンがすでに描かれているに違いない。
かかったぞ!!
「ちょっと早いかとは思うのですが、先輩に連絡とっていただいても宜しいでしょうか。ツアー内容とか検討したいんで」
「わかった」
教授はすぐに研究室の電話を外線につなぎ、旅行会社をやっている先輩に電話をした。
「うちの生徒が今年は台湾に行きたいといってるんだ。もちろん僕も一緒だが。相談にのってやってくれんか?」
こうして僕等の卒業旅行は台湾に決まった。
だが、その時の僕は知らなかった。
この旅行から一年後には、仕事で中国に五年間も住むハメになることも。
その五年間、ほぼ毎日中華料理食べることになるって事も。
そして、何よりも、体験した自分自身でも信じられないような、オカルト体験をすることも・・・・
みなさん。
幽霊が本当にいるかどうかはわからないけど、オカルト体験そのものは本当にあるんです(>_<)
Uploads on coming monday!!
see you (^_-)
そして恐怖を目前に控えた僕等の台湾旅行ははじまった
僕等があきれ顔のOBを無視して組んだスケジュールはこうだ。
初日 朝羽田から台北へ。貸し切りバスで空港から台北にはいり台北観光
二日目 すべてフリー
三日目 すべてフリー
四日目 高尾に移動。移動後フリー
五日目 帰国
考えた末、前回のような散財を防ぐには、ともかく現地のガイドとの接触を最低限にすることと考えた。
奴らにはすでにガイド料込みの旅行代を払っているのだから、それ以上はビタ一文やらん!!
僕等は心に堅く誓った。
現地ガイドは、言葉がしゃべれない僕等にとって味方ではあるが、同時にお金の乏しい僕等にとっては敵なのだ。
出発前の3.4年合同会議も、前回とは違い実戦的なものになった。
1.写真に気をつけろ。沢山うつれば後で高くつく。
2.美人バスガイドに気をつけろ。一緒に写真をとったら後で高くつく。
3.可能な限り自分の力でなんとかしろ。ガイドに頼ると高くつく。
4.ガイドが案内した店では買うな。ガイドのコミッションが上乗せされている。町中で買えばかならず同じモノが安く買える
5.メモ帳と鉛筆を忘れるな。漢字文化圏なので、言葉が通じなくても文字ならなんとかなる。
その他思いつくことのすべてが書き出され、全員に通達された。
「うん。これだけのレクチャーがあれば、今度は絶対にお金をもって帰れる」
前回一文無しで日本に到着するハメになったヘルニア友人も珠玉の台湾旅行マニュアルに感動した。
こうして僕等は台北に出発した。
しかし・・・・
羽田空港でセキュリティーゲートを通った時点で問題は発生した。
ビーッ!!
金属探知器がなった。
モトちゃんだ。
係員にポケットの中を調べられ、再度ゲートをくぐる
ビーッ!!
何度やってもモトちゃんはビーッ!!だ。
バンドがデビュー寸前で音楽に関する考えの違いから解散となって、さらに銀座に本社がある会社に就職を決めたにもかかわらず、いきなり桐生支店に配属が決まってガックシきていたモトちゃんはとほうにくれていた。
ヘルニア友人がいった。
「モトちゃんのGジャン。やたらと鋲が打ってあるけど、それじゃない?」
係員もそれに気づき、モトちゃんにGジャンを脱いでゲートを通るように言った。
ゲートは鳴らなかった。
「さすがはパンク。金属探知器が反応するほど服に鋲を打ちまくるとは」
僕がいうと、ヘルニア友人もまじめな顔でモトちゃんを見て言った。
「重くない?」
「うるせえっ!!」モトちゃんの顔は真っ赤だった。
前回とは違い、飛行機は揺れることもなく台北についた。
しかしここでも、問題が・・・・・
台湾に入国するとき、メンバーの一人が「これ・・」と袋を出してきた。
「何?」僕はきいた。
『さっきしらないおじさんが「ちょっともってて」っていって、いなくなった。お酒だと思うけど』
「なに~!!」
僕とモトちゃんはあわてた。
ゲゲボツアーの本に『通関の時にお酒などを「あずかっていて」と知らない人に持たされる事がある。たいていは持ち込みのお酒の本数がオーバーした為だが、なかには団体旅行客の検査が甘いのを利用して、非合法な品(麻薬など)を持ち込もうとすることがあるので、知らない人の荷物は預からないように』と書いてあったぞ!!
どうする?
「かせっ!!」
僕は荷物をもつと、トイレにかけこんだ。
トイレで中身を確認して、やばいものだったら流すか、トイレにおいてくるしかない。
麻薬の類だったら正直に言ったところで、半日は取り調べでつぶれてしまう。
僕はトイレの個室に入ると、ハンカチを出し、袋の持ち手を拭き、なかにある酒の箱を取り出した。
なんてこった!!空港でる前に麻薬事件に巻き込まれたかも(>_<)なんて!!
ヘネシーの箱だっ!!
ハンカチを使い、指紋をつけないようにして、慎重に箱の中身を確認する。
箱の中には封の切っていないヘネシーのボトルしかない。瓶のなかも確認したが、妖しいものが入っている様子もない。
僕はボトルを箱にいれて袋に戻すと、トイレをでた。
「だいじょぶかい?」
モトちゃん。
「多分。中身はヘネシーだ。それ以外は何も入ってない。封も切ってない」
僕は言った。
ヘネシーといえば高級ブランデー。
当時の大学生にはめったにありつけない。
「大丈夫だ。このまま通ろう」
さすがに羽田でビーッ!!とやられたせいか、モトちゃんは袋を僕に持たせたままだった。
無事通関もきれ、空港ロビーについたが、おじさんは現れない。
「う~ん。仕方がない。」
僕は言った。
「なんだったの?それ?」
ヘルニア友人だ。
「それがさ、ヘネシーなんだよ」
モトちゃん
「はあ?ヘネシー?おじさんいないの?」
ヘルニア友人がおじさんから荷物をうけとったメンバーにきいた。
「いないみたい」
「よし。今夜はみんなでそれ飲もうぜ」
そういうとヘルニア友人はヘネシーの入った袋をもって待っていたバスにのった
「いいのかなあ?」
「いいんでない?ヘネシーだし」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バスは台北市内にはいった。
なんとなく昭和30年代初期を思わせる(って僕は生まれてないけど)おおざっぱな道路を沢山のオートバイというか、スクーターが走っている。
「なんかさ~。釜山は道が日本みたいに細かったけど、台湾は広い気がするね~」
市内に入ると故宮博物館を見学した。
どうやって作ったんだ!!というくらい細かい細工のものがあり、僕は生まれてはじめて博物館に来て感動した。
そして建物のなかに巨大なおっさんが座ってるところに来た。
おっさんの両脇には兵隊らしき等身大の人形がたっている。
故宮博物館の細工に感心した僕は、この等身大の兵隊も見事なつくりだと感動して、兵隊の真正面にたって見ていた。
すると・・・・
「うわっ!!」
思わず腰が抜けそうになった。
兵隊が瞬きしたのだ!!
「円くん。何を大声あげているのだ」
教授がやってきた。
「先生!!人形がまばたきを!!」
教授はあきれたような顔をして僕を見た。
「キミは何をいっているのだ。衛兵は人間にきまっておろう」
そう、瞬きする以外はぴくりとも動かないが、人間だったのだ。
恐るべし!!台湾!!
僕はモトちゃんと一緒に巨大なおっさんが座ってる大仏殿のようなところをでた。
すると三年女子のよっちゃんが、サルをつれた男と何か話しているではないか!!
僕とモトちゃんは顔を見合わすと、よっちゃんに向かって駆けだした!!
すでに男はよっちゃんにサルを抱かせているところだった。
「よっちゃん!!そのサルを返すんだ!!その男は、サルを抱かせて金をとるつもりだぞ!!」
僕とモトちゃんは日本語で叫んだ。
男は絶叫しながら駆け寄った二人の男に怯えていた。
僕等のガイド兼通訳の鄭さんがあわててやってきた。
「え~と、本当は有料だけど、そのお嬢さんはかわいいからオッケーね」
よっちゃんは安心してサルを抱き、写真を撮ったのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今度は気功のショーを見に行きます。それにしても台北を半日で観光なんて。こんなツアーはじめてだよ」
ガイドの鄭さんがつぶやいた。
気功ショー?そんなのスケジュール表にはないぞ?
「サービスですよ。サービス」
あやしい・・・・
気功ショー。
それは小さな舞台で気功師のお兄さんが割り箸をベニヤ板になげつけてブスッと刺したり、槍の穂先を腹にあてて、僕等に押させても刺さらないことを見せたりという武術気功の類のショーだった。たしかに凄い。
僕等が「おおっ!!」などといい、感動したあとに、それは来た。
「ではこれから、当店秘伝の塗り薬を販売いたします。傷はもちろん火傷にもききますよお~」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ドアがあけられ、すっごい数のおばちゃんが入ってきた。
みな同じ服を着ている。
20人にちょっとかけるくらいの僕たちに対して、ほぼマンツーマンの数の売り子のおばちゃんだ!!
「これね、うちの秘伝の薬よ」
すっごい早さでしゃべり続ける。しかも日本語だ。何故こんなにうまいんだ?ここも旧帝国領かっ!!
だが、僕はこのときを今か今かと待ちかまえていたのだ!!
ガイドの鄭が「サービス」と言った瞬間から、必ず来ると待ちかまえていたと言ってもよい。
この瞬間を見越して、僕はボリボリ君の隣にすわったのだ。
もっともこれだけの数の売り子おばちゃんが来襲するとは、流石に思ってなかったが。
「あのねおばちゃん。僕トイレいくから。だけど、となりのお兄さんが買うってさ」
すでに別のおばちゃんに猛烈な売り込みをくらってたボリボリ君が「えっ?」という顔をしてこっちを見た。
僕付きのおばちゃんは、そのボリボリ君の視線の動きをとらえて「あなたね、これ、すごく良い薬よ」と話しかけはじめた。
僕は速攻でトイレに逃げ出した。
数分後。
三年で一番要領のよさそうな仲田と溝口がトイレにやってきた。
「円さん早かったっすねえ~」
モトちゃんもやってきた
「いや~まいったよ。てえへん、てえへん。まあ、パキでなれてるからさ~。でもあんた達早かったね~。ボリボリなんて三つもかわされてたぜ。女の子も全滅だな。全員買わされた」
おばちゃん達が部屋から出て行くのを確認して僕等は戻った。
ヘルニア友人が二個オロナインのような瓶を持っている
「おいっ!!おまえらきたね~ぞ!!俺、二個も買わされたじゃね~かっ!!」
買わされたメンツを見ると、全員気功ショーがよく見える中央部に腰掛けた連中だった。
僕等のように、はじっこに腰掛けた者は全員、売り子おばちゃんから逃げられたのだが、中央部にいた連中は椅子と売り子おばちゃんに挟まれて逃げられなかったのである。
僕は学んだ。
海外ではいかなる時も、退路を考えて座らなければならない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホテルにチェックインした後、夕食は適当に歩き、デパートのようなところの最上階で飲茶を食べた。うまい。すっごくうまい。
僕等は朝食だけつけてもらっていて、昼と夕食は全部自分たちで適当なところをみつくろって食べたけど、どこでもそれなりにおいしかった。
どこでもそれなりにおいしいというのは台湾の食文化の高さだと思う。
食事が終わり、僕とモトちゃんの部屋で宴会がはじまった。帰る途中のコンビニのような店で、ビールと紙コップは沢山かってきた。ヘネシーもある。
飲み会は夜中の1時過ぎまでつづき、全員が部屋から出て行ったあとには、足の踏み場もないほど、床に酒瓶が散乱していた。
「これどうするよ?」
僕は言った。
「眠い。朝、早かったし。とりあえず寝るには困らないからいいよ。朝片づければ」
そういうとモトちゃんはシャワーも浴びずにベットに入った。
僕は軽くシャワーを浴び、スエットとTシャツに着替えてベットに入ると電気を消した。
となりではモトちゃんがスウスウと寝ている。
僕もしばらくして、眠りにおちかけた。
そして・・・・・
本当の恐怖という奴がやって来たのだった!!
(To be continue.Uploads soon!!)
見えるだけでも怖い。だがそれ以上の恐怖だってこの夜にはある・・・所は台北Kホテル。
僕たちの部屋は、ホテルには極めてありがちな部屋だ。
つまりドアを開けると右手にはクローゼットがあり、左手にはバスルームがある。
その間を通っていくと、右手に荷物をおく台とデスク、テレビに冷蔵庫があり、左手にはツインのベットがおいてある。
そして小さな丸テーブルと椅子が2脚。
僕はシャワーを浴びてでてきてから、流石にベットからバスルームまでに転がっている酒瓶をすべて丸テーブルの方へかたづけた。
夜中にトイレ行くときに転んだりしたら大変だからだ。
バスルームよりのベットではモトちゃんがすやすやとすでに寝ている。
僕もベットによこになると枕元の電気を消した。
しばらくして、うつぶせになると、ようやく眠りにおちかけた。
その時。
ピンポーン。
部屋のベルがなった。
なんだ?ベットに入るとき、すでに2時近かったから、とっくに2時すぎのはずだ。
誰か忘れ物したのだろうか?
だが、それが例え財布だったとしても夜中の2時に必要ではなかろう。
僕は無視する事にした。
ピンポーン。
また鳴った。
もちろん無視だが、それ以前に僕もモトちゃんも、今日は五時起きだった。ベットにはいったら眠すぎて動けない。誰だ?こんな時間に?不謹慎にもほどがある。明日おきたら、絶対殺す!!
その時。
部屋のドアがすう~っと開く気配がした。
それは恐ろしく明確な気配で、僕は思わず体を硬くした。
ドアを閉め忘れたのだろうか?
すると・・・・・
ドアの方角から、すう~っと、気配が移動してくるのがわかった。
人が入ってきた!!
流石に僕は起きあがろうとした。
そのとき・・・・
「ド~ン!!」
移動してきた気配は、僕の足下でいきなり飛び上がると、まるで、プロレスのボディスラムをかますように、僕の体の上にのしかかってきたのだ!!
「ゲヘッ」
肺中の空気が飛び出して、変な声が出た。
だがそれだけではない。
僕の上の気配は、何度も何度も、「ド~ン」「ド~ン」とボディスラムを繰り返す!!
僕は抵抗できず、「ゲヘッ!!」と声を出すだけだ。
気配が消え、ボディスラムが終わったと同時に、僕はベットから跳ね起きた。
誰もいない。
枕元のライトをつける。
モトちゃんはすやすやと眠っている。
おかしい。
誰だ?
モトちゃんが一番怪しいが、残念ながら彼にはプロレスごっこなんて幼稚な事をするセンスはない。
それに僕の倍は酒も飲んでるから、多分無理だ。
シーツも乱れていないし。
僕は、ベットからおりて、ドアをチェックしにいった。
カギはしっかりかかっている。
チェーンもかかっていた。
間違いない。シャワー浴びて出てきたときに、ちゃんと確認したのだ。
念の為、バスルームも見てみた。
誰もいない。
たしかにチャイムは鳴った。
確かにドアがあく気配がした。
確かに誰かにボディスラムを連続でされた。
だが、部屋には誰もいない。
モトちゃんだけだ。
そのモトちゃんはスウスウ寝ている。
僕は一応、モトちゃんのシーツも確認した。
僕にボディスラムをかけたあと、あわててひっかぶったような後はない。
流石に疲れていたので寝ぼけたのかもと思わざるをえなかった。
ベットに入り、モトちゃんを見て、枕元のランプを消そうとしたその時・・・
「パンッ!!」
いきなり正面の壁が鳴った。
「パンッ!!パンッ!!パンッ!!パパンッ!!」
隣の部屋で何かをならすような音じゃない。
明らかに壁そのものがハジけるような音だ!!
ラップ(騒霊)現象!!
心霊現象の基本中の基本だ!!
ありえない!!寝ぼけたのではありえない!!もし、気配が部屋にはいってきてボディスラムかけたというなら、寝ぼけた可能性が高いが、このラップ現象までが一緒におこったとなると、絶対寝ぼけたなんてことはありえない。
僕はあわててシーツをかぶると、ふるえていた。
ラップ音はおさまり、気配も再び訪れることもなく、僕はいつのまにか眠りについた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌朝。
起きたモトちゃんに僕はきいてみた。
「あのさ、怒らないからいってよ。昨日、俺にボディスラムしたでしょ?」
「はあ?なんですか?」
「してない?」
「いや、すぐねちゃったし」
「そうだよね」
「なんかあったんかね?」
僕はモトちゃんに、昨日の深夜の怪現象について話した。
「ゲッ」
「本当にしてない?ボディスラム」
「してない。もししてたら言うよ。そんな事あったなら」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝食はバイキング形式だった。
僕とモトちゃんがおりると、全員がすでに食事をはじめていた。
僕はクロワッサンとベーコン。それにスクランブルエッグをすこし取った。
席につくと、斜め向かいの席のボリボリ君が、三つの皿を前にしてむしゃむしゃと食べていた。
一皿目 パン全種類山盛り
二皿目 ベーコン、ソーセージ、ハムなど肉類全種類を山盛り
三皿目 焼きそば
肉類の盛り合わせはともかく、何故パンを全種類山盛りに取らねばならぬ?
というか、パンをそれだけ食べて、何故朝から、焼きそばを皿に山盛り食べる?
見てるだけで気持ち悪くなった。
他の連中だけでなく、教授まで気分が悪そうな顔で見ていた。
おいしいから食べるとか、お腹がすいたから一杯食べますというのではなく、ともかく食べれるだけ食べて得をしようというのが、なんとなくミエミエの食べっぷりなのだ。
彼は韓国でも同じ事をやって、ウエイターに日本語で「あんた豚のように喰うな」と言われたのだった。
ガイドのおばちゃんが、あわてて、『韓国では「豚のように喰う」というのは健啖家という意味で、いい事です』といったが、僕たちは誰も信じていなかった。
すっごく冷たい視線で「豚のように喰う男」ボリボリ君を見ていた教授が僕に言った。
「どうだ。円君。良く寝られたか?」
僕はモトちゃんの顔を見た。
ボリボリ君の食べっぷりをうんざりした顔で見ていたモトちゃんが「ああっ?」という顔をすると、「言えよ」と目配せした。
「あのですねえ。よく寝られませんでした。というか、大変な事がおきたんです」
「ほう。なんだね」
みんなもボリボリ君から僕に視線をうつした。
「え~と、信じてもらえないと思いますが、幽霊に襲われました」
「はあっ?」
皆があっけにとられた顔をしたが、とりわけヘルニア友人が間のぬけた声をだした。
「また、円はそんなこといって・・・」
「だったら、今夜から部屋かわってくれよっ!!」
僕はヘルニア友人に言った。
「イヤ。俺は絶対イヤ。」
「いいじゃん。信じてないんだから」
「信じなくてもイヤ。可能性があるだけでイヤ」
実はヘルニア友人はオカルト系には全然弱いのだった。
「モトヤマ君もみたのかね」
教授がモトちゃんに聞いた
『僕は寝ちゃったので知りませんが、起きるなり円君に「昨日ボディプレスした?」と真剣な顔で聞かれたので、まんざらウソではないと思いますが』
「まんざらウソでいいから、今夜ベットだけでも変わろうよ」
僕はモトちゃんにいった。
「イヤ」
「なんでだよ。昨日はモトちゃんがバスルームよりだから、今日は俺がバスルームよりにしようよ」
「絶対ダメ。夜中に幽霊にボディスラムされるかもしれないようなベットには寝ません」
「くっそ~」
僕は教授を見た。
「先生!!先生はお坊さんの資格もってるじゃないですか!!お祓いしてくださいよ。どうせ死人にお経あげるでもないし。こういうときになんかしないと意味ないじゃないですか~っ」
だがこれはまずかったようだ。
「意味ないとはなんだね。大体怨霊調伏などは密教の連中がやるものだ。僕は知らん」
怒って部屋に帰ってしまった。
くっそ~。
その日はフリータイムだったので、僕等は一日かけて台北の端から端まで歩いた。
みんなはチャイナドレスや、怪しいグッヅや、洋モノのミュージックテープまとめ買い(多分300円くらいで買えた)などに没頭していたが、僕はひたすら御札が売っていそうなお寺や霊廟をさがしていた。
だが、結局みつからず、何かのビデオで中国の幽霊は鏡を怖がるという話があった気がして、小さな鏡を買い、ドアを開けると正面に来る位置においた。
「鏡ですか」
真剣に鏡の位置を決めている僕を見てモトちゃんが言った。
「効果あるの?」
僕は言った。
「あると思うならベット変わってよ」
もとちゃんはいきなりスーツケースの中身をバスルーム側のベットに広げると言った
「絶対、絶対、ぜ~ったいイヤ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
台湾はいい国だ。
食事はおいしいし、親切だし。
今なら中国語も話せるし、観光でのんびりと10日くらい行きたいな。
でも台北のKホテル。
あそこだけは絶対イカネッ!!
The End
Uploads on 29th Aug.!!
see you (^_-)
来週は夏休みです
僕が働き始めた頃、日本はスプラッタムービーブーム。僕も週に一度はドバッと血が飛び散る映画をみないと、なんとなく体調が悪くなるくらいだったが・・・・・
今は福建省と広東省の沿海部は高速道路でつながり、移動も快適になった。
何年か前、福州から広州まで高速を走ったが、道路はいつもすいていて、とっても快適だった。
トイレもなんとか使えたし。
まあ、これだけの道路つくって、こんなに車が少なくて、ペイするのだろうか?ってことは考えたのだが、共産圏ではあるし、ペイするかどうかは、あんまし関係ないのだろう。(日本だってずっと関係なくやってきたし)
しかし、僕が住んでいたころは高速がやっと工事に入った頃で、当然のごとく、一般道路を利用して移動した。
2年目からは、年に数度出張するだけになったのだが、一年目は経済特区間の300キロの距離を月に何度か往復する生活だった。
当時中国には信号というものはほとんどなかった。
片道300キロの行程にあった信号は1個だけ。
だったら300キロなんてたいした事ないどろうと思いきや、これがワンボックスカーで8時間。セダンで6時間かかるのが普通だった。
何故かというと、都市部はともかく、そこをでると、未舗装とまではいかなくてもそれに近い道が多くスピードが出せない。
しかも農村部にはいると、走っているのは、トラクターに荷台をつけた車がほとんどで、これが時速20キロくらいの、のどかな速度で走り道をふさぐ。
我々はそれを対向車線に入って追い抜いていく。
そしてこれがすっごく危険なのだ。
何故かというと、当然のごとくこの荷台付きトラクターにはバックミラーもウインカーもない。
つまり、追い抜こうとするといきなり向こうもハンドルを切ってきたりするのである。
従い300キロ走ると、大抵3台は事故で畑やら水田におっこった車をみるハメになる。
そうなると中国の農村では救急車が来るってこともなく、(当時農村部では電話自体が普及してない。今は中国での携帯の普及率は凄いが、携帯電話がでてくるのはこの話より3~4年後である)自力で、やってきた車をつかまえて町までのせてもらうしかない。
「ひどい事故で、そんなことできなかったらどーすんの?」って疑問は当然でると思うけど、その場合はどこからか中国人の農民が現れて、「ダメだ死にそうだ。パスポート残して有り金もらっとこ」という事になるのが普通だといわれていた。
まあ、当時の中国の農村部にはまっとうな医者もいないし、交通事故で動けないほど負傷した患者を救うだけの設備だってないから、野生動物と同じで、大けがしたら死ぬしかないといえば、そうなんだけど。
そんな訳で当時の中国在住外国人は三つの手段のうちのいずれかをとることになる。
1.自分が住んでる地域からでない。農村部にはいかない。
2.他の都市にいくときは飛行機を使う。自分の住んでいるところから直行便がなければ香港に一度でて、香港経由で向かう
3.腕のいい長距離タクシーのドライバーと知り合いになる。
僕がとったのはもちろん3だ。
特にお気に入りなのが二人いて、北の訛り(というか本来はそれが正統な中国語なんだけど)で話すホテル付きの運転手が一人(こいつはすっごく腕が良くて300キロを普通5時間。早いときは4時間で走った)、もう一人は機転もきき、話も楽しい白いクラウンを持ってる個人タクシーの運転手だった。
ある日、僕は白いクラウンに乗って、300キロ先の都市に向かっていた。
長距離移動の時は、前日から水分を控え、「大」を催したりしないように食べ物にも気を遣う。
道中「大」をしたくなったら、悲惨だ。
ちょっとした都市部まで我慢できれば地元のホテルでトイレを借りることもできるが、そうでなければ畑の真ん中で、普段農作業している農民がつかうトイレを使わなければならない。
大抵は石で組んだトイレ小屋で、しかも水田にポットンと落ちるタイプだ。
せっかくなら出したモノがストレートに水田にポットンと落ちる仕組み(日本のくみ取り式のような)にしてくれればいいのだけど、何故か斜めにスロープのついた石板を通じて水田に落ちる仕組みになっている。
でもさ、「大」って石板の上をするすると滑っていかないじゃん?
当然たまっているのだ。
見たこともない量の他人の「大」が。
しかも夏になると、そこに思いっきりウジがわいてたりする。
「小」ならなんとかできるけど、流石に「大」は無理。
「ダメだ!!がまんできない!!」と思って、恐る恐る駆け込むのだが、座る前にあれほど強烈だった便意がすっかり失せて車に戻ったことが二度ほどあった。
はじめて農村トイレを使ったときも、このクラウンの運転手だったが、おもわずトイレからでてカラえずきをはじめた僕を見て、彼は言ったものだ。
「下から出そうとトイレにいって、上から出したな」
くそっ。
その日は前日の昼から、おかゆ意外は食べないようにしていたので、僕は便意に悩まされることもなく、香港でジャケットだけ見て買い集めたミュージックテープをウォークマンで聞いて、なかなかご機嫌だった。
道はすいていて、運転手もご機嫌だった。
すると、曲がり角をまがったところで、いきなり公安(警察)が道をふさいでいるのが見えた。
運転手が公安にタバコを差し出しながら「どうしたんだ?」ときくと公安はタバコを胸ポケットに入れ「事故だから、ちょっと待て」と言う。
確かに道の先で、大型バスとトラックがぶつかっていて、路肩にはバスの乗客らしい人が何人も体育座りをしている
「事故?死んだのかな?」と僕は運転手に聞いた。
「死なないと公安は出てこないよ。」
運転手が言う。
僕は我慢できなくなった。
当時の日本は、スプラッタムービーブームである。
僕もスプラッタものは大好きで、日本に帰ると、レンタルショップで借りたスプラッタムービーを8mmビデオにダビングして、両脇にカセットテープを重ね、ガムテープでまとめ中国に持ち込んでいた。
当時の中国はビデオテープに対する規制が厳しく、VHSは税関で一度接収され、中身をチェックしたあと、返却される。
エロはもちろん、スプラッタムービーなんかは当然返却されずに没収だ。
だが当時、中国の税関は8mmビデオの存在を知らなかった。
だから、ミュージックビデオの間に挟んでガムテープでまいておけば、X線検査をかけられても、ビデオテープだとはわからなかったのだ。
「あのさ、俺、救急道具もってるからちょっとみてくるわ。救急車きてないみたいだし」
そういって車から降りたが、もちろん第一の目的は、一体どんな凄い事故なのか確認する為である。
不謹慎なのは百も承知。
だが、当時の中国は今みたいに夜になると着飾ったおねーちゃんがわき出たりすることもなく、テレビは果てしなくつまらなく、殴り合いの喧嘩をすればすぐにしょっ引かれ、つまり火事やら事故やらがない限り、面白いことなんか一つもない国だった。
火事と喧嘩が江戸の華だったのと同じ。
不意におこる交通事故や、火事、事故は生活を彩る貴重なイベントだったのだ。
果たして死人はでているのか?
死体はあるのか?
どんな死体なのか?
公安にとめられるかと思ったが、公安は外国製のタバコを一箱もらったせいか何もいわなかった。
僕は消毒薬とバンドエイドがはいったポーチをもって事故現場に向かった。
路肩に体育座りをしている人たち30人以上。
みな口を押さえている。
前歯が折れてしまったのだとわかった。
おそらく追突のショックで前の座席にぶつかり折れてしまったのだろう。
他に怪我をしているところはなさそうだ。
口のなかにはバンドエイドもはれないしなあ。
とりあえずみな軽傷みたいなので、先に向かった。
バスの左側に砂利運搬するような頑強なトラックが追突している。
バスの左前方は大破だ。
ぐしゃぐしゃにつぶれている。
僕は後ろの席から見ていった。
もう誰も乗っていない。
前の方にいくと、シートそのものが前のめりになっている。
そして。
バスの左側2番目の席にそれはあった。
その部分は外壁ももげてしまっているので、もろ見えだ。
2番目のシートは床を離れて1番目のシートの背の部分にぺたんとくっついている。
そして、両方のシートの間には・・・・・・
圧殺されたぺったんこの死体・・・・・・
キターッ(>_<)
すっげえ~
このヒト、厚さが10センチくらいになってるよ・・・・
脳みそ飛び出してるよ・・・・
いや~
バンドエイドじゃ、どうにもならねっ(>_<)
気がつくとバスの床は血だらけで、その血が僕の足下にもゆるゆると流れだしてきていた。
「うおっ!!」
地面を流れ始めた血を見ながら飛び退いた時に見たモノ。
白い球体・・・・
眼球だよ。これ・・・
はじめてみた。
人体から飛び出した眼球。
なんというか・・・・
手足が生えてこちらに歩いてきそうなきがするよん(-_-)
・・・・・・・・・・・
車に戻った僕は、異様にハイになっていたに違いない
「どうだった?死んでいたか?」
運転手が僕に尋ねた。
「一人だけどね」
僕は答えた。
「一人?たった?それにしてはおまえ、なんか嬉しそうだな?凄いのか?」
僕はあわてて顔をしかめた
「まあ、凄いっていえば・・・ぐちゃぐちゃだし」
「本当かよ!!俺も見にいこっ!!」
運転手はシートベルトをはずしドアを開けようとしていた。
「やめたほうがいいと思うよ。多分気持悪くなるよ」
「何いってんだ!!おまえが大丈夫なのに、俺が気持悪くなるわけあるかっ!!」
そういうと運転手は車をおりて、ぺちゃんこ死体の所に向かった。
僕は後部座席から身を乗り出してそれを見ていた。
運転手は僕と同様に、口をおさえている乗客を見た。
そして、妙にルンルンしたステップで、ぺちゃんこ死体へと向かった。
そのころには血も路上を広がっていたので、彼は血を踏まないようにまず下を見て、血だまりを避け、慎重に立ち位置をきめてから、バスの座席部分を見た。
一瞬、彼の体が硬直したのが、20mくらい離れた車のなかからもわかった。
すると彼は、路肩に猛然とダッシュして、吐きはじめた。
だから見ない方がいいって言ったのに・・・・・
行きとはうってかわったよろよろした足取りで彼が戻ってきた。
それを見て僕はおもわずクスクスと笑った。
車のドアを開けると、真っ青な顔をして言った
「信じられね~。おまえ、なんであんなもん見て、平気なんだ?」
「まあ、慣れているからね。ああいう死体見るのは(ビデオでだけど)」
信じられないという顔で頭を振ると、彼は「就業証貸してくれ」といった。
僕の就業証には会社名と役職が書いてある。
当時はまだ、中国に投資している会社はすくなかった。
僕が住んでいた経済特区でさえ、まだ三社くらいだった。
天安門の直後である。
単なる外国人と中国に投資してる役付の外国人は違う。
公安は僕等の車だけ、先に通してくれた。
事故現場を通過するとき、僕はもう一度ぺちゃんこの死体を見た。
そして、バスに乗るときは絶対左側の前には乗らないでおこうと誓った。
中国のとんでもない田舎で、ぺちゃんこになって目玉を道路にコロコロさせて死ぬのは、あまりにも悲しすぎるし。
今はこうやって見ている立場だけど、明日どころか、10分後には我が身にふりかかってもちっともおかしくないのだ。
「でもさ、まあ、お気の毒だったよね」
僕は運転手にいった。
中国の南方では帝国時代の日本人は虐殺なんかはやっていないので、「日本鬼子」扱いされることはないけど、こういうとき喜んでいたりすると、どこで噂が広まるかわからない。
テレビなんかでは時々731部隊とかやってるし。
「う~ん。俺も5年長距離の運転手してるけど、あれは凄かった。でもさ、中国は人口多いから、一人や二人死んでもどうってことないよ」
(-_-)
それは、僕がはじめて中国人の本音を聞いた瞬間だった。
Uploads on coming monday!!
see you (^_-)